2022年9月30日金曜日

 それでは「髪ゆひや」の巻の続き。
 二表、二十三句目。

   出合の余情春の夜の夢
 打果す野辺はあしたの雪消て   卜尺

 仇討であろう。ここで合ったが百年目。本懐を遂げた後はしばし春の夜の夢。
 二十四句目。

   打果す野辺はあしたの雪消て
 御公儀沙汰のうぐひすの声    雪柴

 前句を合法的な仇討ではなく、非合法な喧嘩での復讐とする。当然裁判になる。
 二十五句目。

   御公儀沙汰のうぐひすの声
 谷の戸に拝借米やわたるらん   正友

 拝借米はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「拝借米」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、凶作などの時に、武家や農民などが幕府や主家などから借りうけた米。」

とある。
 公儀は公事(裁判)に限らず広く公の判断を指す。ここでは拝借米の決定を指す。
 二十六句目。

   谷の戸に拝借米やわたるらん
 二度家をうつす金山       松臼

 拝借米を二重に貰おうと引っ越す奴もいたか。
 金山(かなやま)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金山」の解説」に、

 「① 金、銀などを掘り出す山。鉱山。かねやま。
  ※古事記(712)上「天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅を求きて、伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ」
  ※御湯殿上日記‐永祿七年(1564)五月一五日「あきのかな山御れう所よりかね五まい、しろかね五十まいまいる」
  ② 鉱山を開発すること。鉱山を経営すること。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)三「大事には毒断あり、美食淫乱〈略〉新田の訴詔事、金山の中間入」
  ③ (金を産出する山の意から) =かねばこ(金箱)③
  ※浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡(1712頃)上「恋風の其扇屋の金山と、名は立のぼる夕ぎりや秋の末よりぶらぶらと」

とある。ここでは③の意味で拝借米のことを金山とする。
 コロナ給付金は現代の金山か。
 二十七句目。

   二度家をうつす金山
 傾城は錦を断て恋ごろも     一鉄

 「断て」は「裁て」であろう。

 神なびのみむろの山を秋ゆけば
     錦たちきる心地こそすれ
              壬生忠峯(古今集)

の用例もある。
 傾城には金山の錦が必要なので、たびたび高価な錦を要求するが、金蔓の男は次第に貧しくなってそのたび家を売って引っ越す。
 二十八句目。

   傾城は錦を断て恋ごろも
 然ば古歌を今ぬめりぶし     松意

 紅葉の錦を詠んだ古歌はたくさんあるが、傾城の錦を詠むのは遊郭ではやるにぬめり節だ。
 二十九句目。

   然ば古歌を今ぬめりぶし
 鬼神もころりとさせん付ざしに  志計

 付(つけ)ざしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。
  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

とある。
 ここでは酒であろう。今でも「鬼ごろし」という酒があるが、鬼は酒に酔わせて酔っ払ったところを退治する。
 『古今集』仮名序に「めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ」とある。遊女の付ざしとぬめり節は鬼のような男もころッとさせる。
 三十句目。

   鬼神もころりとさせん付ざしに
 あるひは巌をまくら問答     一朝

 ころっと寝転がった鬼だから岩を枕にする。
 枕問答は男女の枕を共にするかどうかの歌による問答。
 三十一句目。

   あるひは巌をまくら問答
 山道や末口ものの手木つかひ   雪柴

 山で梃子を使う時は岩を支点にする。前句の枕問答はどの岩を枕にするかの議論になる。
 末口ものはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「末口物」の解説」に、

 「〘名〙 材種の一つ。産地と市場とではその規格を異にしたが、一般には長さ四間以上、末径一尺五寸以上の皮剥(かわはぎ)丸太をいう。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「あるひは巖をまくら問答〈一朝〉 山道や末口ものの手木つかひ〈雪柴〉」

とある。
 三十二句目。

   山道や末口ものの手木つかひ
 たばこのけぶりみねのしら雲   在色

 山林の労働者であろう。
 峰の白雲は、

 高砂の峰の白雲かかりける
     人の心をたのみけるかな
              よみ人しらず(後撰集)
 あしひきの山の山鳥かひもなし
     峰の白雲たちしよらねは
              藤原兼輔(後撰集)

など、和歌によく用いられる。
 三十三句目。

   たばこのけぶりみねのしら雲
 籠鳥の羽虫をはらふ松の風    正友

 籠の鳥も毛づくろいしているように、籠の鳥のような雇われ者も煙草を吸って一休みする。
 峰に松風は、

 みじか夜のふけゆくままに白妙の
     峰の松風ふくかとぞきく

など多くの歌に詠まれている。
 三十四句目。

   籠鳥の羽虫をはらふ松の風
 月は軒端にのこる朝起      卜尺

 山雀など鳥の芸を見世物とする人として、朝早く仕事に向かう。
 月に松風は、

 ながむればちぢにもの思ふ月にまた
     我が身ひとつの嶺の松風
              鴨長明(新古今集)

などの歌に詠まれている。
 三十五句目。

   月は軒端にのこる朝起
 露霜の其色こぼす豆腐箱     松臼

 前句を豆腐屋とする。豆腐箱からこぼれる露も冷たい。豆腐箱は豆腐を作る時の型で、水が切れるように穴が開いている。
 月に露霜は、

 露霜の夜半に起きゐて冬の夜の
     月見るほどに袖はこほりぬ
              曽禰好忠(新古今集)

などの歌に詠まれている。
 三十六句目。

   露霜の其色こぼす豆腐箱
 小鹿の角のさいの長六      一鉄

 サイコロで六は偶数なので長になる。鹿の角を材料として作られてたりする。
 豆腐箱は水切の穴は横に六つ開いているものが多い。
 露霜に鹿は、

 妻こひに鹿鳴く山の秋萩は
     露霜寒みさかりすぎゆく
              高円広世(玉葉集)

などの歌に詠まれている。

2022年9月29日木曜日

 サイバーカスケードだとかエコーチェンバーだとか言うのは別に新しい現象ではなく、昔から偉くなるとそれを慕う取り巻きができて、気が付いたらイエスマンばかりで世辞や追従ばかり、悪い情報は耳に入らないようにして、良い情報ばかりを誇張して伝えるようになる。今はそれをAIがやっているだけだ。
 ツイッターも結局フォロワーが増えるとフォロワーのいいねの声しか聞こえなくなるんだろう。だからフォロワー数の多い奴ほどバカな発言を繰り返す。

 それでは「髪ゆひや」の巻の続き。

初裏

九句目

   茶弁当よりうき雲の空
 小坊主の袖なし羽織旅衣     一鉄

 袖なし羽織はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖無羽織」の解説」に、

 「〘名〙 表衣の上に着用する袖のない羽織。袖無し。また、陣羽織。《季・冬》
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「茶弁当よりうき雲の空〈松意〉 小坊主の袖なし羽織旅衣〈一鉄〉」

とある。この場合の小坊主は前句の「茶弁当」を受けて、大名や諸役人などの給仕を行う茶坊主になる。剃髪はしていても僧ではなく武士で、袖なし羽織と旅衣とする。
 大名行列では大きな茶弁当箱で茶弁当を運び、茶坊主も従う。

十句目

   小坊主の袖なし羽織旅衣
 川御座下すあとのしら波     執筆

 川御座は川御座船でコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「川御座船」の解説」に、

 「航海用の海御座船に対して,河川のみで使用する近世大名のお召し船。江戸時代では,幕府と中国・西国筋の諸大名が大坂に配備したものが代表的で,参勤交代のときや朝鮮使節,琉球使節の江戸参府のおり,淀川の上り下りに使用された。また大名が国元の河川で海御座船までの航行に使うものもあった。一般に喫水の浅い川船に,2階造りの豪華な屋形を設け,船体ともに朱塗りとした優美な屋形船で,特に幕府の『紀伊国丸』や『土佐丸』は,大型のうえに絢爛豪華な装飾もあって,川御座船の典型とされた。」

とある。
 茶坊主は川御座船にも乗り込み、白い航跡を残して通り過ぎて行く。
 「あとのしら波」は、

 世の中をなににたとへむあさぼらけ
     こぎゆく舟のあとのしら浪
              沙弥満誓(拾遺集)

など、和歌によく用いられる。

十一句目

   川御座下すあとのしら波
 夕涼み淀のわたりの蔵屋敷    志計

 川御座船は大阪の淀川で使用されるものが多く、淀川沿いの蔵屋敷の夕涼みを付ける。

 ふりにけり昔をとへば津の国の
     長柄の橋のあとのしらなみ
              順徳院兵衛内侍(建保名所百首)

 長柄の橋は淀川の今の長柄橋付近にあったという。

十二句目

   夕涼み淀のわたりの蔵屋敷
 いて来し手かけと月を見る也   一朝

 手かけはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手掛・手懸」の解説」に、

 「① 手をかけておくところ。椅子(いす)などの手をかけるところ。
  ② 器具などの、持つのに便利なようにとりつけたあなや金物。
  ③ みずから手を下して扱うこと。自分で事に当たること。
  ※毎月抄(1219)「難題などを手がけもせずしては、叶ふべからず」
  ④ (手にかけて愛する者の意から。「妾」とも書く) めかけ。そばめ。側室。妾(しょう)。てかけもの。てかけおんな。てかけあしかけ。
  ※玉塵抄(1563)二一「武士が死る時にその手かけの女を人によめらせたぞ」
  ※仮名草子・恨の介(1609‐17頃)上「さて秀次の〈略〉、御てかけの上臈を車に乗せ奉り」
  ⑤ 正月に三方などに米を盛り、干柿、かち栗、蜜柑(みかん)、昆布その他を飾ったもの。年始の回礼者に出し、回礼者はそのうちの一つをつまんで食べる。あるいは食べた心持で三方にちょっと手をかける。食いつみ。おてかけ。てがかり。蓬莱(ほうらい)飾り。〔随筆・貞丈雑記(1784頃)〕
  [語誌](④について) 律令時代には「妾」が二親等の親族として認められており、「和名抄」では「乎無奈女(ヲムナメ)」と訓読されている。中世には「おもひもの」の語が妾を指したらしいが、室町以降「てかけ」が一般の語となり、「そばめ」、「めかけ」などの語が使われるようになった。」

とある。ここでは④の意味で「目かけ」と同じ。蔵屋敷の金持ちなら妾くらいはいる。妾と月見の夕涼みだなんて、ちくしょうこの野郎というところか。
 淀の渡り月は、

 高瀬さす淀の渡りの深き夜に
     川風寒き秋の月影
              二条為氏(新拾遺集)
 山城のとはにあひみる夜はの月
     よどの渡に影ぞふけ行く
              花山院師継(宝治百首)

などの歌に詠まれている。

十三句目

   いて来し手かけと月を見る也
 大分のかねことの末鴈の声    雪柴

 大分は「おほかた」とルビがある。
 「かねこと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「予言・兼言」の解説」に、

 「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。
  ※後撰(951‐953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」
  ※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」

とある。
 結婚の時の君だけだよなんて約束は大体空しいもので、妾と月を見に行っている。
 月に雁は、

 さ夜なかと夜はふけぬらし雁金の
     きこゆるそらに月わたる見ゆ
              よみ人しらず(古今集)
 大江山かたぶく月の影冴えて
     とはたのおもに落つる雁金
              慈円(新古今集)

など多くの歌に詠まれている。

十四句目

   大分のかねことの末鴈の声
 勘当帳に四方の秋風       卜尺

 勘当帳はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「勘当帳」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、親が子を勘当したことを記載する公儀の帳簿。勘当を公式に行なうためには、武士は管轄の奉行に願い出、町人は、勘当申立人である親が、町中五人組に申し出、五人組その他町役人と同道で町奉行所に出頭して、これに登録することが必要であった。勘当取消しも同様の手続きをした。記録しないものは内証勘当という。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「大分のかねことの末鴈の声〈雪柴〉 勘当帳に四方の秋風〈卜尺〉」

とある。
 前句の「かねこと」を大方の予想どうりと取り成す。
 秋風に鴈は、

 秋風に初雁金ぞ聞こゆなる
     誰がたまづさをかけて来つらむ
              紀友則(古今集)
 秋風にさそはれわたる雁がねは
     雲ゐはるかにけふぞきこゆる
              よみ人しらず(後撰集)

などの歌に詠まれている。

十五句目

   勘当帳に四方の秋風
 町中を以碪の小袖ごひ      松臼

 町中は「ちやうぢう」とルビがある。
 袖こひはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖乞」の解説」に、

 「〘名〙 (自分の袖を広げて物を乞うことの意) こじきをすること。また、こじき。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「往来の人に袖乞(ソテゴイ)して」

とある。
 前句の秋風から李白の「子夜呉歌」の「長安一片月 萬戸擣衣声 秋風吹不尽」をイメージして、町中が砧を打つ中を袖乞いして歩く。

十六句目

   町中を以碪の小袖ごひ
 十市の里の愚僧也けり      在色

 前句を乞食僧とする。
 十市(とをち)に砧は、

 ふけにけり山の端近く月冴えて
     十市の里に衣打つ声
              式子内親王(新古今集)

の歌がある。

十七句目

   十市の里の愚僧也けり
 眼玉碁盤にさらして年久し    松意

 眼玉は「まなこだま」とルビがある。
 仏道修行よりも囲碁にはまって年を取ってしまった。碁の名人になるならいいが、当時は賭け碁も盛んだった。

十八句目。

   眼玉碁盤にさらして年久し
 どつとお声をたのむ蜘舞     正友

 蜘蛛舞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蜘蛛舞」の解説」に、

 「〘名〙 綱渡りなどの軽業(かるわざ)。また、その軽業師。
※多聞院日記‐天正一三年(1585)三月一六日「於二紀寺一十一日よりくもまい在レ之」
[補注]「書言字考節用集‐四」に「都廬 クモマヒ〔文選註〕都廬国名有二合浦南一〔漢書註〕都廬国人勁捷善縁レ高有二跟掛腹旋之名一」とあり、軽業師の意はここから出たものか。」

とある。
 これは相対付けであろう。祭の日は碁盤を睨んでじっとしている博徒の横で蜘蛛舞が行われてたりする。

十九句目

   どつとお声をたのむ蜘舞
 旦那方まさるめでたき猿回し   一朝

 猿に綱渡りをさせる芸か。句は猿引きの口上になる。「まさる」に「さる」を掛けている。

二十句目

   旦那方まさるめでたき猿回し
 常風呂立て湯女いとまなし    一鉄

 常風呂はいつでも入れる風呂ということで温泉だろうか。湯女は忙しそうで、まるで猿回しの猿のように落ち着かない。
 湯女(ゆな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湯女」の解説」に、

 「① 温泉宿にいて入浴客の世話や接待をする女。有馬にいたものが有名。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)三「此徒(いたづら)、津の国有馬の湯女(ユナ)に替る所なし」
  ② 江戸・大坂などの風呂屋にいた一種の私娼。
  ※慶長見聞集(1614)四「湯女と云て、なまめける女ども廿人、三拾人ならび居てあかをかき髪をそそぐ」

とある。

二十一句目

   常風呂立て湯女いとまなし
 伽羅の香に心ときめく花衣    在色

 湯女は娼婦なので、伽羅の香を焚いて華やかな着物を着ている。

二十二句目

   伽羅の香に心ときめく花衣
 出合の余情春の夜の夢      志計

 春の夜とくれば、

 春の夜の夢の浮橋とだえして
     峰にわかるる横雲の空
              藤原定家(新古今集)

 雲のように儚く消えてゆく。

2022年9月28日水曜日

 闇雲な統一教会叩きで議論が変な方向に行っているが、少なくとも宗教団体が寄付を集めることには何の問題もない。霊感商法など詐欺行為が問題なだけというのははっきりさせておかなくてはならない。
 宗教団体もNGOや政治団体同様、活動するためには資金がいる。NGOや政治団体が寄付を募るのが正当であると同様に、宗教団体が寄付を募るのも正当な行為としなければならない。
 自発的に家族を犠牲にして過度な献金をするような例は、宗教団体に限らず存在する。その家庭に育った者の悲惨さは言うまでもない。だが、寄付そのものを罰するなら、日本共産党だって活動できないだろう。まあ、例によって左翼の寄付は良い寄付、右翼の寄付は悪い寄付という議論はあるだろうけど。
 宗教が金がかかるのは当たり前のことで、それはまず宗教者を食わせていかなくてはならないからだ。NGOだってあれほどしつこく寄付の手紙が来るのは、NGO職員だって霞を食って生きてるんじゃないからだ。人を救うには金が要る。これは古今東西の普遍的真理だ。
 金を払うのが嫌ならまず教団に入らないことだ。宗教が純粋に心の問題だというなら、教団は必要ない。各自勝手に自分の信じる道を行けばいい。

 それでは次は松意編延宝三年刊の『談林十百韻』から、第六百韻を。

 発句。

 髪ゆひや鶏啼て櫛の露      一朝

 髪結いを職業としている人は鶏が鳴く頃に起きて櫛の露を払う。貧しい人の生活を後朝を俤にして哀れに描き出している。
 髪結(かみゆひ)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「髪を結う職人。平安・鎌倉時代には男性は烏帽子(えぼし)をかぶるために簡単な結髪ですんでいたが,室町後期には露頭(ろとう)や月代(さかやき)が一般的になり,そのため,結髪や月代そりを職業とする者が現れた。別に一銭剃(いっせんぞり),一銭職とも呼ばれたが,これは初期の髪結賃からの呼称とされる。また取りたたむことのできるような簡略な仮店(〈床〉)で営業したことから,その店は髪結床(かみゆいどこ),〈とこや〉と呼ばれた。近世には髪結は主に〈町(ちょう)抱え〉〈村抱え〉の形で存在していた。三都(江戸・大坂・京都)では髪結床は,橋詰,辻などに床をかまえる出床(でどこ),番所や会所の内にもうける内床があるが(他に道具をもって顧客をまわる髪結があった),ともに町の所有,管理下におかれており,江戸で番所に床をもうけて番役を代行したように,地域共同体の特定機能を果たすように,いわば雇われていた。そのほか髪結には,橋の見張番,火事の際に役所などに駆け付けることなどの〈役〉が課されていた。さらに髪結床は,《浮世床》や《江戸繁昌記》に描かれるように町の社交場でもあった。なお,女の髪を結う女髪結は,芸妓など一部を除いて女性は自ら結ったことから,現れたのは遅く,禁止されるなどしたが,幕末には公然と営業していた。」

とある。全部ではないにせよ被差別民がやる場合が多かったのではないかと思う。
 鶏は、

 にはとりにあらぬねにても聞こえけり
     明け行くときは我も泣きにき
              伊勢(伊勢集)

など、和歌に詠まれている。
 脇。

   髪ゆひや鶏啼て櫛の露
 口すすぎする手盥の月      志計

 手盥はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手盥」の解説」に、

 「〘名〙 手や顔などを洗うのに用いる小さい盥。ちょうずだらい。
  ※俳諧・当世男(1676)付句「手だらひ程に見ゆる湖 鏡山いざ立よりて髭そらん〈宗因〉」

とある。
 水に映る月は猿が手を伸ばす月のように叶わぬ思いを暗示させる。発句・脇ともに日常の中に古典風雅の心を隠し持っている。
 月に露は、

 風吹けば玉散る萩のした露に
     はかなくやどる野辺の月かな
              藤原忠通(新古今集)    

など数々の和歌に詠まれている。
 第三。

   口すすぎする手盥の月
 秋の夜に千夜を一夜の大酒に   卜尺

 前句を二日酔いの朝とする。月下独酌の李白も二日酔いしたのだろうか。
 「千夜を一夜」は『伊勢物語』二十二段に、

 秋の夜の千夜を一夜になずらへて
     八千代し寝ばや飽く時のあらむ

の歌による。
 四句目。

   秋の夜に千夜を一夜の大酒に
 詞のこりて意趣となりけん    雪柴

 同じ『伊勢物語』二十二段に先の歌の返しで、

 秋の夜の千夜を一夜になせりとも
     ことば残りて鳥や鳴きなむ

の歌がある。
 意趣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「意趣」の解説」に、

 「① 心のむかうところ。意向。考え。仏教では仏の説法によって、平等意趣、別時意趣、別義意趣、補特伽羅(ふどがら)意楽意趣の四つを立てる。
  ※今昔(1120頃か)六「能尊王〈略〉事の趣きを問ひ給ふ。聖人、意趣を具(つぶさ)に語り給ふ」 〔法華経‐方便品〕
  ② 言わんとすること。意味。
  ※敬説筆記(18C前)「格物致知の詳なること、敬の意趣、『或問』に於て詳に著し」
  ③ わけ。理由。事情。〔吾妻鏡‐四・文治元年(1185)五月二四日〕
  ※浄瑠璃・堀川波鼓(1706頃か)下「神妙に意趣をのべ物の見事に討たんずる」
  ④ 周囲の事情からやめられないこと。ゆきがかり。また、どうしてもやりとおそうとする気持。意地。
  ※金刀比羅本保元(1220頃か)下「大臣は此の世にても、随分意趣(イシュ)深かりし人なれば、苔の下迄さこそ思はるらめ」
  ⑤ 人を恨む心があること。恨みが心に積もること。また、その心。遺恨。
  ※江談抄(1111頃)二「貞信公与二道明一有二意趣一歟」
  ⑥ =いしゅがえし(意趣返)
  ※読本・椿説弓張月(1807‐11)後「父の意趣(イシュ)を遂(とげ)」

とある。⑤の意味であろう。酔っ払ってとんでもないことを言ってしまったか。
 五句目。

   詞のこりて意趣となりけん
 馬士は二疋があひにだうど落   在色

 馬士は「うまかた」とルビがある。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『忠度』の、

 「岡部の六弥太忠澄と名乗つて、六七騎が間追つかけたり。これこそ望む所よと思ひ、駒の手綱を引つ返せば、六弥太やがてむずと組み、両馬が間にどうど落つ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.16353-16360). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 荷主とのトラブルだろうか。
 六句目。

   馬士は二疋があひにだうど落
 そこのきたまへみだけ銭あり   松臼

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は同じ謡曲『忠度』の、

 「今は叶はじと思し召して、そこのき給へ人人よ西拝まんと宣ひて、光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひし に、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.16368-16375). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 「みだけ銭(ぜに)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乱銭」の解説」に、

 「〘名〙 銭緡(ぜにさし)に通さないで取り散らしてある銭。ばら銭。みだけぜに。みだれぜに。
  ※狂言記・緡縄(1660)「いや、なにかはしらず、座敷はみたし銭(セニ)で、山のごとくぢゃ」

とある。
 馬士が倒れると懐に入れてあった銭があたりに散らばり、野次馬が拾おうと集まってくるので追払う。
 七句目。

   そこのきたまへみだけ銭あり
 追出しの芝ゐ過行夕嵐      正友

 「追出しの芝ゐ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出芝居」の解説」に、

 「芝居などで、番組の最後の出し物。軽くにぎやかな狂言。総踊りなど。これが終わると見物を場外へ出すことからいう。」

とある。観客が出口に嵐のように殺到して身動きが取れなくなる。誰かが、「そこに銭が落ちている」と言って、「どこどこ」と言いながら場所が開いた所を通り抜ける。
 夕嵐は、

 立ちのぼる月のたかねの夕嵐
     とまらぬ雲を猶はらふなり
              藤原定成(玉葉集)

などの歌に詠まれている。
 八句目。

   追出しの芝ゐ過行夕嵐 
 茶弁当よりうき雲の空      松意

 茶弁当はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「茶弁当」の解説」に、

 「〘名〙 物見遊山などのときの携帯用につくられた茶の風炉。また、それを担って歩く下僕。提げ重などと一荷にして持ち運んだ。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「茶弁当(チャヘントウ)をまねき、湯をまいるのよし」

とある。
 前句の夕嵐を本当の嵐が来そうだということで、茶弁当のことよりも空の雲行が気になる。

2022年9月27日火曜日

 ムン・ソンミョンの考え出した集団結婚というシステムは、基本的には恋人・親友などの特別の人を作ることが差別につながるという、極端なリベラル派が主張していることと根が同じなんだと思う。
 家族の基本となる夫婦をいかなる差別もなく選ぶということになると、結局ああいうシステムになる。恋愛結婚に伴うルッキズムや年齢差別など問題を克服できるし、結婚相手に人種や階級や被差別民差別も防げる。
 そういうわけで、あの手の宗教の主張は、左右問わずにリベラル派との親和性が高いんではないかと思う。筆者とは間違っても相容れないけどね。
 まあ、今の世界平和統一家庭連合は昔とはだいぶ違って丸くなったという。
 そのうちどこかの宗教団体がムン・ソンミョンの思想をもっと過激にして、男女関係なくカップリングするジェンダーフリーの集団結婚を始めるかもしれない。まあ、はっきり言ってディストピアだね。
 あとまあ、例の葬式は無事に終わったようで何よりだ。

 それでは「秋の空」の巻の続き。挙句はなく、三十二句目まで。

 二十五句目。

   帯ときながら水風呂をまつ
 君来ねばこはれ次第の家となり  其角

 壊れ次第の家というと『源氏物語』蓬生を思わせる。当時は水風呂の習慣がなかったから、これは今風に作り変えたもので、水風呂は寺などに多いが、庶民の物としては贅沢という所からの発想であろう。
 二十六句目。

   君来ねばこはれ次第の家となり
 稗と塩との片荷つる籠      孤屋

 塩売は内陸部に塩を売りに旅をする。その先々に女がいてもおかしくない。
 塩売が通って来るから何とか稗飯を食いながら暮らしているが、来なくなったらどうしていいやら。
 「片荷つる」は『芭蕉七部集』の中村注に、「片方の荷が重くて平衡を失うこと」とある。塩は重く稗は軽い。
 筆者は実際運送の仕事をしていたからわかるが、塩はめちゃ重い。
 二十七句目。

   稗と塩との片荷つる籠
 辛崎へ雀のこもる秋のくれ    其角

 志賀辛崎の冬は厳しく、

 さざなみや志賀の辛崎風さえて
     比良の高嶺に霰降るなり
              藤原忠通(新古今集)
 冬寒み比良の高嶺に月さえて
     さざなみ凍る志賀の辛崎
              後鳥羽院(正治初度百首)

などの歌にも詠まれている。
 志賀の辛崎を行く塩売も秋の暮ともなれば辛そうだ。
 二十八句目。

   辛崎へ雀のこもる秋のくれ
 北より冷る月の雲行       孤屋

 辛崎に凍月は付き物と言って良い。「北より冷る」は比良の嶺を吹き下ろす風を言う。雲は時雨の雲であろう。
 二十九句目。

   北より冷る月の雲行
 紙燭して尋て来たり酒の銭    其角

 北風の冷たい寒い夜、月も雲に隠れたのにわざわざ紙燭を灯して酒を買いに来る人がいる。俗世の辛いことを思い出して眠れない隠士だろうか。
 三十句目。

   紙燭して尋て来たり酒の銭
 上塗なしに張てをく壁      孤屋

 粗壁(あらかべ)のまま、ということだろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粗壁」の解説」に、

 「〘名〙 粗塗(あらぬり)をしただけで、仕上げをしていない壁。しっくい塗りや砂壁などの下地となる。
  ※俳諧・ひさご(1690)「火を吹て居る禅門の祖父(ぢぢ)〈正秀〉 本堂はまだ荒壁のはしら組〈珍碩〉」

とある。
 酒ばかり飲んでいたので塀が完成する前に金がなくなったか。まあ、ある意味コンクリートの打ちっ放しみたいにお洒落かもしれないが。
 二裏、三十一句目。

   上塗なしに張てをく壁
 小栗読む片言まぜて哀なり    其角

 小栗判官は説教節だが延宝三年に出版された正本版もあった。
 田舎暮らしの隠士が、子供たちを集めて小栗判官の読み聞かせをやったのだろう。本に書かれた都言葉に土地の方言を交えながら語る姿は、いかにも辺鄙な地に来てしまったという哀愁を漂わせる。
 三十二句目。

   小栗読む片言まぜて哀なり
 けふもだらつく浮前のふね    孤屋

 浮前(うけまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮前」の解説」に、

 「〘名〙 船出の前。また、船が陸に引き揚げられていること。
  ※俳諧・炭俵(1694)下「小栗読む片言まぜて哀なり〈其角〉 けふもだらつく浮前(ウケマヘ)のふね〈孤屋〉」

とある。
 天候のせいか何かでなかなか船が出ないのだろう。小栗判官を読むが言葉がよくわからない。

2022年9月26日月曜日

 国葬が明日だと思うと、何だかオリンピックの前日みたいだが、あの時と一緒でコアに反対を煽っている連中はそんな多くはない。ただ、この連中はオリンピックと同様、何年たってもねちねち言い続けるんだろうな。ご苦労なこってす。
 世界がやがて一つになる、一つになるべきだという人たちの観点に立つと、ウクライナも早かれ遅かれ消えなければならない国家という位置づけになる。まあ、日本と同様にね。
 つまり、アメリカに吸収されるのかロシアに吸収されるのかという視点でしか考えてないため、どうせどっちかに吸収されてウクライナは永遠に世界から消えることになるのだから、抵抗せずに早く吸収されちまいなよ、という論理になる。(当然日本についてもそう考えている。)
 国が消滅しないように守るということ自体が、多くの国民を命の危険にさらすという論理では、安倍さんもゼレンスキーさんも一緒なんだろうし、中国が最後に勝つと考えている人からすればプーちんも売電さんも含めてみんな一緒ということなんだろう。
 こういう論理は左翼だけでなくリベラルにも浸透している。そこが一番厄介な所だ。自民党のリベラル派も信用できない。中国が世界の覇者になった時のための保険を掛けようとしている。
 まあ、とにかく、世界を一つにしようなんて幻想、もうやめようよ。世界が一つになるわけないんだよ。俺とアンタが一つになるなんて嫌だろっ?
 それでは「秋の空」の巻の続き。

 十三句目。

   道者のはさむ編笠の節
 行燈の引出さがすはした銭    孤屋

 順礼僧が托鉢に来たので、行燈についている引き出しからはした銭を渡すということか。
 十四句目。

   行燈の引出さがすはした銭
 顔に物着てうたたねの月     其角

 昼寝しているのをいいことに、勝手に行燈の引き出しから銭を持って行く。
 十五句目。

   顔に物着てうたたねの月
 鈴繩に鮭のさはればひびく也   孤屋

 鈴繩は『芭蕉七部集』の中村注に『標註七部集稿本』(夏目成美著、文化十三年以前成立)の引用し、「鮭をとるには川中に竹を立て水をせく。是をトメといふ。その側に網をはり鈴を付置きて魚のあみに入りたるを知る也。」とある。今でも釣り竿に鈴をつけてアタリ取りに用いるが、それに似ている。
 網を仕掛けてなかなかかからずに寝てしまった漁師に、鮭がかかったのを知らせる。
 十六句目。

   鈴繩に鮭のさはればひびく也
 鴈の下たる筏ながるる      其角

 鮭を取っているとそれを横取りしようと鴈(ガン)がやってくるが、筏に乗ってくるところが一つの取り囃しだ。
 十七句目。

   鴈の下たる筏ながるる
 貫之の梅津桂の花もみぢ     孤屋

 『芭蕉七部集』の中村注は『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)により、紀貫之の大井川御幸和歌序を引いている。『古今著聞集』巻第十四遊覧廿二にあるもので、Wikisuourceから引用する。

 「あはれわが君の御代、なが月のこゝぬかと昨日いひて、のこれる菊見たまはん、またくれぬべきあきをおしみたまはんとて、月のかつらのこなた、春の梅津より御舟よそひて、わたしもりをめして、夕月夜小倉の山のほとり、ゆく水の大井の河邊に御ゆきし給へば、久かたの空には、たなびける雲もなく、みゆきをさぶらひ、ながるゝ水ぞ、そこににごれる塵なくて、おほむ心にぞかなへる。いま御ことのりしておほせたまふことは、秋の水にうかびては、ながるゝ木葉とあやまたれ、秋の山をみれば、をりひまなき錦とおもほえ、もみぢの葉のあらしにちりて、もらぬ雨ときこえ、菊の花の岸にのこれるを、空なる星とおどろき、霜の鶴河邊にたちて雲のおるかとうたがはれ、夕の猿山のかひになきて、人のなみだをおとし、たびの雁雲ぢにまどひて玉札と見え、あそぶかもめ水にすみて人になれたり。入江の松いく世へぬらん、といふ事をぞよませたまふ。我らみじかき心の、このもかのもとまどひ、つたなきことの葉、吹風の空にみだれつゝ、草のはの露ともに涙おち、岩波とゝもによろこぼしき心ぞたちかへる。このことの葉、世のすゑまでのこり、今をむかしにくらべて、後のけふをきかん人、あまのたくなわくり返し、しのぶの草のしのばざらめや。」

 大井川は今の桂川で嵯峨野の南、松尾大社の対岸の辺りになる。
 貫之ではないが、

 久方の月の桂も秋は猶
     もみちすれはやてりまさるらむ
              壬生忠峯(古今集)

の歌もあり、月にある伝説の桂の木も紅葉すれば光輝く。それを紅葉の名所桂川に掛けているわけだが、花の定座なので「花もみぢ」とする。
 十八句目。

   貫之の梅津桂の花もみぢ
 むかしの子ありしのばせて置   其角

 紀貫之には土佐守として赴任していた時に子供を亡くし、

 みやこへと思ふ心のわびしきは
     かへらぬ人のあればなりけり

と詠んだという伝承が『今昔物語』にある。
 梅津桂の花紅葉を見ても、その子を偲び、悲しくなる。
 二表、十九句目。

   むかしの子ありしのばせて置
 いさ心跡なき金のつかひ道    其角

 「いさ心」は「いさ心も知らず」の略か。子供が亡くなって、残す必要もなくなった財産をどうしようか。
 二十句目。

   いさ心跡なき金のつかひ道
 宮の縮のあたらしき内      孤屋

 縮(ちぢみ)は縮み織りのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縮織」の解説」に、

 「〘名〙 織地の一つ。よりの強い緯(よこいと)を用い、織り上げた後に温湯の中でもんで処理してしわ寄せをしてちぢませた織物。絹、木綿、麻のものがあり、明石産や小千谷(おぢや)産のものが有名。夏の服装に多く用いられる。縮地。ちぢみ。」

とある。『芭蕉七部集』の中村注に「近江国犬上郡高宮の名産高宮縮」とある。近江ちぢみのことであろう。
 高宮は高宮布が名産品で、貝原益軒の『東路記』にも「高宮の町に、布を多くうる。」とある。
 高宮布はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高宮布」の解説」に、

 「〘名〙 滋賀県彦根市高宮付近で産出される麻織物。奈良晒(ならざらし)の影響を受けてはじめられ、近世に広く用いられた。高宮。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

とある。この麻織物は生平(きびら)とも呼ばれ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生平・黄平」の解説」に、

 「〘名〙 からむしの繊維で平織りに織り、まだ晒(さら)してないもの。上質であるため、多く帷子(かたびら)や羽織に用いる。滋賀県彦根市高宮付近から多く産出した。大麻の繊維を用いることもある。《季・夏》
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「生平のかたびら添てとらすべし」」

とある。近江ちぢみはそれを発展させたもので、麻で織る。
 前句の「いさ心跡なき」を心の跡を残すことなき(思い残すことのない)という意味に取り成して、新しい近江ちぢみの服を仕立てる。
 二十一句目。

   宮の縮のあたらしき内
 夏草のぶとにさされてやつれけり 其角

 「ぶと」はブヨ(ブユ)のこと。夏の頃の前の頃にはブヨも出てくる。
 二十二句目。

   夏草のぶとにさされてやつれけり
 あばたといへば小僧いやがる   孤屋

 ブヨに刺されただけなのに天然痘のあばた(いも)と間違えられるのが苦痛。
 二十三句目。

   あばたといへば小僧いやがる
 年の豆蜜柑の核も落ちりて    其角

 節分の豆まきをする頃に、正月飾りのミカンのヘタが落ちて窪みだけになっていて、それをあばただと言ってあばたのある小僧をいじったりする。
 二十四句目。

   年の豆蜜柑の核も落ちりて
 帯ときながら水風呂をまつ    孤屋

 帯を解いて服を脱ぐと、一緒に豆まきの豆やミカンのヘタが落ちる。

2022年9月25日日曜日

 今日は晴れた。たばこ祭行ってきた。クラフトビールのHANOCHAも飲めた。
 来年はもっとゆっくり見て回って、食べ歩きとかもしたいな。

 さて、次の俳諧は同じ『炭俵』から、其角・孤屋両吟。
 発句。

 秋の空尾上の杉に離れたり    其角

 「尾上の松」は名所だが、ここはただの杉で旅体と見ていいだろう。秋の変わりやすい空模様に無事に峠を越え、尾上の杉のもとを離れる。
 元禄六年八月二十九日に其角は父の東順を亡くしている。そんな死出の旅路に思いを馳せていたのかもしれない。
 脇。

   秋の空尾上の杉に離れたり
 おくれて一羽海わたる鷹     孤屋

 人も旅するように、鷹もまた海を渡って行く。発句に特に何か寓意を読むわけでもなく、軽く景を付けるが、「海わたる鷹」に孤独な旅を暗示させている。
 第三。

   おくれて一羽海わたる鷹
 朝霧に日雇揃る貝吹て      孤屋

 日雇(ひよう)は港の人足であろう。船が入るというのでほら貝を吹いて召集する。遅れて鷹も一羽飛来する。
 四句目。

   朝霧に日雇揃る貝吹て
 月の隠るる四扉の門       其角

 前句の日雇が大勢集まるような場所ということで、月も隠れるような大きな門で、扉が四枚もある、とする。実際そういう門があるのかどうかはよくわからない。
 五句目。

   月の隠るる四扉の門
 祖父が手の火桶も落すばかり也  其角

 祖父には「ぢぢ」とルビがある。
 四扉の門は『芭蕉七部集』の中村注に、「二枚を蝶番いでくくったのを双方から合わせた門の扉」とある。
 ここでは月の隠れるようなもんではなく、月が隠れて暗くなった四扉の門で、小さの隠居所の門であろう。寒くて火桶を近くに置こうとするが、ちょっと持ち上げては落してヲ繰り返す。
 六句目。

   祖父が手の火桶も落すばかり也
 つたひ道には丸太ころばす    孤屋

 よろよろとした爺さんは火桶を持とうとすると落すし、細い山道を行けば丸太で転ぶ。
 初裏、七句目。

   つたひ道には丸太ころばす
 下京は宇治の糞舩さしつれて   孤屋

 前句の「丸太ころばす」を重いものを移動させる際の丸太を倒して並べておくことと取り成し、宇治に肥料用の糞(こえ)を運ぶ船を陸に上げる。
 下京の糞便は宇治に運ばれて肥料として利用されてたようだ。
 八句目。

   下京は宇治の糞舩さしつれて
 坊主の着たる蓑はおかしき    其角

 京はお坊さんの多い所だが、寺の便所の糞便を運ぶときは蓑を着ていたのだろうか。
 九句目。

   坊主の着たる蓑はおかしき
 足軽の子守して居る八つ下り   孤屋

 八つの下刻というと春分秋分の頃なら午後二時過ぎの昼下がり。見た目は厳つい足軽も子守をしている。
 坊主の蓑の不釣り合いに、足軽の子守の不釣り合いを付ける相対付けになる。
 十句目。

   足軽の子守して居る八つ下り
 息吹かへす霍乱の針       其角

 霍乱(かくらん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「霍乱」の解説」に、

 「〘名〙 (「きかくりょうらん(揮霍撩乱)」の略。もがいて手を激しく振り回す意から) 暑気あたりによって起きる諸病の総称。現在では普通、日射病をさすが、古くは、多く、吐いたりくだしたりする症状のものをいう。今日の急性腸カタルなどの類をいったか。《季・夏》
  ※正倉院文書‐宝亀三年(772)五月・田部国守解「以二国守当月十四日霍乱一、起居不レ得」
  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「夏くはくらんを患ひてせんかたなく、衣を壱匁八分の質に置けるが」 〔漢書‐厳助伝〕」

とある。必ずしも霍乱=日射病ではないようだ。針を打って治す。
 十一句目。

   息吹かへす霍乱の針
 田の畔に早苗把て投て置     孤屋

 田植の最中に熱中症で倒れたが、大事な早苗は畔に投げて水に浸からないようにする。
 十二句目。

   田の畔に早苗把て投て置
 道者のはさむ編笠の節      其角

 「編笠の節」は『芭蕉七部集』の中村注に、「小唄の編笠節。はさむは順礼が御詠歌の間にはさんで歌う意。」とある。「歌謡遺産 歌のギャラリー」というブログによると、天正から慶長の頃にはやった小唄で、一節切(ひとよぎり)に合わせて唄ったという。
 百姓が田植をする中を順礼の僧が古い小唄を口ずさみながら通り過ぎて行く。

2022年9月24日土曜日

 明日はたばこ祭見に行こうかな。台風も消えたことだし。
 
 生産が停滞し常に人口増加圧にさらされる前近代のマルサス的状況では、今の価値観と真逆な価値観が生じる。
 殺戮は人口調整のために善ではないとしても必要悪となり、その執行は正義となる。戦争は勝ち負けではなく人口調整のために避けられないもので、殺戮は正当化される。
 そこから、より多く敵を倒して自らも命を絶つことは一つの美学になる。多くの人を殺したその罪に、自らも死を受け入れることでバランスを取る。江戸時代の平和な時代に生き永らえた人がその時代を振り返って言った言葉は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」だった。
 この論理はイスラム原理主義者の間では生きている。自爆テロはまさにこの美学に一致する。ひょっとしたら一部のロシア人の間でも生きているのかもしれない。
 今の戦争は犠牲者を最小にしようとするが、昔の戦争は殺戮そのものが目的だったと言ってもいい。
 江戸時代は新田開発によって生産力が向上したが、平安時代がなぜ平和だったのかと思うと、やはり荘園開発によって生産力が向上したからだったか。荘園開発が飽和状態になったことで保元・平治の乱以降の乱世になったのかもしれない。
 清盛は右肩上がりの時代から抜け出せなかった人だったのだろう。そのあとに起きた「鎌倉殿の13人」のバトルロワイアルも、膨れ上がった坂東武士の人員整理と見た方が良いかもしれない。

 それでは「道くだり」の巻の続き、挙句まで。
 二十五句目。

   杉の木末に月かたぐ也
 同じ事老の咄しのあくどくて   桃隣

 「あくどくて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「あくどい」の解説」に、

 「〘形口〙 あくど・し 〘形ク〙 ものごとが度を超えていていやな感じを受ける場合に用いる。
  ① 色、味、やり方などがしつこい。くどい。
  ※俳諧・炭俵(1694)下「同じ事老の咄しのあくどくて〈桃隣〉 だまされて又薪部屋(まきべや)に待(まつ)〈野坡〉」
  ※桑の実(1913)〈鈴木三重吉〉一「少しもあくどい飾りなどのない、さっぱりした店である」
  ② やり方や性格などがどぎつくて、たちが悪い。悪辣(あくらつ)なさま。
  ※堕落論(1946)〈坂口安吾〉「人前で平気で女と戯れる悪どい男であった」

とある。元々は「くどい」の強化系だったのが、近代には「あく」の音に釣られて「悪どい」になったようだ。
 老人の繰り言を聞かされてゆくうちに夜も更け、朝になろうとしている。
 二十六句目。

   同じ事老の咄しのあくどくて
 だまされて又薪部屋に待     野坡

 ほんのちょっとで話が終わるからと薪部屋に待たされたが、年寄りの話が早く終わるはずがない。
 二十七句目。

   だまされて又薪部屋に待
 よいやうに我手に占を置てみる  利牛

 占は「サン」とルビがある。算木のことであろう。待たされて暇だから、薪を算木にして吉が出るまで何度も占ってみる。
 二十八句目。

   よいやうに我手に占を置てみる
 しやうしんこれはあはぬ商    桃隣

 「しやうしん」は『芭蕉七部集』の中村注に「正真、全く」とある。暇な占い師か。
 二十九句目。

   しやうしんこれはあはぬ商
 帷子も肩にかからぬ暑さにて   野坡

 一重の帷子(かたびら)でも暑くて、みんな上半身裸になって仕事している。汗だくになってももらえる金は変わらない。こりゃ合わないな。
 三十句目。

   帷子も肩にかからぬ暑さにて
 京は惣別家に念入        利牛

 惣別は総じてということ。京都は盆地で夏は暑い。家にはいろいろ暑さ対策に工夫を凝らすが、着物は脱ぐしかない。
 二裏、三十一句目。

   京は惣別家に念入
 焼物に組合たる富田魵      桃隣

 富田魵(えび)は『芭蕉七部集』の中村注に『七部婆心録』(曲斎、万延元年)の引用として、「摂津島上郡富田の玉川に産する川えび」とある。今の大阪府三島郡島本町の辺りで、六玉川の一つ、摂津三島の玉川がある。水無瀬川のことで川エビ(テナガエビ科のスジエビ)が獲れる。
 京の食卓ではスジエビの焼物が定番だったか。
 三十二句目。

   焼物に組合たる富田魵
 隙を盗んで今日もねてくる    利牛

 富田エビを取ってくると言って出かけては、実際には昼寝している。
 三十三句目。

   隙を盗んで今日もねてくる
 髪置は雪踏とらする思案にて   野坡

 髪置(かみおき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「髪置」の解説」に、

 「① 幼児が頭髪を初めてのばす時にする儀式。江戸時代、公家は二歳、武家・民間では三歳の一一月一五日にすることが多かったが、必ずしも一定していない。小笠原流では白髪をかぶせ、頂におしろいの粉を付け、櫛(くし)で左右の鬢(びん)を三度かきなでて無病長寿を祈るのを例とした。現在でも男子の袴着、女子の帯解とともに「七五三の祝い」として残されている。髪立て。《季・冬》

  ※看聞御記‐応永二九年(1422)一二月三日「姫宮〈予第三宮〉御髪置有祝着之儀、芝殿役レ之、殊更三觴祝着如例」
  ② 江戸時代、僧侶が伊勢参詣をする時、付け鬢(びん)をしたこと。
  ※雑俳・柳多留‐二五(1794)「伊勢で髪おき高縄では袖とめ」
  ③ 唐衣(からぎぬ)の襟の中央背面で垂髪(すいはつ)のあたる部分。」

とある。今の七五三の三歳の祝いの前身とも言えよう。女の子の儀式となると、たいてい男は邪魔なものだ。
 三十四句目。

   髪置は雪踏とらする思案にて
 先沖まではみゆる入舟      桃隣

 先は「まず」。
 よくわからないが、『源氏物語』の明石の姫君の京へ行く場面か。
 三十五句目。

   先沖まではみゆる入舟
 内でより菜がなうても花の陰   利牛

 前句を沖に出ても花は見えるとして、船の上で何のおかずもなくて握り飯を食っていても、花を見ながら食う飯は内で食うよりも良い、とする。
 挙句。

   内でより菜がなうても花の陰
 ちつとも風のふかぬ長閑さ    野坡

 花の下で食う飯は格別で、まして風も吹かなければまだ花も散らない、と目出度く一巻は終わる。
 『ひさご』の、

 木のもとに汁も膾も桜かな    芭蕉

の句を思い出したのかもしれない。

2022年9月23日金曜日

 また台風が近づいている。秦野たばこ祭の最終日には通り過ぎてくれるといいが。見るのは初めてだし。

 それでは「道くだり」の巻の続き。

 十三句目。

   分にならるる嫁の仕合
 はんなりと細工に染まる紅うこん 桃隣

 紅うこんはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「紅鬱金」の解説」に、

 「〘名〙 紅色がかった濃い黄色。
  ※邇言便蒙抄(1682)臍「紅鬱金(ベニウコン)」

とある。西鶴の『好色一代男』に紅うこんのきぬ物が登場する。前句の嫁の幸せを受けて、流行の立派な着物を優雅に着こなす幸せとする。
 十四句目。

   はんなりと細工に染まる紅うこん
 槍持ばかりもどる夕月      野坡

 前句の紅鬱金を夕月の色とする。主君は月見の宴に御呼ばれして、槍持ちは家に帰される。
 十五句目。

   槍持ばかりもどる夕月
 時ならず念仏きこゆる盆の内   利牛

 奉公に出て槍持ちになっていた奴(やっこ)たちが帰郷して、急に念仏を唱え始める。髭など蓄え厳ついなりをしていても信心深い。
 十六句目。

   時ならず念仏きこゆる盆の内
 鴫まつ黒にきてあそぶ也     桃隣

 今日は殺生を行わないというので鴫が集まって遊んでいる。小鳥遊が「鷹なし」なら「鴫遊は‥‥。
 十七句目。

   鴫まつ黒にきてあそぶ也
 人の物負ねば楽な花ごころ    野坡

 水辺に庵を構える隠士とする。人のお世話にならずに気楽に暮らせば、あの水辺で遊ぶ鴫を詠めながら花のような心もちになれる。
 秋から春への季移りで、比喩としての「花ごころ」を用いる。
 十八句目。

   人の物負ねば楽な花ごころ
 もはや弥生も十五日たつ     利牛

 何もすることのない、花を見るだけの春ということで、時間を忘れて気付けば弥生も半分すぎている。
 二表、十九句目。

   もはや弥生も十五日たつ
 より平の機に火桶はとり置て   桃隣

 「より平」は撚糸・平糸で、撚ってある糸と撚ってない糸。『芭蕉七部集』の中村注に、

 「春湖曰、より糸平糸を以て織りたるをより平地といふ。そのより平地を織る箴也。東近江辺にてこの箴ありとぞ。(或注)」

とある。近江ちぢみのことか。
 とり置はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「取置」の解説」に、

 「① 物などをしまっておく。とっておく。手もとにおく。
  ※万葉(8C後)一一・二三五六「狛錦紐の片へぞ床に落ちにける 明日の夜し来なむと云はば取置(とりおき)て待たむ」
  ※堤中納言(11C中‐13C頃)貝あはせ「それかくさせ給へと言へば、塗り籠めたる所に、みなとりおきつれば」
  ② とりかたづけする。かたづける。始末をする。
  ※落窪(10C後)一「帯刀、御ゆするの調度などとりおきて」
  ③ 死骸をとりかたづける。葬る。埋葬する。
  ※羅葡日辞書(1595)「Pollinctura〈略〉シガイニ ユヲ アビセ toriuoqu(トリヲク) コトヲ ユウ」
  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)二「いそぎ死人を取をけと仰付させられ」
  ④ とって他におく。ひっこめる。やめる。
  ※史記抄(1477)七「大に驚て先づ攻めごとをとりをいて、与呂将軍倶に東するぞ」

とある。寒い地方の機織でも弥生の十五日ともなれば、火桶は片付けられてゆく。
 二十句目。

   より平の機に火桶はとり置て
 むかひの小言だれも見廻ず    野坡

 向かいの家で「火鉢がない」と文句を言ってる声が聞こえてくるが、いつものことなので誰も相手にしない。
 二十一句目。

   むかひの小言だれも見廻ず
 買込だ米で身体たたまるる    利牛

 「身体たたまる」は身代畳まるで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「身代畳む」の解説に、

 「全財産をなくす。破産する。
  ※浮世草子・西鶴織留(1694)一「近年、町人身体(シンダイ)たたみ分散にあへるは、色好・買置此二つなり」

とある。
 元禄期は米の高騰があって、それを見越して買い占めたのだろう。ただ、今でいうペーパー商法(現物まがい商法)に騙されたか。周囲の人もそりゃ騙されるのが悪いと冷ややかだ。
 二十二句目。

   買込だ米で身体たたまるる
 帰るけしきか燕ざはつく     桃隣

 破産した家は燕も寄り付かない。
 二十三句目。

   帰るけしきか燕ざはつく
 此度の薬はききし秋の露     野坡

 秋には露となって消えると思っていたが、薬が効いて無事に生き延び、燕の帰るのを見送ることができた。
 二十四句目。

   此度の薬はききし秋の露
 杉の木末に月かたぐ也      利牛

 今夜が峠だと思っていたが、無事に薬が効いて、月の傾くのを見る。

2022年9月22日木曜日


  丹沢の山々。九月十四日撮影。

 ようやく落ち着いてきたので、俳話の方を再開しようと思う。
 休んでいる間にツイッターというのもやってみた。まあ、相変わらずフォロワーがいるわけでもなく、一人でブツブツ言っているだけだけどね。相互フォローがないのに勝手に人の所に書き込んで荒らすわけにもいかないし、案外狭い世界だ。でもいろいろ他人の面白い話は聞ける。

 そういうわけでまた俳諧を読んでみようと思う。
 今回は『炭俵』から「道くだり」の巻。
 発句。

 道くだり拾ひあつめて案山子かな 桃隣

 案山子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「案山子・鹿驚」の解説」に、

 「① (においをかがせるものの意の「嗅(かが)し」から) 田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近付けないようにしたもの。獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして田畑に置く。おどし。
 ② (①から転じて) 竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形。田畑などに立てて人がいるように見せかけ、作物を荒らす鳥や獣を防ぐもの。かがせ。そおず。かかし法師。《季・秋》

 ※虎寛本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「かかしをもこしらへ、垣をも念の入てゆふて置うと存る」
 ※俳諧・猿蓑(1691)三「物の音ひとりたふるる案山子哉〈凡兆〉」
 ③ 見かけばかりで、地位に相当した働きをしない人。つまらない人間。見かけだおし。
 ※雑俳・初桜(1729)「島原で年迄取った此案山子」

 ③は②から派生した比喩で、この時代には②の案山子が普通にあったと思われる。ただ、道で拾ったもので案山子を作るのは結構難しそうで、ここは①の案山子でごみを燃やしたと見た方が良いかもしれない。「かがし」は語源的に「嗅(か)がす」から来ているという。②の意味の案山子は中世には僧都と呼ばれていた。『応安新式』に「月をあるじ 花をあるじ そうづ 山姫 木玉(已上非人倫也)」とある「そうづ」は案山子のことと思われる。
 いずれにせよ、江戸の市中で当座の景色というわけではあるまい。これまで正式に俳諧を習ったこともなく、見様見真似の案山子のようなものですという謙遜の句と見た方が良いだろう。
 脇。

   道くだり拾ひあつめて案山子かな
 どんどと水の落る秋風      野坡

 謙遜の発句に、その謙遜の意味は受けずに単なる農村風景の句とみなして、秋の台風で増水した川を付ける。
 第三。

   どんどと水の落る秋風
 入月に夜はほんのり打明て    利牛

 前句を音だけが聞こえるとして、月の既に沈んだ薄暗い夜明けとする。
 前句の秋風に、

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞおどろかれぬる
              藤原敏行(古今集)

の「目にはさやかに」の心を読み取って付けている。
 四句目。

   入月に夜はほんのり打明て
 堀の外まで桐のひろがる     桃隣

 桐の木は成長が早い。放置された土地に雑草が生い茂ったと思ったら、すぐに桐が生えてくる。福島の立ち入り制限区域にこうした光景が見られる。
 ここでは荒れ果てた屋敷にひっそりと暮らす蓬生のイメージで良いのだろう。
 五句目。

   堀の外まで桐のひろがる
 銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也 野坡

 銅壺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「銅壺」の解説」に、

 「① 水時計の一つ。底に小さな穴をあけた銅製の壺に水を入れ、目盛りをつけた矢をその水中に立てて水面の低下することによって時刻をはかるもの。漏刻(ろうこく)。
  ※田氏家集(892頃)下・七月七代牛女惜暁更「箭漏応レ寛周歳会、銅壺莫レ従一宵親」 〔顧況‐楽府詩〕
  ② 銅製の器物。かまどの側壁に塗りこんだり、火鉢に仕込んだりする湯わかし。転じて、金属製の入れ物をもいう。
  ※俳諧・炭俵(1694)下「塀の外まで桐のひろがる〈桃隣〉 銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也〈野坡〉」

とある。この場合は②でウィキペディアには、「湯を沸かし燗酒をつくる民具」とある。ここでは酒ではなく、燗酒を温めた残り湯をそのまま酔い覚ましのさ湯として用いる。荒れた家の主人の人柄が知れる。
 六句目。

   銅壺よりなまぬる汲んでつかふ也
 つよふ降たる雨のついやむ    利牛

 雨でやることがないから熱燗を飲んでいたが、雨が止んだので燗のお湯を飲んで酔いを醒まして仕事の支度をする。
 初裏、七句目。

   つよふ降たる雨のついやむ
 瓜の花是からなんぼ手にかかる  桃隣

 真桑瓜は雌花が親蔓に着かず、子蔓や孫蔓に着くため、親蔓や子蔓を摘心しなくてはならない。花の頃から手がかかる。その時期は夕立の多い夏になる。
 八句目。

   瓜の花是からなんぼ手にかかる
 近くに居れど長谷をまだみぬ   野坡

 瓜というと奈良漬で白瓜を用いる。真桑瓜と同様、摘心をする。奈良漬の瓜は育てているが、忙しくてまだ長谷寺には行ったことがない。
 まあ、すぐ近くにあっていつでも行けると思うと、かえって行ったことのないままになることはよくある。
 九句目。

   近くに居れど長谷をまだみぬ
 年よりた者を常住ねめまはし   利牛

 常住はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常住」の解説」に、

 「① (━する) 仏語。生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって、存在すること。じょうじゅ。
  ※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「勝鬘応レ聞二常住一之時」
  ※徒然草(1331頃)七四「常住ならんことを思ひて、変化の理(ことわり)を知らねばなり」 〔北本涅槃経‐七〕
  ② (━する) つねに一定の所に住むこと。また、寺僧が一寺に定住して行脚(あんぎゃ)をしないこと。
  ※霊異記(810‐824)中「諾楽の京の馬庭の山寺に、一の僧常住す」 〔朱熹‐章厳詩〕
  ③ (副詞的にも用いる) 日常、ごく普通であること。また、習慣化していつもそうであるさま。ふだん。しょっちゅう。年じゅう。じょうじゅ。
  ※高野本平家(13C前)六「常住(ジャウヂウ)の仏前にいたり、例のごとく脇息によりかかって念仏読経す」
  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)九「アレあの通(とほり)に常住(ジャウヂウ)泣て居らるる」
  ④ 「じょうじゅうもつ(常住物)」の略。
  ※正法眼蔵(1231‐53)行持「常住に米穀なし」 〔釈氏要覧‐住持・常住〕

とある。
 長谷寺の近くのお寺の住職であろう。何かもめ事があったのか長谷寺の僧が通るたびに睨みつけて、意地でも長谷寺に行くものかというところか。
 十句目。

   年よりた者を常住ねめまはし
 いつより寒い十月の空      桃隣

 人のことを睨みつけてばかりの偏屈爺さんは、十月になっても誰にも相手にされず、寒い冬を迎える。
 十一句目。

   いつより寒い十月の空
 台所けふは奇麗にはき立て    野坡

 今年は寒い冬になりそうなので、台所の掃除を早めに済ませておく。冬の寒い時の掃除は億劫だからね。
 十二句目。

   台所けふは奇麗にはき立て
 分にならるる嫁の仕合      利牛

 相応の身分として扱われるようになった嫁は、台所を奇麗に掃除してやる気満々だ。今まで相当虐げられてきたか。
 柳田国男は分家の嫁になるという意味に解している。

2022年9月13日火曜日

2022年9月10日土曜日

  このブログでは安倍さんが亡くなった時でも特に追悼文は書かなかったし、基本的に追悼文は書かないことにしている。誰の時には書いて誰の時には書かなかったとか、ややこしいことになるからね。
 まあ、人の国の御門とはいえ、在位七十年は大変なもんだ。
 まあ、葬儀というのはしめやかに行われるもので、盛り上げるようなものではない。追悼する気持ちのある人の心に残る葬儀であれば、それでいいんだと思う。それが名もなき庶民であっても、王侯元首であっても。
 故人は自分の葬儀を知ることはない。葬儀は追悼したい人のために行う物で、筆者は別に安倍政権を支持しているわけではなかったが、かつては国民の七割の支持を得ていて、長期に渡って高い支持率を維持した人である以上、国葬は彼らのためにやらなくてはいけないと思っている。
 今夜は中秋の名月。月は水面の月を捕ろうとする猿のように、かなわぬ夢や願いの象徴でもある。それゆえに月を見ると悲しくなる。ロシア一つの秋にあらねど。

2022年9月7日水曜日

  相変わらずマス護美は過去の統一教会や勝共連合の亡霊と格闘しているし、国葬反対のニュースを連日垂れ流している。
 去年の衆議院選に続いての参議院選の敗北で焦っているのか、とにかくなりふり構わなくなっている。
 このまま国葬へのヘイトを煽れば、それに呼応するように自主的にテロを遂行する者が現れてもおかしくないから、当然ながら警備費はかさむことになり、それをまたマス護美が叩くという悪循環になっている。マス護美がテロを奨励していると言ってもいい状態だ。
 実際今の状態なら暴動を起こしても、責任は国葬を強行した政府にある、なんていう論調になるだろう。
 まあ、さすがに左翼もそんな馬鹿ばかりではないから、もうすでにかなりの人が離脱して、馬鹿ばかりが残って騒いでいるのではないかと思う。
 「国葬をやめて一律給付金を」なんてツイッターデモをやっていたが、国葬費用は二億五千万円。それを一律給付金にしても一人二円。そんな計算もできないのかって感じだ。警備費を含めて十六億だとしても一人十三円。今どきチロルチョコも買えない。こんなことを言っているとそのうちまた数字をいろいろいじくって、何とかチロルチョコが買える金額を提示してくるかも。
 反対するのは構わないから静かにしていてくれというのは、何も国葬に限ったことではない。原爆の日のあのデモも、何よりも遺族が迷惑している。
 日本のマス護美はまだ海外では信用されているのか、もっとも海外のロイターもAFPも似たり寄ったりでロシアのプロパガンダを流しているし、まあ、結局今どきこういうのを信じてる方が馬鹿ということでいいのだろう。
 踊る阿呆に踊らされる阿呆。

2022年9月6日火曜日

  日本の大衆文化の中には今も暗黙のサブカル境界線があるように思える。
 サブカルという言葉は最近は用いられることが少なく、ほぼ死語になっているが、サブカルとそうでないものを分ける境界というのは、何となく存在する。
 サブカルは本来カルチャーと呼べないものでも、左翼のプロパガンダとして利用できるものに関してはメインカルチャーに対して下位のカルチャーとして認めるというもので、社会風刺や社会問題に触れる場面があったり、警察や役人などの公権力をパロディーにしたり、あるいは政界がらみの陰謀と戦う物語だとか、単純な勧善懲悪的な物語も含まれる。
 ジャンル的にはパンクやオルタナは含まれるが、メタルやヴィジュアル系は一部の例外を除いて排除されるだとか、漫画は良いがラノベは古い一部の作品以外は含まれなかったりする。アニメにもあまり明瞭ではないが境界線がある。主に製作者やスタッフなどの思想的な立場が決め手になるようだ。
 音楽の場合は主要な夏フェスに選ばれるものと選ばれないものが毎回話題になる。書籍の場合は店主が品ぞろえに大きな権限を持った、特化した書店などだとこの境界が顕著になる。ねこ書店はねこ漫画は置くが、ねこラノベは置かない。
 AVなどのポルノはかつて公権力の規制に反対するから反権力ということで支援していたが、規制が緩くなってくると反権力の意味合いが薄れ、今では逆にフェミにかこつけて敵視するようになっている。
 もちろん本気でAV女優の立場など考える気はさらさらない。ただAV女優がいわゆる「労働者」になるのを手助けしているだけだ。LGBTに関しても、ゲイバーを潰して労働者にさせようとしている。