2023年7月30日日曜日

  Xのコミュニティノートを見てると、これまでいかにとんでもないデマが多かったのかよくわかる。
 デマを一度信じちゃうと、自分だけだ正しい情報を持っていると思い込み、世間の人たちがみんな無知蒙昧な群衆にしか見えなくなるのだろう。いくら周りの人があれはデマだと説得しても、こいつらはみんな権力の犬で、真実を持つ俺が恐いから弾圧に来たんだと思い込む。
 デマを流す方もこんなことが起こるとデマを流しておいて、デマだから当然そんなことは起きないから、みんなで怒りの声を挙げよと煽る。で、何事も起きないと、みんなが声を挙げたから起こらなくなったんだと言って、あたかもみんながこの世の中を動かして、世界を救ってるかのような錯覚を与える。
 戦後七十年日本が平和だったのは、みんなが戦ってきたからで、俺たちが戦うのを止めたら日本は再び侵略戦争を始めて何百万という人が死ぬ、ずっとそう信じ込まされてたのだろう。そして日本が今平和なのは俺たちのおかげだとばかりに大威張りで、大衆をごみ屑のように思う。
 既に信じてしまった連中はもうどうしようもない。ただ、新たに間違った道に落ちる人を減らすことができれば、Xのコミュニティノートも意味がある。
 デマを信じてる人間は、デマから目を醒まさせようとする者は、みんな権力の回し者で、自分らに弾圧を加えてると思い込んでいる。だからXを批判して旧Twitterを擁護する人間はこうした連中が多い。
 まあ、普通に昔からのTwitterに愛着を持つ人もいるが、そういう人はネットでマスクさんを糾弾したり、不信をあおるような言動はしないと思う。一見なくなって行く青い鳥のマークを惜しんでるようで、心はXのロゴよりもどす黒い。

   Twitter終了
 囀るなお前はもはや鳥じゃない

 わくら葉の翼は夏に哀れなり
     囀ることも止むと思へば

 あと、鈴呂屋書庫に鈴呂屋こやん句集をアップしたのでよろしく。
 今日はX奥の細道の一環で、鈴呂屋書庫になかった元禄二年六月十四日興行の「涼しさや」の巻七句を。

発句

 涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

 元禄二年六月十四日、酒田の寺島彦助(俳号詮道)亭での興行の発句。
 芭蕉はこの前日、鶴岡を出て、夕方伊藤玄順(俳号不玉)の家に着いた。この時赤川を船で下り、当時の赤川は最上川の河口付近で合流してたので、そこを通った時に海に入る最上川にインスパイアされたのだろう。この日は午後一時雨がぱらついたものの芭蕉が最上川に出た時には曇りで夕日は見えなかったと思われる。
 それでも大石田で最上川を見、そのあと新庄から船で最上川を下って羽黒山へ行った芭蕉には、この川が海に出る所までたどり着いたことと、その雄大な景色に心打たれるものがあったと思われる。
 そのため、酒田到着の翌日の興行では、早速この景色を「海に入たる最上川」の下七五にして、夏の興行の挨拶の常套句でもある「涼しさや」を上五に冠したのであろう。
 後に、他の所で見た日本海に沈む夕日の光景にそれまで旅してきた月日を掛詞にして、

 暑き日を海にいれたり最上川 芭蕉

の形で『奥の細道』を飾ることとなった。


   涼しさや海に入たる最上川
 月をゆりなす浪のうきみる  詮道

 ちょうど満月の頃でもあり、最上川河口の雄大な景色に月を浮かべたのであろう。西になるので明け方の沈む月になる。月の光に輝く夜明けの頃の波が物憂げで、それに「浮き海松(みる)」を掛詞にする。
 日本海に沈む月のイメージは、あるいは芭蕉に影響を与えて、月を夕日にして「暑き日を」の改作が生まれたのかもしれない。

第三

   月をゆりなす浪のうきみる
 黒がもの飛行庵の窓明て   不玉

 不玉は医者で、不玉の家が酒田滞在中の芭蕉の宿所となった。芭蕉到着時には留守で、翌朝、この興行の前にようやく会うこととなった。
 黒鴨はカルガモの別名だという。ただ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「黒鴨」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① カモ科の海ガモ。全長四五~五〇センチメートル。雄は全身黒色で、くちばしの基部に黄色の隆起物がある。雌は褐色でくちばしは黒い。潜水して貝類などを食べる。アラスカ、アジア北部で繁殖し、冬季に日本、中国など温帯地方の沿岸へ渡る。《季・冬》 〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② 鳥「かるがも(軽鴨)」の異名。《季・夏》
  ※俳諧・滑稽雑談(1713)五月「仙覚万葉抄云、黒鴨一名かると云は、鴨の類也、田舎人は黒鴨といふ」
  ③ (上着、股引ともに黒、紺無地仕立てのものを身につけていたところから) 江戸時代、大家出入りの仕事師や職人、あるいは従僕などの称。また、その服装。明治時代には、車夫などをもいう。
  ※洒落本・禁現大福帳(1755)一「少し飲ならふての分知顔、黒鴨(クロガモ)の随身などを似て見るは」

とあるように、冬に飛来する海カモを表す場合もある。
 ここでは前句の「海松」という夏の季語があるので、沼地などのカルガモで、それに面した庵ということになる。

四句目

   黒がもの飛行庵の窓明て
 麓は雨にならん雲きれ    定連

 定連は俗名を長崎一左衛門という。ここは軽く景色を付けて流している。
 庵の主人が天気を見ようとして窓を開けると、黒鴨の飛び交う姿が目に入り、鴨も雨になるのがわかるのだろうか、という細みを感じさせる。

五句目

   麓は雨にならん雲きれ
 かばとぢの折敷作りて市を待 曾良

 「かばとぢ」は『校本芭蕉全集第四巻』の宮本注だと、「白樺の皮で張り作った角盆」とある。
 ただ、今日秋田県角館などで作られている「樺細工」は桜の皮を使っている。何で「カバ」なのかはウィキペディアに、

 「命名の由来は諸説あり、定説があるわけではない。古代にはヤマザクラを樺や樺桜と呼ばれるようなことがあったためという説や、樺の名前は家を建てるための木材である白樺からきており、樺は実際の工芸ではなく職人の種類を示すために使われていると言う説が有る。また、エゾヤマザクラを意味する、アイヌ語「カリンパ」が由来との説もある。」

とある。白樺でも作れるのかどうかはよくわからないので、ここでは桜の皮を用いた樺細工のお盆と見て良いと思う。
 これから雨になりそうなので、次の市の立つ時のために、多分酒田の辺りでも作ってたと思われる樺細工のお盆を作っておく。

六句目

   かばとぢの折敷作りて市を待
 影に任する宵の油火     任曉

 任曉は加賀屋藤右衛門という商人のようだ。
 ここも夜なべ仕事ということで、宵に油の火を灯して、その灯りだけを頼りに作業をする、とする。

七句目

   影に任する宵の油火
 不機嫌の心に重き恋衣    扇風

 扇風は八幡源衛門とある。
 恋衣というと、

 恋衣いかに染めける色なれば
     思へばやがてうつる心ぞ
           藤原俊成(続拾遺集)

などの歌に詠まれている。ここでも宵に油に火を灯して男の来るのを待つ女として、「影に任する」を男の影とも取れるようにしている。
 待っていてもなかなか来ないので不機嫌になって行く。

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