毎日新聞では安倍首相の支持率の急落を伝えている。ある程度は予想していた。
それは緊急事態宣言の解除をめぐり、ほとんど周りに流された形で、確固たる意志が感じられなかった。やはり優柔不断で頼りないという印象を持った人が多かったのだと思う。
それに加えて検察庁法改正案で、これを簡単に撤回したばかりか国家公務員法改正案まで取り下げてしまった。
検察庁法改正案に反対するツイットは最初から十五パーセントの反安倍の人たちのものだから、これがいくら盛り上がったとしても安倍の四十パーセントの支持層には何の影響も与えない。ただ、このツイットに屈して法案を取り下げたとなると、安倍支持層は落胆したはずだ。
しかも公務員の定年延長をわざわざ白紙に戻すというのは、右も左も理解できない。ここにも周りに流されている安部の姿があるだけで、確固たる意志を感じさせるものが何もない。
コロナはまだ終ったわけではない、ここで麻生政権ということになると、日本がブラジルになりかねない。困ったものだ。
朝はカラスの騒ぐかあかあ
住み込みの仕事どこかにないだろか
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」」の続き。
名残裏。
九十三句目。
とまらぬ浪の岸をうつ声
山吹の散りては水の色もなし 心敬
山吹と言えば、
吉野河岸の山吹ふく風に
そこの影さへうつろひにけり
紀貫之(古今集)
かはづ鳴くゐでの山吹ちりにけり
花のさかりにあはましものを
よみ人知らず(古今集)
といった歌がある。
山吹は散ってしまうと跡形もないのを本意とする。それは源流に近い清流のイメージがあることと、桜のように大きな木で一斉に散るわけではないので、花筏をイメージしにくかったのであろう。
ここで言う「水の色なし」も水に映っていた山吹の花がなくなったので色がなくなったとしたほうがいい。金子金次郎注は花筏のイメージで水本来の色がないと解しているが。
水に映る山吹の色もなく、ただ浪の音ばかりだというのを、行く春の情とする。
九十四句目。
山吹の散りては水の色もなし
八重おく露もかすむ日のかげ 心敬
山吹には一重のものもあれば八重咲きのものもある。
山吹も散ってしまえばあとは残された葉っぱに置く露ばかり。その露が八重に輝き、八重山吹の名残を留めている。
霞む日の光にまだ春が暮れてないのを感じさせる。最後の春のきらめきというべきか。
九十五句目。
八重おく露もかすむ日のかげ
春雨の細かにそそぐこの朝 心敬
前句の「八重おく露」を春雨の雫とする。
雨は降っているもののかすかに薄日が射して雨の雫がきらきらと輝く。
ところで気になっていたが、名残の最後の春にもついに「花」は出なかった。
当時は花の定座はなかったし、花の句に制限はあっても詠まなくてはいけないという規則はなかった。そのため、初の懐紙には二十句目に「櫻」はあっても花はない。二の懐紙は三十四句目に「花の木もなし」と花は出ているが打ち消されている。三の懐紙も六十八句目に青葉になった「花」を詠んでいる。四の懐紙はこぼしているので、結局花の句は二句しかない。もちろん式目には反していない。
九十六句目。
春雨の細かにそそぐこの朝
思ひくだくも衣々のあと 心敬
最後のほうで景色の句が続いて、少し変化が欲しかったのか、最後に恋に展開する。それも悲しい恋に。
「思ひくだく」はあれこれ悩んでは思い乱れること。
衣々は「後朝(きぬぎぬ)」だが、衣に点々と散った涙が春雨の細かにそそぐのと重なる。
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