2020年6月20日土曜日

 今日は午前中は晴れたが昼から曇ってきた。閏四月も今日で終わり。
 結局コロナに関係なく、仕事はずっとあった。連休で休んだ時は籠城だなんて言っていたが、何のかんの言って毎日のように外に出ていたし、結構仕事柄県境を越えることも多かったし、通勤も神奈川から東京に移動している。
 それで言えるのは、まだ一度も自粛警察とやらに逢ったことも見たこともないということだ。それに感染者の多い東京の品川ナンバーの車で移動しているのに、罵倒されたり来るなと言われたりといった差別を受けたことは一度もない。
 マスゴミという奴は結局ほんのわずかな限られた例だけで、あたかも日本中がそうなっているかのように大袈裟にわめきたてるものだ。
 日本は今日も平和だ。鈴呂屋は平和に賛成します。
 アマビエ巻八十九句目。

   垣間見るのはスク水の君
 もっこりも気にならぬ程あどけなく

 それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。

 四十三句目。

   みよや涙の袖のくれなゐ
 等閑に思ひし色ははじめにて    士沅

 「等閑」は「なおざり」。本気ではないということ。
 たわむれの恋でも今は血の涙を流すほど打ちのめされている。ビートルズの「イエスタデイ」の一節が浮かんできそうな句だ。
 「イエスタデイ、なおざりに思いし/今袖はくれない」という雅語バージョンの歌詞が出来そうだ。
 四十四句目。

   等閑に思ひし色ははじめにて
 住みあかれめや秋の山里      宗怡

 いい加減なつもりだったのは最初だけで、を恋ではなく山里での暮らしとする。いつの間にか山里での暮らしにはまってしまう。
 四十五句目。

   住みあかれめや秋の山里
 宇治川や暁月の白き夜に      元用

 宇治川は琵琶湖に発し山の中を通って宇治へと流れる。平等院のある辺りでは西側に平野が開け暁の月がきれいに見える。
 喜撰法師がここに住み、

 我がいほは宮このたつみしかぞすむ
     世を宇治山と人はいふなり
             喜撰法師(古今集)

の歌でも有名になった。
 四十六句目。

   宇治川や暁月の白き夜に
 こゑすさまじき水の水上      与阿

 『源氏物語』の「浮舟」であろう。

 「暮れて月いと明かし。 有明の空を思ひ出づる、涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かなと思ふ。母君、昔物語などして、 あなたの尼君呼び出でて、 故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。」

と浮舟は母君や尼君の話を聞いているうちに、

 「など、言ひ交はすことどもに、 いとど心肝もつぶれぬ。 なほ、わが身を失ひてばや。つひに聞きにくきことは出で来なむと思ひ続くるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを」

と宇治川の水音に入水を思うことになる。
 四十七句目。

   こゑすさまじき水の水上
 霧り渡る田面の末に鴫立ちて    専順

 前句の「こゑ」を鴫の声とする。

 明ぬとて沢立つ鴫の一声は
     羽かくよりも哀なりけり
             藤原家隆

の歌もある。
 霧で良く見えない田の遠いところから鴫の声が聞こえてくる。美しいというよりは荒んだ、寒々しい声だ。
 四十八句目。

   霧り渡る田面の末に鴫立ちて
 今折からの哀をぞ知る       清林

 鴫といえば、

 心なき身にもあはれは知られけり
     鴫立つ沢の秋の夕暮れ
            西行法師(新古今集)

で、田面の末の霧の中に立つ鴫を見て、心なき身も今折から哀れを知ることになる。
 四十九句目。

   今折からの哀をぞ知る
 侘びぬれば冬も衣はかへがたし   行助

 落ちぶれ果てた身には冬でも衣を変えることができずに寒い思いをしている。前句の「哀」を貧困の哀れとする。
 五十句目。

   侘びぬれば冬も衣はかへがたし
 かたびら雪は我が袖の色      心敬

 「かたびら雪」は薄く積もった雪の意味と一片の薄くて大きな雪という二つの意味がある。帷子が夏用の薄い一重の着物で、その帷子のような雪ということで、その二つの連想が生じたのだろう。
 ここでは帷子に付着する一片の薄くて大きな雪という意味か。雪が降っているのに帷子を着てたのでは凍死しそうだが。

 霰まじる帷子雪は小紋かな     宗房

は芭蕉の若い頃の句だが、発想が似ている。

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