2022年9月26日月曜日

 国葬が明日だと思うと、何だかオリンピックの前日みたいだが、あの時と一緒でコアに反対を煽っている連中はそんな多くはない。ただ、この連中はオリンピックと同様、何年たってもねちねち言い続けるんだろうな。ご苦労なこってす。
 世界がやがて一つになる、一つになるべきだという人たちの観点に立つと、ウクライナも早かれ遅かれ消えなければならない国家という位置づけになる。まあ、日本と同様にね。
 つまり、アメリカに吸収されるのかロシアに吸収されるのかという視点でしか考えてないため、どうせどっちかに吸収されてウクライナは永遠に世界から消えることになるのだから、抵抗せずに早く吸収されちまいなよ、という論理になる。(当然日本についてもそう考えている。)
 国が消滅しないように守るということ自体が、多くの国民を命の危険にさらすという論理では、安倍さんもゼレンスキーさんも一緒なんだろうし、中国が最後に勝つと考えている人からすればプーちんも売電さんも含めてみんな一緒ということなんだろう。
 こういう論理は左翼だけでなくリベラルにも浸透している。そこが一番厄介な所だ。自民党のリベラル派も信用できない。中国が世界の覇者になった時のための保険を掛けようとしている。
 まあ、とにかく、世界を一つにしようなんて幻想、もうやめようよ。世界が一つになるわけないんだよ。俺とアンタが一つになるなんて嫌だろっ?
 それでは「秋の空」の巻の続き。

 十三句目。

   道者のはさむ編笠の節
 行燈の引出さがすはした銭    孤屋

 順礼僧が托鉢に来たので、行燈についている引き出しからはした銭を渡すということか。
 十四句目。

   行燈の引出さがすはした銭
 顔に物着てうたたねの月     其角

 昼寝しているのをいいことに、勝手に行燈の引き出しから銭を持って行く。
 十五句目。

   顔に物着てうたたねの月
 鈴繩に鮭のさはればひびく也   孤屋

 鈴繩は『芭蕉七部集』の中村注に『標註七部集稿本』(夏目成美著、文化十三年以前成立)の引用し、「鮭をとるには川中に竹を立て水をせく。是をトメといふ。その側に網をはり鈴を付置きて魚のあみに入りたるを知る也。」とある。今でも釣り竿に鈴をつけてアタリ取りに用いるが、それに似ている。
 網を仕掛けてなかなかかからずに寝てしまった漁師に、鮭がかかったのを知らせる。
 十六句目。

   鈴繩に鮭のさはればひびく也
 鴈の下たる筏ながるる      其角

 鮭を取っているとそれを横取りしようと鴈(ガン)がやってくるが、筏に乗ってくるところが一つの取り囃しだ。
 十七句目。

   鴈の下たる筏ながるる
 貫之の梅津桂の花もみぢ     孤屋

 『芭蕉七部集』の中村注は『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)により、紀貫之の大井川御幸和歌序を引いている。『古今著聞集』巻第十四遊覧廿二にあるもので、Wikisuourceから引用する。

 「あはれわが君の御代、なが月のこゝぬかと昨日いひて、のこれる菊見たまはん、またくれぬべきあきをおしみたまはんとて、月のかつらのこなた、春の梅津より御舟よそひて、わたしもりをめして、夕月夜小倉の山のほとり、ゆく水の大井の河邊に御ゆきし給へば、久かたの空には、たなびける雲もなく、みゆきをさぶらひ、ながるゝ水ぞ、そこににごれる塵なくて、おほむ心にぞかなへる。いま御ことのりしておほせたまふことは、秋の水にうかびては、ながるゝ木葉とあやまたれ、秋の山をみれば、をりひまなき錦とおもほえ、もみぢの葉のあらしにちりて、もらぬ雨ときこえ、菊の花の岸にのこれるを、空なる星とおどろき、霜の鶴河邊にたちて雲のおるかとうたがはれ、夕の猿山のかひになきて、人のなみだをおとし、たびの雁雲ぢにまどひて玉札と見え、あそぶかもめ水にすみて人になれたり。入江の松いく世へぬらん、といふ事をぞよませたまふ。我らみじかき心の、このもかのもとまどひ、つたなきことの葉、吹風の空にみだれつゝ、草のはの露ともに涙おち、岩波とゝもによろこぼしき心ぞたちかへる。このことの葉、世のすゑまでのこり、今をむかしにくらべて、後のけふをきかん人、あまのたくなわくり返し、しのぶの草のしのばざらめや。」

 大井川は今の桂川で嵯峨野の南、松尾大社の対岸の辺りになる。
 貫之ではないが、

 久方の月の桂も秋は猶
     もみちすれはやてりまさるらむ
              壬生忠峯(古今集)

の歌もあり、月にある伝説の桂の木も紅葉すれば光輝く。それを紅葉の名所桂川に掛けているわけだが、花の定座なので「花もみぢ」とする。
 十八句目。

   貫之の梅津桂の花もみぢ
 むかしの子ありしのばせて置   其角

 紀貫之には土佐守として赴任していた時に子供を亡くし、

 みやこへと思ふ心のわびしきは
     かへらぬ人のあればなりけり

と詠んだという伝承が『今昔物語』にある。
 梅津桂の花紅葉を見ても、その子を偲び、悲しくなる。
 二表、十九句目。

   むかしの子ありしのばせて置
 いさ心跡なき金のつかひ道    其角

 「いさ心」は「いさ心も知らず」の略か。子供が亡くなって、残す必要もなくなった財産をどうしようか。
 二十句目。

   いさ心跡なき金のつかひ道
 宮の縮のあたらしき内      孤屋

 縮(ちぢみ)は縮み織りのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縮織」の解説」に、

 「〘名〙 織地の一つ。よりの強い緯(よこいと)を用い、織り上げた後に温湯の中でもんで処理してしわ寄せをしてちぢませた織物。絹、木綿、麻のものがあり、明石産や小千谷(おぢや)産のものが有名。夏の服装に多く用いられる。縮地。ちぢみ。」

とある。『芭蕉七部集』の中村注に「近江国犬上郡高宮の名産高宮縮」とある。近江ちぢみのことであろう。
 高宮は高宮布が名産品で、貝原益軒の『東路記』にも「高宮の町に、布を多くうる。」とある。
 高宮布はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高宮布」の解説」に、

 「〘名〙 滋賀県彦根市高宮付近で産出される麻織物。奈良晒(ならざらし)の影響を受けてはじめられ、近世に広く用いられた。高宮。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

とある。この麻織物は生平(きびら)とも呼ばれ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生平・黄平」の解説」に、

 「〘名〙 からむしの繊維で平織りに織り、まだ晒(さら)してないもの。上質であるため、多く帷子(かたびら)や羽織に用いる。滋賀県彦根市高宮付近から多く産出した。大麻の繊維を用いることもある。《季・夏》
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「生平のかたびら添てとらすべし」」

とある。近江ちぢみはそれを発展させたもので、麻で織る。
 前句の「いさ心跡なき」を心の跡を残すことなき(思い残すことのない)という意味に取り成して、新しい近江ちぢみの服を仕立てる。
 二十一句目。

   宮の縮のあたらしき内
 夏草のぶとにさされてやつれけり 其角

 「ぶと」はブヨ(ブユ)のこと。夏の頃の前の頃にはブヨも出てくる。
 二十二句目。

   夏草のぶとにさされてやつれけり
 あばたといへば小僧いやがる   孤屋

 ブヨに刺されただけなのに天然痘のあばた(いも)と間違えられるのが苦痛。
 二十三句目。

   あばたといへば小僧いやがる
 年の豆蜜柑の核も落ちりて    其角

 節分の豆まきをする頃に、正月飾りのミカンのヘタが落ちて窪みだけになっていて、それをあばただと言ってあばたのある小僧をいじったりする。
 二十四句目。

   年の豆蜜柑の核も落ちりて
 帯ときながら水風呂をまつ    孤屋

 帯を解いて服を脱ぐと、一緒に豆まきの豆やミカンのヘタが落ちる。

0 件のコメント:

コメントを投稿