2022年9月29日木曜日

 サイバーカスケードだとかエコーチェンバーだとか言うのは別に新しい現象ではなく、昔から偉くなるとそれを慕う取り巻きができて、気が付いたらイエスマンばかりで世辞や追従ばかり、悪い情報は耳に入らないようにして、良い情報ばかりを誇張して伝えるようになる。今はそれをAIがやっているだけだ。
 ツイッターも結局フォロワーが増えるとフォロワーのいいねの声しか聞こえなくなるんだろう。だからフォロワー数の多い奴ほどバカな発言を繰り返す。

 それでは「髪ゆひや」の巻の続き。

初裏

九句目

   茶弁当よりうき雲の空
 小坊主の袖なし羽織旅衣     一鉄

 袖なし羽織はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖無羽織」の解説」に、

 「〘名〙 表衣の上に着用する袖のない羽織。袖無し。また、陣羽織。《季・冬》
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「茶弁当よりうき雲の空〈松意〉 小坊主の袖なし羽織旅衣〈一鉄〉」

とある。この場合の小坊主は前句の「茶弁当」を受けて、大名や諸役人などの給仕を行う茶坊主になる。剃髪はしていても僧ではなく武士で、袖なし羽織と旅衣とする。
 大名行列では大きな茶弁当箱で茶弁当を運び、茶坊主も従う。

十句目

   小坊主の袖なし羽織旅衣
 川御座下すあとのしら波     執筆

 川御座は川御座船でコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「川御座船」の解説」に、

 「航海用の海御座船に対して,河川のみで使用する近世大名のお召し船。江戸時代では,幕府と中国・西国筋の諸大名が大坂に配備したものが代表的で,参勤交代のときや朝鮮使節,琉球使節の江戸参府のおり,淀川の上り下りに使用された。また大名が国元の河川で海御座船までの航行に使うものもあった。一般に喫水の浅い川船に,2階造りの豪華な屋形を設け,船体ともに朱塗りとした優美な屋形船で,特に幕府の『紀伊国丸』や『土佐丸』は,大型のうえに絢爛豪華な装飾もあって,川御座船の典型とされた。」

とある。
 茶坊主は川御座船にも乗り込み、白い航跡を残して通り過ぎて行く。
 「あとのしら波」は、

 世の中をなににたとへむあさぼらけ
     こぎゆく舟のあとのしら浪
              沙弥満誓(拾遺集)

など、和歌によく用いられる。

十一句目

   川御座下すあとのしら波
 夕涼み淀のわたりの蔵屋敷    志計

 川御座船は大阪の淀川で使用されるものが多く、淀川沿いの蔵屋敷の夕涼みを付ける。

 ふりにけり昔をとへば津の国の
     長柄の橋のあとのしらなみ
              順徳院兵衛内侍(建保名所百首)

 長柄の橋は淀川の今の長柄橋付近にあったという。

十二句目

   夕涼み淀のわたりの蔵屋敷
 いて来し手かけと月を見る也   一朝

 手かけはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手掛・手懸」の解説」に、

 「① 手をかけておくところ。椅子(いす)などの手をかけるところ。
  ② 器具などの、持つのに便利なようにとりつけたあなや金物。
  ③ みずから手を下して扱うこと。自分で事に当たること。
  ※毎月抄(1219)「難題などを手がけもせずしては、叶ふべからず」
  ④ (手にかけて愛する者の意から。「妾」とも書く) めかけ。そばめ。側室。妾(しょう)。てかけもの。てかけおんな。てかけあしかけ。
  ※玉塵抄(1563)二一「武士が死る時にその手かけの女を人によめらせたぞ」
  ※仮名草子・恨の介(1609‐17頃)上「さて秀次の〈略〉、御てかけの上臈を車に乗せ奉り」
  ⑤ 正月に三方などに米を盛り、干柿、かち栗、蜜柑(みかん)、昆布その他を飾ったもの。年始の回礼者に出し、回礼者はそのうちの一つをつまんで食べる。あるいは食べた心持で三方にちょっと手をかける。食いつみ。おてかけ。てがかり。蓬莱(ほうらい)飾り。〔随筆・貞丈雑記(1784頃)〕
  [語誌](④について) 律令時代には「妾」が二親等の親族として認められており、「和名抄」では「乎無奈女(ヲムナメ)」と訓読されている。中世には「おもひもの」の語が妾を指したらしいが、室町以降「てかけ」が一般の語となり、「そばめ」、「めかけ」などの語が使われるようになった。」

とある。ここでは④の意味で「目かけ」と同じ。蔵屋敷の金持ちなら妾くらいはいる。妾と月見の夕涼みだなんて、ちくしょうこの野郎というところか。
 淀の渡り月は、

 高瀬さす淀の渡りの深き夜に
     川風寒き秋の月影
              二条為氏(新拾遺集)
 山城のとはにあひみる夜はの月
     よどの渡に影ぞふけ行く
              花山院師継(宝治百首)

などの歌に詠まれている。

十三句目

   いて来し手かけと月を見る也
 大分のかねことの末鴈の声    雪柴

 大分は「おほかた」とルビがある。
 「かねこと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「予言・兼言」の解説」に、

 「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。
  ※後撰(951‐953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」
  ※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」

とある。
 結婚の時の君だけだよなんて約束は大体空しいもので、妾と月を見に行っている。
 月に雁は、

 さ夜なかと夜はふけぬらし雁金の
     きこゆるそらに月わたる見ゆ
              よみ人しらず(古今集)
 大江山かたぶく月の影冴えて
     とはたのおもに落つる雁金
              慈円(新古今集)

など多くの歌に詠まれている。

十四句目

   大分のかねことの末鴈の声
 勘当帳に四方の秋風       卜尺

 勘当帳はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「勘当帳」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、親が子を勘当したことを記載する公儀の帳簿。勘当を公式に行なうためには、武士は管轄の奉行に願い出、町人は、勘当申立人である親が、町中五人組に申し出、五人組その他町役人と同道で町奉行所に出頭して、これに登録することが必要であった。勘当取消しも同様の手続きをした。記録しないものは内証勘当という。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「大分のかねことの末鴈の声〈雪柴〉 勘当帳に四方の秋風〈卜尺〉」

とある。
 前句の「かねこと」を大方の予想どうりと取り成す。
 秋風に鴈は、

 秋風に初雁金ぞ聞こゆなる
     誰がたまづさをかけて来つらむ
              紀友則(古今集)
 秋風にさそはれわたる雁がねは
     雲ゐはるかにけふぞきこゆる
              よみ人しらず(後撰集)

などの歌に詠まれている。

十五句目

   勘当帳に四方の秋風
 町中を以碪の小袖ごひ      松臼

 町中は「ちやうぢう」とルビがある。
 袖こひはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖乞」の解説」に、

 「〘名〙 (自分の袖を広げて物を乞うことの意) こじきをすること。また、こじき。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「往来の人に袖乞(ソテゴイ)して」

とある。
 前句の秋風から李白の「子夜呉歌」の「長安一片月 萬戸擣衣声 秋風吹不尽」をイメージして、町中が砧を打つ中を袖乞いして歩く。

十六句目

   町中を以碪の小袖ごひ
 十市の里の愚僧也けり      在色

 前句を乞食僧とする。
 十市(とをち)に砧は、

 ふけにけり山の端近く月冴えて
     十市の里に衣打つ声
              式子内親王(新古今集)

の歌がある。

十七句目

   十市の里の愚僧也けり
 眼玉碁盤にさらして年久し    松意

 眼玉は「まなこだま」とルビがある。
 仏道修行よりも囲碁にはまって年を取ってしまった。碁の名人になるならいいが、当時は賭け碁も盛んだった。

十八句目。

   眼玉碁盤にさらして年久し
 どつとお声をたのむ蜘舞     正友

 蜘蛛舞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蜘蛛舞」の解説」に、

 「〘名〙 綱渡りなどの軽業(かるわざ)。また、その軽業師。
※多聞院日記‐天正一三年(1585)三月一六日「於二紀寺一十一日よりくもまい在レ之」
[補注]「書言字考節用集‐四」に「都廬 クモマヒ〔文選註〕都廬国名有二合浦南一〔漢書註〕都廬国人勁捷善縁レ高有二跟掛腹旋之名一」とあり、軽業師の意はここから出たものか。」

とある。
 これは相対付けであろう。祭の日は碁盤を睨んでじっとしている博徒の横で蜘蛛舞が行われてたりする。

十九句目

   どつとお声をたのむ蜘舞
 旦那方まさるめでたき猿回し   一朝

 猿に綱渡りをさせる芸か。句は猿引きの口上になる。「まさる」に「さる」を掛けている。

二十句目

   旦那方まさるめでたき猿回し
 常風呂立て湯女いとまなし    一鉄

 常風呂はいつでも入れる風呂ということで温泉だろうか。湯女は忙しそうで、まるで猿回しの猿のように落ち着かない。
 湯女(ゆな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湯女」の解説」に、

 「① 温泉宿にいて入浴客の世話や接待をする女。有馬にいたものが有名。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)三「此徒(いたづら)、津の国有馬の湯女(ユナ)に替る所なし」
  ② 江戸・大坂などの風呂屋にいた一種の私娼。
  ※慶長見聞集(1614)四「湯女と云て、なまめける女ども廿人、三拾人ならび居てあかをかき髪をそそぐ」

とある。

二十一句目

   常風呂立て湯女いとまなし
 伽羅の香に心ときめく花衣    在色

 湯女は娼婦なので、伽羅の香を焚いて華やかな着物を着ている。

二十二句目

   伽羅の香に心ときめく花衣
 出合の余情春の夜の夢      志計

 春の夜とくれば、

 春の夜の夢の浮橋とだえして
     峰にわかるる横雲の空
              藤原定家(新古今集)

 雲のように儚く消えてゆく。

0 件のコメント:

コメントを投稿