闇雲な統一教会叩きで議論が変な方向に行っているが、少なくとも宗教団体が寄付を集めることには何の問題もない。霊感商法など詐欺行為が問題なだけというのははっきりさせておかなくてはならない。
宗教団体もNGOや政治団体同様、活動するためには資金がいる。NGOや政治団体が寄付を募るのが正当であると同様に、宗教団体が寄付を募るのも正当な行為としなければならない。
自発的に家族を犠牲にして過度な献金をするような例は、宗教団体に限らず存在する。その家庭に育った者の悲惨さは言うまでもない。だが、寄付そのものを罰するなら、日本共産党だって活動できないだろう。まあ、例によって左翼の寄付は良い寄付、右翼の寄付は悪い寄付という議論はあるだろうけど。
宗教が金がかかるのは当たり前のことで、それはまず宗教者を食わせていかなくてはならないからだ。NGOだってあれほどしつこく寄付の手紙が来るのは、NGO職員だって霞を食って生きてるんじゃないからだ。人を救うには金が要る。これは古今東西の普遍的真理だ。
金を払うのが嫌ならまず教団に入らないことだ。宗教が純粋に心の問題だというなら、教団は必要ない。各自勝手に自分の信じる道を行けばいい。
それでは次は松意編延宝三年刊の『談林十百韻』から、第六百韻を。
発句。
髪ゆひや鶏啼て櫛の露 一朝
髪結いを職業としている人は鶏が鳴く頃に起きて櫛の露を払う。貧しい人の生活を後朝を俤にして哀れに描き出している。
髪結(かみゆひ)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、
「髪を結う職人。平安・鎌倉時代には男性は烏帽子(えぼし)をかぶるために簡単な結髪ですんでいたが,室町後期には露頭(ろとう)や月代(さかやき)が一般的になり,そのため,結髪や月代そりを職業とする者が現れた。別に一銭剃(いっせんぞり),一銭職とも呼ばれたが,これは初期の髪結賃からの呼称とされる。また取りたたむことのできるような簡略な仮店(〈床〉)で営業したことから,その店は髪結床(かみゆいどこ),〈とこや〉と呼ばれた。近世には髪結は主に〈町(ちょう)抱え〉〈村抱え〉の形で存在していた。三都(江戸・大坂・京都)では髪結床は,橋詰,辻などに床をかまえる出床(でどこ),番所や会所の内にもうける内床があるが(他に道具をもって顧客をまわる髪結があった),ともに町の所有,管理下におかれており,江戸で番所に床をもうけて番役を代行したように,地域共同体の特定機能を果たすように,いわば雇われていた。そのほか髪結には,橋の見張番,火事の際に役所などに駆け付けることなどの〈役〉が課されていた。さらに髪結床は,《浮世床》や《江戸繁昌記》に描かれるように町の社交場でもあった。なお,女の髪を結う女髪結は,芸妓など一部を除いて女性は自ら結ったことから,現れたのは遅く,禁止されるなどしたが,幕末には公然と営業していた。」
とある。全部ではないにせよ被差別民がやる場合が多かったのではないかと思う。
鶏は、
にはとりにあらぬねにても聞こえけり
明け行くときは我も泣きにき
伊勢(伊勢集)
など、和歌に詠まれている。
脇。
髪ゆひや鶏啼て櫛の露
口すすぎする手盥の月 志計
手盥はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手盥」の解説」に、
「〘名〙 手や顔などを洗うのに用いる小さい盥。ちょうずだらい。
※俳諧・当世男(1676)付句「手だらひ程に見ゆる湖 鏡山いざ立よりて髭そらん〈宗因〉」
とある。
水に映る月は猿が手を伸ばす月のように叶わぬ思いを暗示させる。発句・脇ともに日常の中に古典風雅の心を隠し持っている。
月に露は、
風吹けば玉散る萩のした露に
はかなくやどる野辺の月かな
藤原忠通(新古今集)
など数々の和歌に詠まれている。
第三。
口すすぎする手盥の月
秋の夜に千夜を一夜の大酒に 卜尺
前句を二日酔いの朝とする。月下独酌の李白も二日酔いしたのだろうか。
「千夜を一夜」は『伊勢物語』二十二段に、
秋の夜の千夜を一夜になずらへて
八千代し寝ばや飽く時のあらむ
の歌による。
四句目。
秋の夜に千夜を一夜の大酒に
詞のこりて意趣となりけん 雪柴
同じ『伊勢物語』二十二段に先の歌の返しで、
秋の夜の千夜を一夜になせりとも
ことば残りて鳥や鳴きなむ
の歌がある。
意趣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「意趣」の解説」に、
「① 心のむかうところ。意向。考え。仏教では仏の説法によって、平等意趣、別時意趣、別義意趣、補特伽羅(ふどがら)意楽意趣の四つを立てる。
※今昔(1120頃か)六「能尊王〈略〉事の趣きを問ひ給ふ。聖人、意趣を具(つぶさ)に語り給ふ」 〔法華経‐方便品〕
② 言わんとすること。意味。
※敬説筆記(18C前)「格物致知の詳なること、敬の意趣、『或問』に於て詳に著し」
③ わけ。理由。事情。〔吾妻鏡‐四・文治元年(1185)五月二四日〕
※浄瑠璃・堀川波鼓(1706頃か)下「神妙に意趣をのべ物の見事に討たんずる」
④ 周囲の事情からやめられないこと。ゆきがかり。また、どうしてもやりとおそうとする気持。意地。
※金刀比羅本保元(1220頃か)下「大臣は此の世にても、随分意趣(イシュ)深かりし人なれば、苔の下迄さこそ思はるらめ」
⑤ 人を恨む心があること。恨みが心に積もること。また、その心。遺恨。
※江談抄(1111頃)二「貞信公与二道明一有二意趣一歟」
⑥ =いしゅがえし(意趣返)
※読本・椿説弓張月(1807‐11)後「父の意趣(イシュ)を遂(とげ)」
とある。⑤の意味であろう。酔っ払ってとんでもないことを言ってしまったか。
五句目。
詞のこりて意趣となりけん
馬士は二疋があひにだうど落 在色
馬士は「うまかた」とルビがある。
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『忠度』の、
「岡部の六弥太忠澄と名乗つて、六七騎が間追つかけたり。これこそ望む所よと思ひ、駒の手綱を引つ返せば、六弥太やがてむずと組み、両馬が間にどうど落つ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.16353-16360). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。
荷主とのトラブルだろうか。
六句目。
馬士は二疋があひにだうど落
そこのきたまへみだけ銭あり 松臼
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は同じ謡曲『忠度』の、
「今は叶はじと思し召して、そこのき給へ人人よ西拝まんと宣ひて、光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひし に、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.16368-16375). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。
「みだけ銭(ぜに)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乱銭」の解説」に、
「〘名〙 銭緡(ぜにさし)に通さないで取り散らしてある銭。ばら銭。みだけぜに。みだれぜに。
※狂言記・緡縄(1660)「いや、なにかはしらず、座敷はみたし銭(セニ)で、山のごとくぢゃ」
とある。
馬士が倒れると懐に入れてあった銭があたりに散らばり、野次馬が拾おうと集まってくるので追払う。
七句目。
そこのきたまへみだけ銭あり
追出しの芝ゐ過行夕嵐 正友
「追出しの芝ゐ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出芝居」の解説」に、
「芝居などで、番組の最後の出し物。軽くにぎやかな狂言。総踊りなど。これが終わると見物を場外へ出すことからいう。」
とある。観客が出口に嵐のように殺到して身動きが取れなくなる。誰かが、「そこに銭が落ちている」と言って、「どこどこ」と言いながら場所が開いた所を通り抜ける。
夕嵐は、
立ちのぼる月のたかねの夕嵐
とまらぬ雲を猶はらふなり
藤原定成(玉葉集)
などの歌に詠まれている。
八句目。
追出しの芝ゐ過行夕嵐
茶弁当よりうき雲の空 松意
茶弁当はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「茶弁当」の解説」に、
「〘名〙 物見遊山などのときの携帯用につくられた茶の風炉。また、それを担って歩く下僕。提げ重などと一荷にして持ち運んだ。〔文明本節用集(室町中)〕
※浮世草子・好色二代男(1684)一「茶弁当(チャヘントウ)をまねき、湯をまいるのよし」
とある。
前句の夕嵐を本当の嵐が来そうだということで、茶弁当のことよりも空の雲行が気になる。
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