ムン・ソンミョンの考え出した集団結婚というシステムは、基本的には恋人・親友などの特別の人を作ることが差別につながるという、極端なリベラル派が主張していることと根が同じなんだと思う。
家族の基本となる夫婦をいかなる差別もなく選ぶということになると、結局ああいうシステムになる。恋愛結婚に伴うルッキズムや年齢差別など問題を克服できるし、結婚相手に人種や階級や被差別民差別も防げる。
そういうわけで、あの手の宗教の主張は、左右問わずにリベラル派との親和性が高いんではないかと思う。筆者とは間違っても相容れないけどね。
まあ、今の世界平和統一家庭連合は昔とはだいぶ違って丸くなったという。
そのうちどこかの宗教団体がムン・ソンミョンの思想をもっと過激にして、男女関係なくカップリングするジェンダーフリーの集団結婚を始めるかもしれない。まあ、はっきり言ってディストピアだね。
あとまあ、例の葬式は無事に終わったようで何よりだ。
それでは「秋の空」の巻の続き。挙句はなく、三十二句目まで。
二十五句目。
帯ときながら水風呂をまつ
君来ねばこはれ次第の家となり 其角
壊れ次第の家というと『源氏物語』蓬生を思わせる。当時は水風呂の習慣がなかったから、これは今風に作り変えたもので、水風呂は寺などに多いが、庶民の物としては贅沢という所からの発想であろう。
二十六句目。
君来ねばこはれ次第の家となり
稗と塩との片荷つる籠 孤屋
塩売は内陸部に塩を売りに旅をする。その先々に女がいてもおかしくない。
塩売が通って来るから何とか稗飯を食いながら暮らしているが、来なくなったらどうしていいやら。
「片荷つる」は『芭蕉七部集』の中村注に、「片方の荷が重くて平衡を失うこと」とある。塩は重く稗は軽い。
筆者は実際運送の仕事をしていたからわかるが、塩はめちゃ重い。
二十七句目。
稗と塩との片荷つる籠
辛崎へ雀のこもる秋のくれ 其角
志賀辛崎の冬は厳しく、
さざなみや志賀の辛崎風さえて
比良の高嶺に霰降るなり
藤原忠通(新古今集)
冬寒み比良の高嶺に月さえて
さざなみ凍る志賀の辛崎
後鳥羽院(正治初度百首)
などの歌にも詠まれている。
志賀の辛崎を行く塩売も秋の暮ともなれば辛そうだ。
二十八句目。
辛崎へ雀のこもる秋のくれ
北より冷る月の雲行 孤屋
辛崎に凍月は付き物と言って良い。「北より冷る」は比良の嶺を吹き下ろす風を言う。雲は時雨の雲であろう。
二十九句目。
北より冷る月の雲行
紙燭して尋て来たり酒の銭 其角
北風の冷たい寒い夜、月も雲に隠れたのにわざわざ紙燭を灯して酒を買いに来る人がいる。俗世の辛いことを思い出して眠れない隠士だろうか。
三十句目。
紙燭して尋て来たり酒の銭
上塗なしに張てをく壁 孤屋
粗壁(あらかべ)のまま、ということだろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粗壁」の解説」に、
「〘名〙 粗塗(あらぬり)をしただけで、仕上げをしていない壁。しっくい塗りや砂壁などの下地となる。
※俳諧・ひさご(1690)「火を吹て居る禅門の祖父(ぢぢ)〈正秀〉 本堂はまだ荒壁のはしら組〈珍碩〉」
とある。
酒ばかり飲んでいたので塀が完成する前に金がなくなったか。まあ、ある意味コンクリートの打ちっ放しみたいにお洒落かもしれないが。
二裏、三十一句目。
上塗なしに張てをく壁
小栗読む片言まぜて哀なり 其角
小栗判官は説教節だが延宝三年に出版された正本版もあった。
田舎暮らしの隠士が、子供たちを集めて小栗判官の読み聞かせをやったのだろう。本に書かれた都言葉に土地の方言を交えながら語る姿は、いかにも辺鄙な地に来てしまったという哀愁を漂わせる。
三十二句目。
小栗読む片言まぜて哀なり
けふもだらつく浮前のふね 孤屋
浮前(うけまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮前」の解説」に、
「〘名〙 船出の前。また、船が陸に引き揚げられていること。
※俳諧・炭俵(1694)下「小栗読む片言まぜて哀なり〈其角〉 けふもだらつく浮前(ウケマヘ)のふね〈孤屋〉」
とある。
天候のせいか何かでなかなか船が出ないのだろう。小栗判官を読むが言葉がよくわからない。
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