高濱虚子の「五百句」に、
もとよりも恋は曲者の懸想文 虚子
の句があった。今となっては難しい句だ。
まず季語は懸想文で春(歳旦)だが、これは正月にやって来る懸想文売りというのがいて、寛文三年の「増山井」に、
けさう文売 俳 同 桃符 桃板 桃梗 仙木 鬱塁 神荼
是ハもろこしのならはしに桃の木の札に神荼鬱塁の二神の形を絵に書て元日に門にたてて凶鬼を防ぐ業し侍りこれを桃符とも桃梗とも桃板仙木などもいへり 事文
とある。事文は「事文類聚」の引用ということか。
懸想文は現代では京都須賀神社の節分の時に授与するものとして残っている。
句の方では、呪符としての懸想文に本来の恋文の意味を掛けて、恋は曲者の懸想文と繋げている。
この「恋は曲者」も出典のある言葉で、謡曲『花月』に由来する。
七歳の息子が天狗にさらわれ、世を儚んで出家した僧が清水の門前で小歌を謡い曲舞を舞う少年のことを知る。その小歌の中に「恋は曲者」のフレーズがあり、少年が僧に体を売る衆道であることが仄めかされる。
このフレーズは延宝六年の、「実や月間口千金の通り町 桃青」を発句とする歌仙の挙句に、
花の時千方といつし若衆の
恋のくせもの王代の春 卜尺
という形で、やはり衆道を仄めかすものとして用いられている。
この句の意味は札に描かれた神荼鬱塁の二神がどちらも髭面の男で、それが懸想文と呼ばれていることから、この二神は同性愛者で「もとよりは恋の曲者」だということだろう。
五百句の初めの方に位置することから、明治二十年代の、まだ子規が生きていた頃の句だろうか。江戸の俳諧の名残を留めていてなかなか面白い。
この句は高濱虚子に季重なりの句がないかどうか朝日文庫の「高濱虚子集」をめくって見つけたものだ。一つ前の句は、
しぐれつつ留守守る神の銀杏かな 虚子
で、予想通り「時雨」「神の留守」「銀杏」と三つの季語を用いた句が存在していた。この時代の人が季重なりに頓着しなかったのは明らかだ。
あと、鈴呂屋書庫の『笈の小文─風来の旅─』の書き直しが終わったのでよろしく。
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