ウクライナのことでいろんな情報が飛び交っているが、基本的に俺は一貫してウクライナと自由主義の側の人間で、動揺はない。
むしろ常に動揺してるのは、とっくに社会主義でなくなってるロシアを反米だというだけの理由で支持していいものかどうか、最初から迷いのあった左翼の方じゃないかな。
実際あからさまにロシアを支持するという人はほとんどなくて、表向き中立を装っている。ただ、侵略行為を容認してる時点で、中立なんて口先だけのものだが。
いじめの問題でも、いじめられる側にも問題があるなんて言ってる人間は信用しないことにしている。何か適当な口実を見つければ、必ずいじめる側に回る。
本気でロシアの味方をしてるのは、ある意味鈴木宗男くらいかもしれない。そう思うとあの人は憎めない。
ロシアが負けたら左翼は手のひら返しをすると思う。
そして今度はロシアの経済復興と民主化の手助けを妨害する側に回り、制裁解除に頑強に反対し続けるんじゃないかと思う。
二裏
三十七句目
鳶口もつてくるよしもがな
いかんせん火事ほどもゆる我おもひ
前句の鳶口を火消の延焼防止の道具として、恋の炎の火事とする。
点あり。
三十八句目
いかんせん火事ほどもゆる我おもひ
折ふし恋風はげしかりけり
どういう恋なのかという展開ではなく、軽く恋風が激しいから燃え上がってと受ける。
下手に具体的に踏み込んだ展開にすると重くなって身動きができなくなりがちだが、この軽さは宗因も好感したようだ。長点があり、「かろくやすらかにてかんしんにて候」とある。
三十九句目
折ふし恋風はげしかりけり
忽に家もつぶるるおごりやう
忽は「たちまち」とルビがある。
恋風が激しいというだけの前句なので、遊郭に財産をつぎ込んだ男への展開もスムーズになる。
長点だがコメントはない。
四十句目
忽に家もつぶるるおごりやう
目貫小づかも後はふるかね
目貫(めぬき)小柄(こづか)は刀の装飾で、これに笄(こうがい)を加えて三所物(みところもの)という。
目貫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「目貫」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (「め」は孔(あな)の意) 刀や槍(やり)の目釘のこと。鎌倉以降、頭と座の飾りと釘の部分を離して別の位置につけるようになり、釘の部分を真目貫(まことめぬき)・目釘といい、飾りの金物を目につく箇所につけて空目貫(そらめぬき)という。近世には普通、空目貫をさす。
※神楽歌(9C後)採物・劔「〈本〉銀(しろかね)の 女奴支(メヌキ)の太刀を さげ佩きて」
※平家(13C前)四「甲の鉢にあまりにつよう打あてて、めぬきのもとよりちゃうどをれ」
とある。この場合は空目貫になる。
小柄はコトバンクの「百科事典マイペディア 「小柄」の意味・わかりやすい解説」に、
「日本刀の鞘(さや)に添える刀子(とうす)(小刀)で,三所物の一つ。刀や脇指(わきざし)を腰にさした場合,内側に位置する。柄の部分に彫金が施され,実用性よりも装飾性が強い。南北朝ごろから出現し,江戸時代には装剣金具の一つとして発達。」
とある。
ちなみにもう一つの笄は女性の髪飾りの意味もあるが、ここでは「精選版 日本国語大辞典 「笄」の意味・読み・例文・類語」の、
「③ 刀の鞘(さや)の付属品の一つ。金属で作り、刀の差表(さしおもて)に挿しておき、髪をなでつけるのに用いる。中世以降のものはほとんど実用の具ではなく、装飾品として、高彫の文様が施され、小柄、目貫と組合わされて用いられている。また、江戸時代、割笄(わりこうがい)といって二本に割ったものを作り、箸の用とすることもある。」
の意味になる。
さんざん浪費した挙句、装飾を施された名刀も古鉄屋(ふるがねや)に売ることになる。
これも長点でコメントはない。
四十一句目
目貫小づかも後はふるかね
奈良の都ねるは御座れの地黄せん
「拾遺集」の、神楽歌(作者不記)に、
銀のめぬきの太刀をさげきて
ならの宮こをねるやたがこぞ
の歌があり、これを本歌として「奈良の都ねる」と導き出し、「ねる」を練り歩くことから練り物の地黄煎とする。
地黄煎(ぢわうせん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「地黄煎」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (「じおうせん」から「じょうせん」となりさらに変化した語)
① 水飴(みずあめ)のこと。漢方の地黄を煎じたのに水飴を混ぜて、飲みやすくしたのが元で、のちにただの水飴や竹の皮に引き伸ばした飴、固形の飴の名称となった。
※浮世鏡(1688)「地黄煎(ぢおうせん)中国には『ぎゃうせん』『じょうせん』」
② 昆虫「あめんぼ(水黽)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」
とある。延宝の頃は「じおうせん」だったが、のちに「じょうせん」「ぎょうせん」になったか。
奈良の都を練り歩くのは練り物の地黄煎を売りの声。
点あり。
四十二句目
奈良の都ねるは御座れの地黄せん
たたく太鼓の音もなる川
地黄煎売りは太鼓を鳴らして売り歩いていたか。「音も鳴る哉」に鳴川という奈良の地名を掛ける。今の奈良市鳴川町はウィキペディアに、
「奈良市の中央部に位置する。北は高御門町、南は東木辻町・三棟町、東は元興寺町・西新屋町、西は南城戸町・西木辻町と接している。」
とあり、その由来は、
「小塔院の護命僧正が読経を邪魔する蛙の声をやめさせて、不鳴川と称し、誤って鳴川となった。」
とある。かつて遊郭のあった所で、コトバンクの「日本歴史地名大系 「木遊郭跡」の解説」に、
「奈良県:奈良市奈良町木辻町木遊郭跡
[現在地名]奈良市東木辻町・鳴川町・瓦堂町付近
西鶴の「好色一代男」に「爰こそ名にふれし木辻町、北は鳴川と申して、おそらくよねの風俗都にはぢぬ撥音、竹隔子の内に面影見ずにはかへらまじ」と記す。「奈良曝」に木辻遊郭の名はみえないが、木辻町・鳴川なるかわ町にくつわ(遊女屋)・揚屋を数十軒あげ、「八重桜」に遊女屋の図を載せている。
とある。
点なし。
四十三句目
たたく太鼓の音もなる川
明ぬとて起別れ行道のもの
鳴川遊郭での後朝とする。道の者はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「道の者」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 一芸をきわめてそれを職とするもの。また、その道の達人。専門家。学者、芸能者、職人、俳優など、さまざまな分野に用いられた。
※今鏡(1170)六「道のものにもあらぬ法師ばら、よく習ひたるものありけるになん」
※申楽談儀(1430)音曲の心根「道のもの参会して音曲する」
② 宿駅の遊女。転じて一般に、遊女の称。
※極楽寺殿御消息(13C中)六八条「けいせをとめ、又はしらひやうしなとあらんに、みちのものなれはとて」
とある。
点なし。
四十四句目
明ぬとて起別れ行道のもの
まくらのゆめもやぶれ草鞋
前句の道の者を宿駅の遊女として、旅体に転じる。
点あり。
四十五句目
まくらのゆめもやぶれ草鞋
小づかひの銭懸松を吹あらし
銭懸松はコトバンクの「日本歴史地名大系 「銭掛松」の解説」に、
「三重県:津市北郊地区高野尾村銭掛松
[現在地名]津市高野尾町
伊勢別街道沿いの、高野尾たかのお町と大里睦合おおざとむつあい町一帯の豊久野とよくのにある。豊久野は、応永三一年(一四二四)に「武蔵野に伊勢のとよくのくらぶればなをこの国ぞすゑはるかなる」(室町殿伊勢参宮記)と歌われ、また歌人尭孝も「君が代をまつこそあふけ広きのへ末はるかなる道に出ても」(伊勢紀行)と永享五年(一四三三)に詠んだ松原の名所である。このなかにあった銭掛の松を、文政一三年(一八三〇)「伊勢道の記」中で葉室顕孝が「ゆふかけておかみまつりし豊久のの松は今しも枯はてにけり」と詠んだ。」
とある。
前句の「やぶれ草鞋」を夢も破れて草鞋を履くという意味から草鞋が破れると取り成し、小遣いの銭もなくなって新しい草履を買うこともできない、とした。
長点があり「度々一見の心ちし候」とある。要するにお伊勢参りあるあるということか。
四十六句目
小づかひの銭懸松を吹あらし
しぐれもめぐる念仏講中
念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「念仏講」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。
※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」
とある。
この時代は念仏講が頼母子講に代わる時期だったか。念仏講でみんなの小遣い銭を集めて回る。
「時雨もめぐる」とあるが、十夜念仏(十月)の念仏講か。
点なし。あるいは念仏講と十夜念仏はもともと関係なく、次の句の展開を見越して強引に時雨の季節にしたか。
四十七句目
しぐれもめぐる念仏講中
十四日五日の暮の月寒て
十夜念仏は十月六日に始まって十五夜で終わる。この時期の夕暮れは時雨になりやすく、時雨が上がれば空は晴て月が見える。時雨の月は、
時雨れつるまやの軒端はのほどなきに
やがてさしいる月のかげかな
藤原定家(千載集)
などの歌に詠まれている。
点なし。前句の時雨の念仏講で既に十夜念仏への展開が見えてしまってるので、意外性はない。
四十八句目
十四日五日の暮の月寒て
大しほさせば千鳥なく也
満月の頃は大潮なので、大潮の海に千鳥を出す。
点なし。月の千鳥は、
須磨の関有明の空に鳴く千鳥
かたぶく月はなれもかなしき
藤原俊成(千載集)
の歌のように明け方に詠むもので、夕暮れの月の千鳥は減点だったか。
四十九句目
大しほさせば千鳥なく也
ちりちりやちつたところが花の波
「花の波」は貞徳の『俳諧御傘』に「正花也」とあり波に花の散る様で、「波の花は非正花、白波のはなに似たるをいふなり」と区別されている。
海辺の桜として、大潮で潮が満ちてくれば、散った花が花の波となる、とする。
「ちりちり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「浜千鳥の友呼ぶこゑは、ちりちりやちりちり」(狂言小唄・宇治のさらし)とあり、千鳥の声と花の「散り散りを掛けている。
長点で「面白とは此ときか」とある。狂言小唄の言葉を用いたことも評価されたのであろう。
五十句目
ちりちりやちつたところが花の波
春風誘ふ滝の糸くづ
滝の糸の風に散る様を糸屑に見立てて、滝の糸を散らすくらいの風に、滝の傍の桜も散るとする。ちりちりを塵塵にも掛けているのだろう。
点なし。花の波に春風の展開自体はありふれてて、塵と糸屑の縁は花を詠むにはあまり綺麗とはいえない。
0 件のコメント:
コメントを投稿