2023年6月9日金曜日

  性の商品化という言葉を誰が言い出したか知らないが、性は売春を含めて最も古い商品と言って良い。
 地球に定員があり、男も女も農地などの家督を相続できない場合、男は兵隊になり女は遊女になるというのは自然な流れだった。
 生産手段を持たない以上、交換によって生活するしかない。一番最初の商品はまず自分の体だった。
 男は体力を売り、女は性を売る。性の商品化は交換経済の起源と言っても良い。
 つまり、性の商品化がいけないというのは、生産手段を持たないものは死ぬしかないということだ。
 社会主義が生産手段の私有化を禁止した時、その生産手段の恩恵にあずかれるのは誰なのか。それは共同体(コミューン)に属する者だけだ。そのコミューンが何らかの排除のシステムを持つなら、すべての人間は生殺与奪権をコミューンに握られていることになる。
 排除なき共同体というのが一つの理想だったが、それは完全な人口の管理を前提とする。生産能力に見合っただけそれに伴う拡大再生産を「資本主義」として排除するなら、これがどんなディストピアかわかるだろう。世界は常に最低限の生産による最低限の人口に抑えられなければならない。
 人口がコントロールできなければ、余剰人口を何らかの理由を付けて排除しなくてはならない。飢餓と粛清の地獄だけが待っている。
 我々がこの社会主義の飢餓と粛清を逃れるべきなら、まず最初に解放されなくてはならないのは、男も女もまず自らの肉体を売る権利だ。そこから交換経済が始まり、今に至る文明の階段がある。
 交換価値が労働者の労働価値を越えてより大きな付加価値を得ることができるのも、すべてそこから始まった。性は商品化されなくてはならない。

 それでは「去年といはん」の巻の続き。

名残表

七十九句目

   若菜つみつつ今朝は増水
 かせ所帯我衣手にたすきがけ

 「かせ所帯」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「悴所帯」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 貧乏所帯。貧乏暮らし。貧しい生活。かせせたい。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「童子が好む秋なすの皮〈在色〉 花娵(はなよめ)を中につかんでかせ所帯〈雪柴〉」
  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「あるかなきかのかせ所帯(ショタイ)、妻は手づまの賃仕事(しごと)」

 貧乏人の子沢山という言葉があり、子供の多さが手枷足枷になって貧しさから抜けられないという意味合いもあるのだろう。
 前句の「若菜つみ」から、

 君がため春の野に出でて若菜つむ
     我が衣手に雪はふりつつ
            光孝天皇(古今集)

を本歌として、貧しい家でも七草の雑炊を作るとする。
 点なし。

八十句目

   かせ所帯我衣手にたすきがけ
 妻子にまよふ闇の鵜づかひ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 人の親の心は闇にあらねども
     子を思ふ道にまどひぬるかな
            藤原兼輔(後撰集)

の歌を引いている。
 親が子を思うのは自然なことではあるが、今の世でもモンスターペアレンツ(通称モンペ)がいるように、子供のこととなると人は血相を変えて理不尽なことをするものだ。
 昔は仏道の迷いになるとされ、中世の『西行物語』ではこれが出家の妨げだと娘を蹴っ飛ばす場面があったりするが、それもまた極端だ。
 鵜匠の仕事は殺生の罪を犯すということで、謡曲『鵜飼』でも、

 「鵜船に燈す篝火の、後の闇路を、いかにせん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3497). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。
 殺生の罪とは言え、鵜匠も妻子を養ってゆくためには鵜飼の仕事を続けなくてはならない。
 点あり。

八十一句目

   妻子にまよふ闇の鵜づかひ
 滝つせやいとどかはいの涙川

 「かはい」は川合と可愛を掛けたものか。「かはゆし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「形容詞ク活用
  活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}
  ①恥ずかしい。気まり悪い。
  出典右京大夫集 
  「いたく思ふままのことかはゆくおぼえて」
 [訳] あまりに自分の思っているままのことでは恥ずかしく思われて。
  ②見るにしのびない。かわいそうで見ていられない。
  出典徒然草 一七五
  「年老い袈裟(けさ)掛けたる法師の、…よろめきたる、いとかはゆし」
  [訳] 年をとり、袈裟を掛けた法師が、…よろめいているのは、たいそう見るにしのびない。
  ③かわいらしい。愛らしい。いとしい。◆「かほ(顔)は(映)ゆし」の変化した語。
  語の歴史室町時代から③の意味でも用いられるようになり、形は「かはいい」に変わり、現代語「かわいい」につながる。」

とある。今の「可愛い」に近い意味でも用いられた。
 「妻子にもよふ」に「可愛の涙川」、「闇の鵜づかひ」に「滝つせの川合」が付く。
 点なし。

八十二句目

   滝つせやいとどかはいの涙川
 岩ねの床にだいたかしめたか

 「だいたかしめたか」は分りにくいが、今日的には「抱きしめる」というべきところを、この頃は別々に言ったか。
 「しめる」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「締・絞・閉・搾」の意味・読み・例文・類語」に、

 「④ 男女が手足をからみ合わせる。強く抱きあう。情交する。
  ※仮名草子・恨の介(1609‐17頃)上「まだ夜は夜中、しめて御寝(およ)れよの」

という意味がある。
 滝つ瀬の岩の上でまぐわったということか。
 点あり。

八十三句目

   岩ねの床にだいたかしめたか
 奥山に扨も狸のはらつづみ

 岩の上でそんなうまいことがと思ったら、やっぱり狸に化かされていた。
 前句の「しめた」が鼓の紐を締めるの縁になる。
 点なし。

八十四句目

   奥山に扨も狸のはらつづみ
 東西東西さるさけぶ声

 「東西東西(とざいとうざい)」というと相撲の時の口上。
 奥山で狸が相撲を取って猿が行司になる。
 点なし。

八十五句目

   東西東西さるさけぶ声
 入みだれ軍はその日七つ時

 七つは申の刻で、不定時法で季節のずれはあるが午後四時ごろ。前句の「さるさけぶ」を申の刻に叫ぶと取り成す。
 戦を始めるにはやや遅い時刻ではあるが、和田合戦は申の刻に始まっている。
 点あり。

八十六句目

   入みだれ軍はその日七つ時
 飯焼すててかまくらの里

 七つ時は朝未明の時刻にもなる。
 先ほどの和田合戦だが、ウィキペディアには、

 「申の刻(16時)、義盛ら和田一族は決起し、150騎を三手に分けて大倉御所の南門、義時邸、広元邸を襲撃した。義時邸は残っていた兵が防戦し、広元邸には客が残って酒宴を続けていたが、和田勢がその門前を通り過ぎていった。政所の前で合戦となり、波多野忠綱や幕府側へ寝返った義村が来援して和田勢を防戦している。」

とあり、その翌日は、

 「夜が明け始めた翌3日(24日)寅の刻(4時)、由比ヶ浜に集結していた和田勢の元に横山時兼らが率いる横山党の3000余騎が参着、和田勢は勢いを盛り返した。時兼と義盛はもともとはこの日を戦初めと決めていたので、時兼はこの日になって到着したのだった。」

とある。
 鎌倉での早朝の戦闘に、飯を炊いたまま食う間もなく出陣する。
 点なし。

八十七句目

   飯焼すててかまくらの里
 鮨桶を由井の汀に急ぎけり

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、謡曲『盛久』の、

 「シテ 鐘も聞こふる東雲に、
  ワキ 牢より牢の輿に乗せ、
  シテ 由比の汀に、
  ワキ 急ぎけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3077). Yamatouta e books. Kindle 版)

という、盛久が由比ガ浜に処刑のために運ばれてくる場面を引いている。
 ここでは、言葉だけ謡曲から取って、意味は飯を捨ててしまったため、急遽馴れ寿司の桶を運んでこさせる、というだけの句になる。
 点あり。

八十八句目

   鮨桶を由井の汀に急ぎけり
 ゆめぢをいづる使者にや有らん

 ここで再び謡曲『盛久』の先ほどの一節の続きの、

 「夢路を出づる曙や、夢路を出づる曙や後の世の門出なるらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3078). Yamatouta e books. Kindle 版. )

と続ける。
 この使者に盛久の処刑は中止され、命拾いすることになる。
 単に言葉だけの使用から物語の本説へと展開する。
 これは長点で「御盃すしを肴にこそ」とある。謡曲『盛久』はこのあと、目出度く宴会の場面になり、

 「シテ せん方もなき盛久が、
  地  命は千秋万歳の春を祝ふぞと、御盃を下さるれば、
  シテ 種は千代ぞと菊の酒、
  地  花をうけたる、気色かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3082). Yamatouta e books. Kindle 版. )

となり、鮨はその時の肴か、ということになる。

八十九句目

   ゆめぢをいづる使者にや有らん
 口上のおもむき聞ば寝言にて

 口上は今は芝居の口上の意味だが、元々は多義だった。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「口上・口状」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙
  ① 口頭で述べること。口頭で伝えること。また、その内容。また、型にはまった挨拶のことばをいう。
  ※続日本紀‐天平勝宝元年(749)二月壬戌「式部更問二口状一、比二挍勝否一、然後選任」
  ※承久軍物語(1240頃か)二「口上に申さるるやう、義時昔より君の御ために忠あって私なし」
  ② ものいい。口のききかた。口ぶり。弁舌。
  ※無名抄(1211頃)「あしたにするをばあさりと名つけ、夕にするをばいさりといへり。これ東のあまの口状なり」
  ※虎寛本狂言・八句連歌(室町末‐近世初)「久敷う逢ぬ内に、口上が上った」
  ③ 歌舞伎その他の興行物で、出演者または劇場の代表者が、観客に対して述べる挨拶(あいさつ)。また、それをいう人。初舞台、襲名披露、名題昇進、追善などで行なわれる。また、題名、出演者などの紹介をすることや、それをする人をさしていうこともある。
  ※評判記・役者評判蚰蜒(1674)ゑびすや座惣論「榊武兵衛が、たて板に水をながすやうなる口上のいさぎよき」
  ④ 注意事項や疑問点を書き込んで、文書や書籍にはりつけた紙。押紙(おうし・おしがみ)。付箋(ふせん)。〔物類称呼(1775)〕
  ⑤ =こうじょうちゃばん(口上茶番)
  ※人情本・春色雪の梅(1838‐42頃か)二「そいつア面白くねえでもねえが、口上茶番(コウジャウ)か立茶番(たち)か」

 この場合は①の、使者の口頭での伝達で、それが意味不明というかとんでもないことを口走ってるので、寝言を言うなということになる。寝言だけに夢路からやって来た使者かってことになる。
 点なし。

九十句目

   口上のおもむき聞ば寝言にて
 ねつきはいまださめぬとばかり

 「ねつき」は寝付きと熱気を掛けたか。
 前句を③の芝居の挨拶と取り成し、観客の熱気の醒めないうちにまたとんでもないことを言い出す。寝言みたいだから寝付いたばかりで目が覚めてないみたいな、とする。
 点なし。

九十一句目

   ねつきはいまださめぬとばかり
 夕月や額のまはり照すらん

 月代(さかやき)と月を掛けた古典的なネタで、前句の「ねつき」はこの場合熱気で夕涼みの句にしたのであろう。ただ、句としては秋の句になる。
 点なし。

九十二句目

   夕月や額のまはり照すらん
 けぬきはなさぬ袖の秋風

 月代はすぐに毛が生えてくるので、その都度毛を抜かなくてはならない。永久脱毛などない昔の人は痛くて大変だった。
 「額のまはり(月代)」に「けぬき」が付き、「夕月」に「秋風」が付く。

 かたしきの袖の秋風小夜ふけて
     なほ出でかての山の端の月
            藤原知家(続拾遺集)

の歌もある。
 点なし。

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