2020年5月11日月曜日

 いつもの仕事、いつもの渋滞、いつもの人混み、意外に早く日常が戻ってきたせいか、結局何も変わることがなかったみたいだ。まあ、気持ちを早く切り替えないとな。
 亡くなったたくさんの人も、勇敢に戦ったたくさんの人も、いつしか日常の中で忘れ去られ、名もなき人の名前は残ることもない。きっとスペイン風邪のときもそうだったんだろうな。
 カミュは「我反抗す、ゆえに我等あり」と言ったが、確か続きがあったと思った「されど我等は孤独なり」だったか。

   かえるの声はどこか寂しい
 花の宴門限だけはゆずれずに

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 二十七句目。

   はかなやいのち何を待つらん
 矢先にも妻どふ鹿は彳みて     心敬

 儚い命を矢先の前の鹿の命とする。武器の前には愛も儚く消されてゆく。鹿に限らず、戦が起こるたびに人間もまたこうやって消されていった。そんなことを心敬も京の街で見たのだろうか。
 二十八句目。

   矢先にも妻どふ鹿は彳みて
 秋草しげみしらぬ人かげ      心敬

 「て」留めの場合は倒置させて下句から上句へと読んだ方がわかりやすくなる時がある。この場合も「秋草しげみしらぬ人かげ、矢先にも妻どふ鹿は彳みて」と読んだ方がわかりやすい。
 知らぬ人影は猟師なのか、それとも畑を守り自分達の家族を守ろうとするお百姓さんだろうか。
 愛する者を守りたいのは鹿も人も同じ。ただ、それ同士が共食いになってしまう。それが生存競争というものだ。
 二十九句目。

   秋草しげみしらぬ人かげ
 古さとに野分独やこたふらん    心敬

 台風で壊滅した村に生き残った人が独り。家族や仲間の名を叫んでみても野分の風だけが答える。
 こうした悲劇の連続は、確かに俳諧にはないものだ。俳諧は悲しい句があっても次の句では笑いに転じる。
 三十句目。

   古さとに野分独やこたふらん
 かりねの月に物思ふころ      心敬

 前句の「古さと」を眼前のものではなく追憶の中のものとして旅体に転じる。
 遠い故郷のことを思っても、現前にあるのは野分ばかり。
 三十一句目。

   かりねの月に物思ふころ
 袖ぬらす山路の露によは明けて   心敬

 仮寝を山の中での野宿とする。目が覚めたら月はすっかり西に傾いている。
 三十二句目。

   袖ぬらす山路の露によは明けて
 雲引くみねに寺ぞ見えける     心敬

 前句の山路を山寺に続く道とする。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
     峰に別るる横雲の空
           藤原定家(新古今集)

の歌と照らし合わせると、「袖ぬらす山路の露」は浮世の夢で、横雲の空には仏道がある。
 三十三句目。

   雲引くみねに寺ぞ見えける
 俤や我がたつ杣のあとならん    心敬

 峰の寺に向かうのではなく、峰の寺をあとにするほうに展開する。
 雲の合間に寺が見えたと思ったのは幻で、あれはかつて自分が住んでいた山の記憶だったのだろうか、と疑う。
 金子金次郎注によれば、比叡山横川で修行時代を過ごした心敬が、延暦寺を開いた伝教大師の、

 阿耨多羅三藐三菩提の仏達
     わが立つ杣に冥加あらせたまへ
           伝教大師(新古今集)

の歌を思い起こしたという。
 「我がたつ杣」というと、

 おほけなく憂き世の民におほふかな
     わが立つ杣にすみぞめの袖
           前大僧正慈円(千載集)

の歌もよく知られている。
 三十四句目

   俤や我がたつ杣のあとならん
 蓬がしまの花の木もなし      心敬

 「蓬がしま」は東海の幻の神仙郷、蓬莱山。永遠に散らない玉の枝はあっても儚く散る花はない。
 前句の「や‥らん」を反語とする。
 三十五句目。

   蓬がしまの花の木もなし
 春深み緑の苔に露落ちて      心敬

 前句を蓬莱山ではなく、ただ蓬が生い茂る島で桜の花ももう散ってしまったとする。
 三十六句目。

   春深み緑の苔に露落ちて
 岩こす水の音ぞかすめる      心敬

 前句の「露落ちて」を岩を越えて流れる渓流の飛び散るしぶきとする。
 「音ぞかすめる」はやや放り込み気味の季語ではある。ただ、景色だけでなく音も霞むというところには一興ある。
 音楽の音も秋は澄んで聞こえ、春は音が籠る。『源氏物語』の末摘花巻に、朧月の夜に七弦琴を聞きに行こうとしたとき、大輔(たいふ)の命婦が、

 いと、かたはらいたきわざかな。ものの音すむべき夜のさまにも侍らざめるに
 (何か、かなり無理があるんじゃない。こういう夜は楽器の音もクリアに聞こえないし。)

と言う場面がある。

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