2020年6月23日火曜日

 今日は午後から晴れた。
 日本人は黒人差別の問題を見てみぬふりをしているのではない。見ようにもよく見えない、と言った方がいい。
 それこそBlack Lives Matterをちゃんと訳すこともできないし、かつての南アフリカのアパルトヘイトのようなわかりやすい差別のシステムもない。
 何が問題なのかほとんどわからないにもかかわらず、そのわからないことを厳しく責め立てられ、日本人も加害者であると断罪されるとそりゃあ反発するわな。
 明治以降、日本人は西洋の植民地化政策に脅威を感じ、一歩間違えば日本人も奴隷にされるかもしれないという恐怖の中で、西洋に対抗しようとあの侵略戦争の道を歩んでしまっただけに、少なくとも日本人を加害者扱いする人権派の主張は、逆に日本人を劣等民族として差別し、劣等民族の日本は征服され、消滅されるべきだと言っているように聞こえてしまう。
 まあ、その辺の微妙な心理は外国の人にはわからないかもしれないけど。チェッカーズじゃないが「わかってくれとは言わないが/そんなに俺が悪いのか」。
 アマビエ巻九十一句目。

   定めなき雨のおさまる凍月に
 中央道を西へと向かう

 それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。

 七十一句目。

   人を待乳の山の名もうし
 時鳥かたらひ捨てし後の暮     量阿

 さあ、また「かたらひ」が出てきて、恋ではあの意味になる。
 まあ、今で言えば渡部建か。時鳥の一声のようにささっと済ませて去ってったのだろう。そんなんで夕暮れになってまた待っているのは嫌なものだ。
 まつち山と時鳥の縁は、島津注が、

 来ぬ人をまつちの山の時鳥
     同じ心に音こそ泣かれる
             よみ人知らず(拾遺集)

を引いている。
 七十二句目。

   時鳥かたらひ捨てし後の暮
 きのふもけふも神祭る頃      元用

 「神祭(かみまつ)る」は元は「かむまつる」で、「う」と乙類の「お」は交替するので、「かもまつる」にもなったのだろう。ここでいう「神祭」は「加茂祭」のこと。
 加茂祭は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、卯月に何日もかけて行われた。特に競馬(くらべうま)は人気だった。
 文亀二年(一五〇二)以降しばらく途絶え、元禄七年(一六九四)に復活した時には貞門の俳諧師北村季吟の進言もあって『源氏物語』の斎王の行列が再現され、葵祭と呼ばれるようになった。
 ホトトギスのなく頃はちょうど賀茂祭の頃でもある。
 七十三句目。

   きのふもけふも神祭る頃
 かたぶける日はさるとりの時過ぎて 宗怡

 賀茂祭は明治の旧暦行事の禁止によって新暦の五月十五日とその前の何日かに行われるが、本来は卯月の酉の日まで行われた。
 前句の「きのふもけふも」が申の日、酉の日になり、その最後の酉の日も申の刻を過ぎて酉の刻となると日没となり、祭は終了する。
 七十四句目。

   かたぶける日はさるとりの時過ぎて
 うつるひかりの影をしめ只     英仲

 島津注は日想観を詠んだものだとする。日想観はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、

 「〘仏〙 西に沈む太陽を見て、その丸い形を心に留める修行法。極楽浄土を見る修行の一部で、観無量寿経に記される。日想。」

とある。「をしめ」という命令形が確かに説教を思わせる。

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