2023年7月8日土曜日

 
 昨日は平塚の七夕まつりに行った。いろいろな飾りがあって奇麗だった。

 今日は「かしらは猿」の巻はお休みで、ツイッターの奥の細道の方でも。

五月十六日

今日は旧暦5月15日で、元禄2年は5月16日。奥の細道。

堺田は朝から大雨で、道もぐちゃぐちゃで、どうやら今日はここで休養になりそうだ。
まあ、ここのところずっと歩いてたからちょうど良い。
馬に尿(バリ)する音が聞こえてくる。


五月十七日

今日は旧暦5月16日で、元禄2年は5月17日。奥の細道。

今日はよく晴れた。道が乾いたら出発だ。
尾花沢まではこのまま街道を行くと笹森の関を越えて新庄領に入り、亀割坂から舟形を経由することになるが、遠回りな上宿場はおろか茶店すらないという。
幸い宿の人が山刀伐峠の案内してくれるという。

昼前に道が渇いてきたので出発した。案内の一人はがたいが良く、長刀かと思うような脇差を腰に差して、手には樫の杖と物々しく、この辺りは何か出るのかとかえって恐くなる。
笹森の関の先は新庄領だが、ここを左にゆくと山刀伐峠だという。

笹森の関の前を左に曲り、一刎(ひとはね)を過ぎると山刀伐峠だった。
生い茂った草は昨日の雨にまだ濡れてて、先頭の例の長脇差の男が杖でそれを打ち払いながら進むと、その後を着いて行く。源氏物語の蓬生の家に行く時に惟光が露払いをしたのを思い出す。

山を下って市野々とい開けた所に出ると、その少し先の関谷という所に最上御代官所があった。
代官所といってもいるのは土地の百姓で、何事もなく通れた。
護衛を兼ねた案内の男たちはここで帰って行った。

昼過ぎに正厳という所まで来ると平地になった。そこから尾花沢はすぐだったが、ここで今日も夕立に合い、びしょ濡れのまま清風の家に辿り着いた。


五月十八日

今日は旧暦5月17日で、元禄2年は5月18日。尾花沢。

昨日は夜になって、新庄から渋谷甚兵も来ていた。俳号が風流というそのまんまの名前で、そういうことで風流(俳諧興行)を始めた。
これからしばらく自分の家のように厄介になるよ、ということで、

すずしさを我やどにしてねまる哉 芭蕉

清風「では、いつものように蚊遣り火を焚いておきましょう。」

  すずしさを我やどにしてねまる哉
つねのかやりに草の葉を焼 清風

曾良「では、その蚊遣り火を部屋ではなく、農作業で焚く蚊遣り火に転じましょうか。田んぼの横には小鹿もいて、鹿には効かないのか。」

  つねのかやりに草の葉を焼
鹿子立をのへのし水田にかけて 曾良

素英「前句の景色は古い城跡にゃ。延沢城も寛文の頃に廃城となって、今じゃ鹿がいるにゃ。」

  鹿子立をのへのし水田にかけて
ゆふづきまるし二の丸の跡 素英

清風「あの辺りは楢の木が多かったな。秋だから紅葉して、楢を奈良の平城京に掛けて、笙の音が聞こえてくる。」

  ゆふづきまるし二の丸の跡
楢紅葉人かげみえぬ笙の音 清風

風流「笙の音と思ったら、百舌鳥の鳴き真似だったにゃー。百舌鳥のはいろんな鳥の鳴き真似するから、笙の音も真似たりして。」

  楢紅葉人かげみえぬ笙の音
鵙のつれくるいろいろの鳥 風流

素英「鳥がたくさんいるといえば神社の森にゃ。石が御神体で。」

  鵙のつれくるいろいろの鳥
ふりにける石にむすびしみしめ縄 素英

芭蕉「石に注連縄といえば、那須で見た殺生石を思い出すな。草が赤く染まってて。」

  ふりにける石にむすびしみしめ縄
山はこがれて草に血をぬる 芭蕉

風流「草に血はなかなか穏やかではない。継母に疎まれて口減らしされた子供だろうか。」

  山はこがれて草に血をぬる
わづかなる世をや継母に偽られ 風流

曾良「殺されるまではいかなくても、女の子なら女衒に売り飛ばすってのもありますな。貧しい家だと口減らしされる前に自分から遊女になるってパターンもあるけど、ここは義母に騙されてということで。」

  わづかなる世をや継母に偽られ
秋田酒田の波まくらうき 曾良

昨日の興行は結局途中で終わった。
ちょうど紅花の収穫期を迎えていて、清風の家は朝から慌ただしい。
結局、近所の養泉寺の方がゆっくりできるだろうということで、昼からそっちに移ることになった。

収穫した紅花を見せてもらった。花は黄金色で、これが紅になると思うと不思議だ。これが誰かの肌を飾ることになるんだろうな。

行すゑは誰肌ふれむ紅の花 芭蕉

清風は結構喜んでくれたが、ちょっと作意が露骨すぎるなと思った。曾良には書き留めなくていいと言った。


五月十九日

今日は旧暦5月18日で、元禄2年は5月19日。尾花沢。

今日は晴れた。素英が来たので昼飯に奈良茶粥を作ってやった。本当は自分が食べたかったんだけどね。深川でいつも食べてたし。

侘びすめ月侘斎が奈良茶粥 芭蕉

なんて句も作ったくらいだからな。
今日もまた雲行き悪そうで、また雨が降るかな。


五月二十日

今日は旧暦5月19日で、元禄2年は5月20日。尾花沢。

今日は朝から小雨で、今日も休養日。お寺だから水風呂に入れるのはありがたい。
ところで平泉で儚い夢と消えた人たちの魂ってまだあそこに留まってるんだろうか。
曾良に聞いたら、魂魄は気だからいずれ散ずるものだという。

芭蕉「旅で死んだ人が道祖神になるというけど、道祖神の気もいずれは散じるのかい?」
曾良「理論的には散ずることになるが、聖人が先祖を祀れと言ったのは散ずるものを留め置きたいという願いが大切だからだと思う。
易に曰く『陰陽不測是を神という』。魂魄は気だから散ずるというのは一つ仮説だ。

本当に散ずるのかどうか証明はできないから、あるものとして扱うのは間違いではない。論語にも『未能事人、焉能事鬼』という。わからないのを認めるのが慎みの心だ。
大事なのは魂が本当に留まるかどうかではなく、留めたいという人の心の誠だと思う。」

曾良の話を聞いて、何となくわかったのは、今見てきた夏草の茂る野原は「気」であって、気は流行して止まぬものだから魂魄も時の流れとともに消えて行く。
そこに昔の人の魂を見るのは心の誠で、それは「理」だから千歳不易ということなのか。

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