2020年5月3日日曜日

 今日もいい天気でやはり暑い。
 wifiルーターの調子が悪かったので、それで予約して外出し、機種変更した。人は結構歩いている。子供連れの家族、老夫婦など、あまり一人で歩いてはいない。
 映画の『シンゴジラ』に、

 「日本はスクラップ&ビルドでやってきた。だから大丈夫、きっと立ち直る」

という言葉があったが、今のコロナもその時なのだろう。これからたくさんの店が潰れ、たくさんの企業が倒産し、たくさんの人が失業者になる。補助金や何かで一生懸命延命を図っても、いつかは壊れる時が来る。
 でもそのあと日本はまた奇跡を起せると信じている。
 今回ばかりは日本だけでなく、世界中でスクラップ&ビルドが起こると思う。時代は変わる。乗り遅れにご注意を。

   焼けぼっくいを横目で眺め
 これじゃまるでボーイズラブの女キャラ

 「かくれ家や」の巻の続きに行く前に、「温海山や」の巻で一分修正。

 五句目。

   土もの竃の煙る秋風
 しるしして堀にやりたる色柏  不玉

 陶芸窯の燃料にする薪を取りに行く。
 倒れかけた古木などにまず印をつけ、これを切り倒し、根も掘り出して使う。ここでは紅葉した柏が選ばれる。
 六句目。

   しるしして堀にやりたる色柏
 あられの玉を振ふ蓑の毛    曾良

 「堀」を動詞ではなく名詞の「堀」に取り成し、お城と武士を思い浮かべ、

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に
     霰たばしる那須の篠原
                源実朝

の歌から霰へ持って行く。
 霰を防ぐために蓑を着るが、百姓から借りた蓑なのか、その蓑も古びて毛ばだっている。

 それでは「かくれ家や」の巻の続き。

 十一句目。

   酒の遺恨をいふ心なし
 婿入は誰に聞ても恥しき      曾良

 おそらく酔って過ちを犯し、責任取らされたのだろう。
 婿養子というのは昔から肩身の狭いものだが、これだと余計に肩身が狭い。
 まあ、跡取り欲しさに嵌められたのかもしれない。
 十二句目。

   婿入は誰に聞ても恥しき
 ざれて送れる傾城の文       等雲

 婿養子の弱みを握っている遊女は、あの手この手でいじり倒そうとする。実家に文などとはそら恐ろしい。
 十三句目。

   ざれて送れる傾城の文
 貧しさを神にうらむるつたなさよ  須竿

 金がなくて通うことができないから、その言い訳に冗談めかした文を遊女に送る。金持ちだったら身請けできるのに、というところか。
 十四句目。

   貧しさを神にうらむるつたなさよ
 月のひづみを心より見る      素蘭

 心に僻みがあれば月もひづんで見えるということか。
 十五句目。

   月のひづみを心より見る
 独して沙魚釣兼し高瀬守      等躬

 「高瀬守」は高瀬舟を管理している人のことか。「高瀬舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「近世以後、川船の代表として各地の河川で貨客の輸送に従事した船。小は十石積級から大は二、三百石積に至るまであり、就航河川の状況に応じた船型、構造をもつが、吃水の浅い細長い船型という点は共通する。京・伏見間の高瀬川就航のものは箱造りの十五石積で小型を代表し、利根川水系の二百石積前後のものはきわめて長大で平田舟(ひらだぶね)に類似し、大型を代表する。」

とある。
 いくら高瀬守だからといって、船を勝手に拝借して沙魚釣(はぜ釣り)を楽しむのは職権濫用というもの。でも実際にいたんだろうな。月もひづんで見える。
 十六句目。

   独して沙魚釣兼し高瀬守
 笠の端をする芦のうら枯      栗斎

 はぜ釣り船は芦のうら枯れの中を行く。ここは景を付けて流す。
 十七句目。

   笠の端をする芦のうら枯
 梅に出て初瀬や芳野は花の時    芭蕉

 芭蕉は『笈の小文』の旅で初瀬や芳野の桜を見て回ったが、その前に伊勢で御子良子の梅を見ている。
 前句を春もまだ早い頃の伊勢の浜荻とし、自分自身の旅の記憶を付けたか。連句でこういう私的な体験を付けるのは珍しい。
 まあそれを抜きにしても、

 都をば霞とともに立ちしかど
     秋風ぞ吹く白河の関
              能因法師


の興で、いかに長く旅をしてきたか、という句ではある。「芦のうら枯」は別に難波の芦としてもいい。
 十八句目。

   梅に出て初瀬や芳野は花の時
 かすめる谷に鉦鼓折々       曾良

 前句をお遍路さんのこととする。
 西国三十三所めぐりに吉野は入ってないが、三十三所は時代によっても変わってきているし、江戸時代にはついでにその周辺の有名な寺院を回るのは普通で、江戸から来る場合は長野の善光寺にも立ち寄ったという。

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