今日は小雨が降った。
日本を救ったのは国民一人一人の自覚と頑張りだけでなく、それ以前からCTスキャンの普及率が高く、肺炎に対して万全の備えをしてきたこと、国民皆保険制度や指定感染症医療費の公的負担などによって経済的に医療を受けられなかった人が少なかったことなども勝因にされてている。
潔癖症、コロナ以前から高かったマスク着用率、接触を伴う挨拶をしないこと、終止無言の満員電車、などいろいろな幸運に恵まれたことも確かだろう。
ただ、政治家とマスコミだけはあいかわらずどうしようもない。
×経済活動で命を危険に晒すか、ウイルスで命を危険に晒すか
○ウイルスで命の危険に晒される上に、ウイルスは経済活動をも破壊し、経済的にも命の危険に晒される。
これから出口戦略に入るにしても、そこにあるのは「ウイルスか経済か」という二択ではない。ウイルスがなくなれば自ずと経済への制約もなくなる。それだけのことだ。
コロナに勝てばライブも出来るぞーっ。その時が新世界だ。
太古より恋の遺伝子引き継いで
それでも引くは子供何人
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。
六十一句目。
江の松がねにつなぐ釣舟
暮れかかる難波の芦火焼き初めて 心敬
「芦火」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (古くは「あしひ」) 干した葦を燃料としてたく火。あしふ。《季・秋》
※万葉(8C後)一一・二六五一「難波人葦火(あしひ)焚く屋のすしてあれど己が妻こそ常(とこ)めづらしき」
とある。
海辺の沼地や干潟の広がる平野部では薪の調達が困難なので、芦を燃やしたのだろう。
六十二句目。
暮れかかる難波の芦火焼き初めて
餉いそぐこやの哀さ 心敬
「餉(かれいひ)」は「かれひ」とも言う。干し飯(いい)のこと。
炊いたご飯を干したもので、江戸時代には夏の食欲のないときに干し飯を水で戻して食べていたし、もち米で作った道明寺粉は桜餅など菓子に用いられる。
『伊勢物語』九段の東下りの場面にも、
「三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。その澤のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。‥略‥
から衣きつつなれにしつましあれば
はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。」
というふうに登場する。
わざわざ「ほとび(ふやける)」という言葉が用いられているところをみると、古い時代には旅や行軍の際の携帯食で、戻さずそのまま固い干し飯をたべていたのではないかと思う。それならそんな旨いものでもなさそうで、哀れを誘っていたのだろう。
六十三句目。
餉いそぐこやの哀さ
侘びぬれば涙しそそぐ唐衣 心敬
前句のところでネタバレをやってしまったが、これはその『伊勢物語』九段を本説とした展開。
六十四句目。
侘びぬれば涙しそそぐ唐衣
うらみなりけり人のいつはり 心敬
「唐衣(からころも)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①中国風の衣服。広袖(ひろそで)で裾(すそ)が長く、上前と下前を深く合わせて着る。
②美しい衣服。」
とある。女房装束の「唐衣(からぎぬ)」とは違うようだ。おそらくは①ではなく、唐錦の美しい衣のことであろう。
となると、これは男歌で、女に嘘に涙することになる。『伊勢物語』の在原業平をそのまま引き継いだ感じだ。
駆け落ちして逃げる途中、結局女は鬼に食べられてしまう。とはいえ、実際は負ってきた人に説得されて帰ってしまっただけのことだったようだ。裏切られた悔しさから「鬼に食べられた」と言ったのだろう。
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