2022年9月6日火曜日

  日本の大衆文化の中には今も暗黙のサブカル境界線があるように思える。
 サブカルという言葉は最近は用いられることが少なく、ほぼ死語になっているが、サブカルとそうでないものを分ける境界というのは、何となく存在する。
 サブカルは本来カルチャーと呼べないものでも、左翼のプロパガンダとして利用できるものに関してはメインカルチャーに対して下位のカルチャーとして認めるというもので、社会風刺や社会問題に触れる場面があったり、警察や役人などの公権力をパロディーにしたり、あるいは政界がらみの陰謀と戦う物語だとか、単純な勧善懲悪的な物語も含まれる。
 ジャンル的にはパンクやオルタナは含まれるが、メタルやヴィジュアル系は一部の例外を除いて排除されるだとか、漫画は良いがラノベは古い一部の作品以外は含まれなかったりする。アニメにもあまり明瞭ではないが境界線がある。主に製作者やスタッフなどの思想的な立場が決め手になるようだ。
 音楽の場合は主要な夏フェスに選ばれるものと選ばれないものが毎回話題になる。書籍の場合は店主が品ぞろえに大きな権限を持った、特化した書店などだとこの境界が顕著になる。ねこ書店はねこ漫画は置くが、ねこラノベは置かない。
 AVなどのポルノはかつて公権力の規制に反対するから反権力ということで支援していたが、規制が緩くなってくると反権力の意味合いが薄れ、今では逆にフェミにかこつけて敵視するようになっている。
 もちろん本気でAV女優の立場など考える気はさらさらない。ただAV女優がいわゆる「労働者」になるのを手助けしているだけだ。LGBTに関しても、ゲイバーを潰して労働者にさせようとしている。

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