2020年6月3日水曜日

 今日も暑かった。

 黒黒黒黒黒黒黒黒
 黒黒黒黒黒黒黒黒
 黒黒黒黒黒黒黒黒
 黒黒黒黒黒黒黒黒
 黒黒黒黒黒黒黒黒

 こんなんでいいのかな。黒人というとやはりシャネルズだな。黒人音楽が好きで黒人に成りきろうとした彼らは顔を黒く塗った。
 ソウル系というと何となくヤンキーのイメージがついて回るが、アメリカの黒人と日本のヤンキーは立ち位置が近いのかもしれない。
 とにかく黒人にあこがれている日本人は沢山いる。差別なんかに負けずに頑張ってほしい。

   だからもう結婚なんてしないから
 あの娘は夜の街へと消えて

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 五十五句目。

   藻塩の床に雁かへる声
 一夜のみかれる苫屋にね覚して   銭阿

 一夜の借り枕とする。打越の「あかしのうき枕」は明石に掛かる月の比喩なので羇旅には含めないのであろう。
 藻塩は焼くもので刈るのは玉藻だから、ここは掛けてにはにはなっていない。
 五十六句目。

   一夜のみかれる苫屋にね覚して
 うき身のうへに涙そへぬる     覚阿

 苫屋の寝覚めの心情を付ける。述懐への展開で変化をつけようという狙いか。
 五十七句目。

   うき身のうへに涙そへぬる
 父母のおもひをみるもくるしきに  宗悦

 「涙そへぬる」は父母の涙とする。
 五十八句目。

   父母のおもひをみるもくるしきに
 いまこんとてぞ捨る世中      修茂

 「今来むとて捨てる世の中ぞ」の倒置。
 老いた父母の世話をしなくてはならない苦しい時に、今にも死ぬからと言って世の中を捨てられるか、と反語に取るのがいいだろう。
 五十九句目。

   いまこんとてぞ捨る世中
 罪あるを迎の車おそろしや     心敬

 金子金次郎の注は仏教の三車火宅の車としているが、この場合は罪のある者を地獄に連れて行く火車のことであろう。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「仏教経典が地獄に関して説く〈火車(かしや)〉の和訓で,猛火の燃えている車。罪人を地獄で責めたり,あるいは罪人を地獄に迎えるのに用いる。初期の経典には〈火車輪〉〈火車炉炭〉などと罪人の責め具として出ているが,のちには命終のとき罪人を地獄に迎える乗物として説かれている。《観仏三昧海経》第五観相品には阿鼻(あび)地獄に18種の小地獄があり,その一種に18の火車地獄があるとして,火車で罪人を迎え,火車で呵責する種々相が描写されている。」

とある。
 地獄へは行きたくないから火車が来る前に出家しよう、ということになる。
 六十句目。

   罪あるを迎の車おそろしや
 御かりのかへさ野もひびく也    宗悦

 前句の車を牛車のこととする。
 狩が殺生の罪であるというテーマは、

   罪の報いもさもあらばあれ
 月残る狩り場の雪の朝ぼらけ    救済

の句が既にある。
 ここでは皇族の狩で立派な牛車に乗ってのものであろう。しかし殺生の罪を思うとそれも地獄へ行く火車のように思えて恐ろしい。野を走る車の音さえ不気味に聞こえる。

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