今日は夏至で旧暦五月一日。一日曇、夕方から雨で日蝕は見えなかった。
新たな感染者数は今のところ横ばいで、緊急事態宣言の解除の影響はこの程度のものだったか。あとは都道府県をまたぐ移動制限解除の影響がどうでるか、二週間後にわかる。
第二波のことを考えるなら、会いたい人に会いに行くのは今のうちかもしれない。先のことはわからないからな。
パンデミックに関わらず、表現に制約を課すのは右からのものであれ左からのものであれないほうがいい。
左翼や人権派の人たちの間では未だにサピア・ウォーフ仮説の亡霊がさまよっていて、言葉をなくせば差別はなくなるだとかいった表現狩り言葉狩りが行われているが、言葉は人間の思考を決定することはない。言葉に意味を与えるのはあくまで人間だからだ。
どんな言葉でも多種多様な解釈が可能であり、どの解釈を選ぶかはその人の問題だ。芸術作品でも同じだ。
バンクシーのあの星条旗を燃やす絵だって、星条旗が燃え上がってざまー見ろと思う人もいれば、大変だ早く消し止めなくてはという警告だと思う人もいる。
黒人の看護婦のフィギアの絵も、世間で二つの解釈があったらしいが、筆者は絵空事のヒーローよりも現実の世界で自分を救ってくれた人のほうがヒーローだと解釈している。別に深読みはしない。
銅像を引き倒す像も、銅像が倒されて万歳というモニュメントにもなれば、銅像を倒した馬鹿共がいたというモニュメントにもなる。
七十年代のクラッシュのヒット曲「ホワイトライオット」は、後に白人優越主義者が歌うようになったので歌えなくなったなんて話も聞く。
作品はどのようにも解釈できる、選ぶのはそれぞれの人間だ。
だから筆者は作者の思想を問題にしない。いい作品なら共産党員が作ろうがネオナチが作ろうがかまわない。
クレイユーキーズの「世界から音が消えた日」はapple musicでプレイリストに入れて何度も聞いているが、必ず「たかが風邪だよ、大袈裟な」の台詞が耳に止まる。コロナを風邪だと思っている人は、これで「そのとおり」と思うのだろう。
文脈では学生達のコロナ以前の平時の会話で「いつもの馴染みのトークなつかしい」と続くが、こういうトリックは面白いと思う。もちろんコロナがただの風邪ではなく恐ろしい病気であることは言うまでもないが。他にもこの歌詞にはトリックがある。
wacciの「乗り越えてみせよう」の「取り合えず全部やめよう/気持ちはわかるし」も、取りあえずじゃなくて本当に危険だからだろうと突っ込み入れたくはなるが、まあそういうのも作品の面白さだ。笑って許すのが成熟した国民というものだ。
アマビエ巻九十句目。
もっこりも気にならぬ程あどけなく
冬籠る寺虹になぐさむ
二次元エロのことを「虹エロ」と表記することがある。LGBTの象徴であるレインボウとは何の関係もない。
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三表。
五十一句目。
かたびら雪は我が袖の色
ならす手の扇に風を猶待ちて 宗祇
前句の「かたびら雪」を雪のように白い帷子の袖として夏に転じる。
「ならす」は慣れること。すっかり手馴れた手つきで扇をあおぎ、白い涼しげな帷子を来て、さらに涼しい秋風が吹いてくるのを待つ。
島津注は、
手もたゆくならす扇のおき所
忘るばかりに秋風ぞ吹く
相模(新古今集)
の歌を引いている。
五十二句目。
ならす手の扇に風を猶待ちて
みどりに近く向ふ松陰 量阿
馬に乗って移動している人だろうか。扇でぱたぱたあおぎながら松陰で涼もうとする。
五十三句目。
みどりに近く向ふ松陰
散る花の水に片よる岩隠 専順
前句の「みどりに近く向ふ」を松の方に向かうというだけでなく、花が散って新緑の季節に向かうと二重の意味を持たせる。
散った花は水に落ち、やがて岩隠の方に流されてゆく。岩に松は付き物。
五十四句目。
散る花の水に片よる岩隠
さざ波立ちて蛙なくなり 行助
散る花の水に片よりいわゆる花筏になったっ所にさざなみが立てば、蛙が飛び込んだことが知られる。ただ、当時の和歌・連歌の感覚では蛙の水音ではなく、あくまで蛙の鳴き声を付ける。
芭蕉の古池の句まであと少しといった句だ。
五十五句目。
さざ波立ちて蛙なくなり
小田返す人は稀なる比なれや 弘其
そろそろ田植えの準備も整い、いまさら田んぼを耕す人もいない頃、水の張った田んぼに蛙が飛び込み鳴き声が聞こえる。
五十六句目。
小田返す人は稀なる比なれや
暮るる夜さびし岡野辺の里 慶俊
前句の「人は稀なる比」を夕暮れとする。
五十七句目。
暮るる夜さびし岡野辺の里
月遠き片山おろし音はして 宗怡
島津注は、
をかの辺の里のあるじを尋ぬれば
人は答へず山颪のかぜ
慈円(新古今集)
を引いている。
前句の「さびし」から月の出も遅く、片山おろしの音だけがする、と付ける。
五十八句目。
月遠き片山おろし音はして
まつにつけても秋ぞ物うき 紹永
「月遠し(月の出の遅い)」から「まつ(待つ)」を付け、「片山おろし」に「物うき」と四手に付ける。待つを松に掛けた展開を期待する。
五十九句目。
まつにつけても秋ぞ物うき
玉章の露の言の葉いたづらに 士沅
「待つ」と来れば恋に展開したいところだが、「松」と掛けなければという、かえって制約を課すことになってしまったか。
松に露と葉を付け、「玉章(たまづさ)」つまり手紙の露のようにはかない言の葉とする。
六十句目。
玉章の露の言の葉いたづらに
おくる日数をいつか語らん 弘仲
手紙のわずかな取り繕った言葉も空しいばかりで、こうして過ぎてゆく日々を帰ってきたときには伝えたいものだが、果してその日は来るのだろうか。
なお、三十五句目の作者は英仲ではなく弘仲でした。英仲は英、弘仲は仲、弘其は玄となっていて紛らわしい。
六十一句目。
おくる日数をいつか語らん
有増の忘れ安きを驚きて 行助
「有増(あらまし)」はこうあって欲しい、こうしたい、ということで今日の夢に近い。
ここでは「いつか語らん」がそのあらましだが、「語る」には「結ばれる」の意味もある。
いつか君のところへ行かねばと思いつつも、仕事の忙しさに忘れてしまったか、これではいけない、いつか遅くなった言い訳とともに君のところに行かなくては、とする。
六十二句目。
有増の忘れ安きを驚きて
心のみちにいづる世の中 政泰
「あらまし」は出家への思いとしてもよく用いられるので、この展開はお約束ともいえよう。「心の道」は当然ながら仏道のこと。また忘れないうちに、思い出した今出家しよう。
六十三句目。
心のみちにいづる世の中
賢きも君にひかるる山の奥 心敬
前句の「心のみち」を君子の王道とし、「いづる世の中」を世の中に出る、つまり出家ではなく出世とする。
中国では皇帝が王道を逸脱し国が乱れると忠臣は山に籠り隠士となる。そこに再び王道を復活させる名君が現れると、隠士たちは山を降りて再び仕官することを願う。
六十四句目。
賢きも君にひかるる山の奥
子日の松の幾とせか経ん 元用
前句の「君」を「君が代」とする。この時代には特定の天皇ではなく、『神皇正統記』などの影響で既に皇統一般を指していたと思われる。
「子日(ねのひ)の松」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「子の日の遊びに引く小松。
「ひきて見る―は程なきをいかで籠れる千代にかあるらむ」〈拾遺・雑春〉」
とある。正月の最初の子の日で小松を引いて新年を祝う儀式は、門松の原型ともいえる。松になぞらえて長寿を祝う。
引用されている歌は、
ひきて見る子の日の松は程なきを
いかで籠れる千代にかあるらむ
恵慶法師(拾遺集)
で、島津注は、
ゆくすゑも子の日の松のためしには
君がちとせをひかむとぞ思ふ
藤原頼忠(拾遺集)
の歌を引いている。
山の奥に隠棲する賢者も皇統の道の絶えぬことを祈り、子の日の松を引く。
それはこの後東に下り品川で、
身を安くかくし置くべき方もなし
治れとのみいのる君が代 心敬
と詠んだその心境を予言するものだったかもしれない。
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