2023年7月24日月曜日

  何かTwitterで(きょうからXになるらしいが)子供用の感想文の雛型が紹介されてたので、それに倣って市川沙央さんのハンチバックの感想文を書いてみた。

   生かされてるだけでは
          年金生活二年目 鈴呂屋こやん
 わたしは「ハンチバック」(市川沙央著)という本を読みました。この本を選んだのは、この本が芥川賞作品であるとともに、作者がラノベを書いてたということで興味を持ったからです。
 この本は、井沢釈華が主人公の物語です。井沢釈華はミオチュブラー・ミオパチーという病気で、人工呼吸器を必要とする人です。そして井沢釈華は、普通の女性のように生きてみたいということでヘルパーの田中に誘いかけをします。
 わたしがこの本を読んで、いちばん心に残ったところは井沢釈華が小切手を切るところです。わたしはこの部分を読んで、最初は意味が分からなかったが、だんだん多分そういうことなのか、頭脳だけではなく、健全なまま残された生殖器の価値を試したかったのかと思いました。
 なぜなら、もしわたしが井沢釈華と同じような立場だったらと考えると、ただ周囲に生かされてるだけの存在に飽きてしまい、何かリスクを取って自分らしい勝負がしてみたくならないだろうかと思うからです。
 わたしはこの本から、人は(ほかの動物もそうかもしれませんが)だが生かされてるだけの人生なんてディストピアなんだということを学びました。これから、わたしも年金で生かされてるだけの人生で終わるのではなく、いろいろなことにチャレンジしていきたいなと思います。

 異世界転生というと、生前虐待されてたとか、社畜だったとか、引き籠りだったとか、そういう不遇な人生の代償でというパターンが多い。だったら、生前重度の障害者だった人があの相模原の事件のようなヘイトクライムによって殺された後、異世界転生で健康な体を手に入れて生きるというパターンがあってもいいんじゃないかと思う。

 それでは「十いひて」の巻の続き。

三表
五十一句目

   しぶぢの椀も霞む弁当
 春の風古道具みせ音信て

 前句の渋地椀に古道具店を付けて、霞むに春の風を付ける。
 点なし。

五十二句目

   春の風古道具みせ音信て
 一条通り雪はすつきり

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「一条通り『古道具や。一条通ほり川より西』(元禄五年(一六九二)刊諸国万買物調方記)」

とある。一条通りに古道具屋があるのは有名だったようだ。
 点なし。

五十三句目

   一条通り雪はすつきり
 夏の月入てあとなき鬼のさた

 徒然草第五十段に伊勢国から女が鬼になって都に来たといううわさが広がったが、誰も見た人がなく、一条室町に鬼ありと大声でわめく人がいて行ってみると院の御桟敷の辺りは祭で人が溢れていて身動きが取れない状態だったという。
 この祭りを今宮祭で五月と見てのことか。
 徒然草の最後の、

 「その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍しをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。」

とあるのは多分疫病除けの今宮祭であまりに人が密になるから、却って疫病流行のもとになるという皮肉であろう。
 夏で「雪はすっきり」ではいくら何でも季節が遅すぎるから、「行きはすっきり」に取り成して人がいなくなってすんなり通れるということにしたか。
 点あり。

五十四句目

   夏の月入てあとなき鬼のさた
 極楽らくにきくほととぎす

 「らく」は楽(音楽)と洛に掛けたと思われる。鬼がいなくなってホトトギスの声が極楽の調べに聞こえ、京の町に聞こえる。
 点なし。

五十五句目

   極楽らくにきくほととぎす
 夕涼み草のいほりにふんぞりて

 「ふんぞる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「踏反」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘自ラ五(四)〙 (「ふん」は「ふみ」の変化したもの) 足をふんばって上体を後ろへそらす。また、からだを横たえて、手足を存分に伸ばして背をそらす。
  ※古文真宝彦龍抄(1490頃)「我家にて足ふんそって居た活計さは」

とある。人前でこの姿勢を取ると鷹揚な感じなので「ふんぞり返る」という言葉が生まれたのだろう。
 ここでは特にふんぞり返ってるわけではなく、庵の夕涼みでくつろぐ様になる。前句の「らく」はこの場合極楽のように楽に聞くという意味になる。「あーー極楽極楽」ってとこか。
 点あり。

五十六句目

   夕涼み草のいほりにふんぞりて
 頓死をつぐる鐘つきの袖

 草庵で足を投げ出して状態をそらして倒れる様を突然死とする。発見した鐘撞の小坊主が涙に袖を濡らしながら告げに来る。
 長点で「卒中風、夕涼み過候歟」とある。昔はその名が示す通り、脳卒中は風に中るために起きるものとされていた。

五十七句目

   頓死をつぐる鐘つきの袖
 高砂や尾上につづく親類に

 高砂の尾上の松は加古川の河口にあった。大阪住吉の松と夫婦とされていて、謡曲『高砂』は尾上の松が高砂の松に会いに行く話として、かつて高砂の謡いは結婚式の定番だった。
 ただ、高砂の尾上の松ではなく尾上の鐘を詠む時は、

 高砂の尾上の鐘の音すなり
     暁かけて霜やおくらん
            大江匡房(千載集)

などのように、むしろ晩秋の悲し気なものとして詠む。その意味では弔いの鐘としてもそれほど違和感はなかったのだろう。
 謡曲では尾上の松の霜は置いても常緑の、というふうに、この和歌が用いられる。

 シテ「高砂の、尾上の鐘の音すなり。
 地 「暁かけて、霜は置けども松が枝の、葉色は同じ深緑立ち寄る蔭の朝夕に、搔けども落葉の 尽きせぬは、真なり松の葉の散り失せずして色はなほまさきのかづら長き世の、たとへなりける常盤木の中にも名は高砂の、末代のためしにも相生の松ぞめでたき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 点あり。

五十八句目

   高砂や尾上につづく親類に
 かしこはすみのえ状のとりやり

 悲しい尾上の鐘を謡曲『高砂』の目出度さに転じる。
 「かしこはすみのえ」は、

 春の日の、
 シテ「光やはらぐ西の海の、
 ワキ「かしこは住の江、
 シテ「ここは高砂。
 ワキ「松も色添ひ、
 シテ「春も、
 ワキ「のどかに。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.100). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という、長閑な春にこれから住吉の松に会いに行く場面で用いられる。
 ここでは前句の「親類に」から、直接会いに行く前に手紙のやり取りをしてたことにしている。飛脚の一般化した江戸時代の世相と言えよう。
 長点で「かしこはすみのえ耳なれ候へども、いつも面白候」とある。

五十九句目

   かしこはすみのえ状のとりやり
相場もの神の告をも待たまへ

 大阪は西国の米の集まるところで、特に肥後の米相場はその年の米相場の指標になったという。元禄七年閏五月の「牛流す」の巻三十四句目にも、

   吸物で座敷の客を立せたる
 肥後の相場を又聞てこい     芭蕉

の句がある。
 この時代から米は先物取引をすることで、その時その時の収穫や運送の事情で相場が乱高下しないように調整されていたため、米屋はある程度のリスクを背負いながら、先の相場の動向を見通して米の買い付けを行う必要があった。
 常に相場の動向に気を配り、神にも祈りたいところだろう。
 長点で「信心殊勝に候」とある。

六十句目

   相場もの神の告をも待たまへ
 七日まんずる夜の入ふね

 旧暦の七日は小潮で船の発着に適してたのだろう。「まんずる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「満」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 期限が至る。日限に達する。特に、満願の日となる。また、年齢が満になる。
  ※今昔(1120頃か)六「其の七日に満ずる夜」
  ※幸若・十番斬(室町末‐近世初)「まんずる歳は、廿二」
  ② 願いごとなどがかなう。かけていた願が満たされる。
  ※古今著聞集(1254)一三「我が願すでに満ずとて」
  ③ すべてをうめる。欠けるところなくすべてに及ぶ。
  ※太平記(14C後)二七「累代繁栄四海に満ぜし先代をば、亡し給ひしか共」
  ④ ふくらみ広がって、元の完全な形になる。
  ※観智院本三宝絵(984)上「帝尺又天の薬を灑て身の肉俄かに満す、身の疵皆愈ぬ」

とあり、この場合は①で、米の到着の期限であろう。②とも掛けて用いる。
 長点で「よくまんじ候」とある。批評としてはパーフェクトということか。

六十一句目

   七日まんずる夜の入ふね
 墓まいり扨茶の子には餅ならん

 茶の子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「茶子」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 茶を飲む時に添える菓子や果物。茶菓子。茶うけ。
  ※竹むきが記(1349)下「ちゃのこなど出だしてすすめらる」
  ② 彼岸会の供物。
  ※談義本・つれづれ睟か川(1783)三「彼岸の茶(チャ)の子(コ)か歳暮の祝義もってきたやうに、あがり口での請取渡し」
  ③ 仏事の供物、または配り物。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「墓まいり扨茶の子には餠ならん なみだかた手に提る重箱〈意楽〉」
  ④ 朝飯。または、農家などで朝飯前に仕事をする時などにとる簡単な食事。また、間食。朝茶の子。
  ※咄本・戯言養気集(1615‐24頃)下「明日は公事に出んぞ。かちごめをめしのちゃのこにいたし候へ」
  ⑤ (形動)(茶うけの菓子は腹にたまらないで気軽に食べられるところから) 容易にできること。たやすいさま。お茶の子。お茶の子さいさい。
  ※歌謡・松の葉(1703)四・草摺引「びりこくたいしばかだわう、おにをちゃのこのきんぴらだんべい」
  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「常住きってのはっての是程の喧嘩は、おちゃこのおちゃこの、茶の子ぞや」

とある。墓参りなら③の意味になる。
 初七日が来ての墓参りで、多くの人を迎えての大規模な法要が行われるので、いろいろ用意するものがある。
 点あり。

六十二句目

   墓まいり扨茶の子には餅ならん
 なみだかた手に提る重箱

 一族揃っての墓参りであろう。元禄7年で伊賀でお盆を迎えた芭蕉も、

 家はみな杖にしら髪の墓参    芭蕉

の句を詠んでいる。
 人が多いと誰かが参列者のための重箱を提げて運ばなくてはならない。
 点なし。

六十三句目

   なみだかた手に提る重箱
 とはじとの便うらむる下女

 恋に転じる。
 男が今日は急に来られなくなったと便りをよこしたために、下女の用意した料理も無駄になる。
 点なし。

六十四句目

   とはじとの便うらむる下女
 おもひはいろに出がはり時分

 恋の思いを隠していても、隠しきれずに何となくわかってしまうというのは、

 しのぶれど色に出でにけりわが恋は
     ものや思ふと人の問ふまで
           平兼盛(拾遺集)

の歌は百人一首でもよく知られている。その「出に」を出替りに掛ける。出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

とある。
 出替りになるというので、急に便りが来なくなることもよくあることだったのだろう。
 下女も便りが来ないというのでやきもきして、態度に出てしまう。
 点なし。

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