今日も雨。昨日よりは小降りで止んでる時間もあった。
東京の新たな感染者数は47人。一気に増えた。そろそろ緊急事態宣言解除後の外出者の増加が反映されるころだ。
コロナは産業構造を大きく変える。とはいってもそれはコロナ以前から起きていた変化を加速させるだけで、根本が変わるわけではない。
例えば観光産業もコロナ以前から以前から団体旅行は減少傾向にあったし、ヨーロッパでの飛び恥のような海外旅行自体を疑問視する声もあった。
音楽業界も米津玄師やビリー・アイリッシュのような宅録系が台頭していた。ライブハウスは元からがらがらで、バンドがライブハウスに金払って演奏させてもらうような状態だった。
ミュージシャンもそうだし、役者も食える人間はほんの一握りで、ほとんどはバイトかヒモだった。苦しいのは今に始まったことではない。
ファミレスも衰退していて低価格帯の店舗に力を入れていた。居酒屋も若者の酒離れと会社などの宴会需要の減少で厳しかった。
斜陽産業を公金で補助しても、延命措置にしかならない。これから伸びる産業に投資して欲しい。
アマビエ八十三句目。
爺は勝手に物買ってくる
トイレットペーパー部屋にうず高く
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
初裏。
九句目。
人の声する村のはるけさ
朝ぎりや市場の方を隔つらん 清林
村のはずれで市が立つが、朝市なので朝霧に包まれる。中世にありがちな光景なのだろう。
清林は不明。
十句目。
朝ぎりや市場の方を隔つらん
色こそ見えね秋はたちけり 宗怡
前句の「市場」を「立つ」で受ける受けてには。
八重葎茂れる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり
恵慶法師(拾遺集)
の下句に似ているが、これは言葉の続きが同じなだけで、『去来抄』
桐の木の風にかまはぬ落葉かな 凡兆
樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉
の類似のようなものだ。
十一句目。
色こそ見えね秋はたちけり
竹の葉の音も身に入む風吹きて 紹永
「入む」は「しむ」と読む。
「色こそ見えね」は「目にはさやかにみえねども」の連想を誘い、風の音につながる。
松風はよくあるが、ここでは竹風にする。松風も身にしむが、竹の葉を吹く風も身にしむ。
紹永はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「?-? 室町時代の連歌師。
美濃(みの)(岐阜県)の人。寛正(かんしょう)4年(1463)の唐何百韻や文明4年(1472)の何路百韻,美濃千句,8年の表佐(おさ)千句などの会に出席。「新撰菟玖波(つくば)集」に10句がのっている。」
とある。専順がこのあと美濃に下るから、何らかの縁があるのか。あと紹の字は後に戦国末期に活躍する紹巴がいるが、何か関係があるのか、今のところ不明。
十二句目。
竹の葉の音も身に入む風吹きて
あくる扉に残る夜の月 士沅
第三からぎりぎり八句去りで月が登場する。「扉」は「とぼそ」と読む。竹林の七賢などの隠者のイメージだろう。
士沅は島津注に「寛正頃、多く心敬と一座した連歌師」とある。
十三句目。
あくる扉に残る夜の月
別れては俤のみや頼ままし 能通
前句を後朝(きぬぎぬ)として恋に転じる。
能通は島津注に「底本『張通』。伝未詳。北野の連歌師か。」とある。
十四句目。
別れては俤のみや頼ままし
待てともいはぬ我が中ぞうき 慶俊
前句の別れを後朝ではなく、本当の別れとする。せめて「待って」とでも言ってくれれば。
慶俊は島津注に、「文正頃心敬らと一座。」とある。
十五句目。
待てともいはぬ我が中ぞうき
旅に人暫しの程は語らひて 政泰
相手は行きずりの旅人だった。「語らひ」は『源氏物語』では深い仲になる意味もある。
政泰は未詳。
十六句目。
旅に人暫しの程は語らひて
こゆるも末の遠き山道 与阿
普通に羇旅の句とする。
与阿は島津注に「長禄頃専順らと一座。」とある。名前からして時宗の僧であろう。
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