2023年7月15日土曜日

  Twitterの方で日本のメディアの流すニュースにファクトチェックが入るようになった。正確には他のユーザーにとって役立つと思う背景情報を追加するというものだが、ニュース記事と矛盾する内容が出てくれば事実上のファクトチェックになる。
 あくまでユーザーのボランティアだから、チェックされるニュースはそう多くはないが、今の日本の新聞記事は結構ボロボロになるんじゃないかな。まあ、長年に渡って大衆を舐め切ってた報いだろう。これを機に日本のメディアも立ち直ってほしいものだ。
 マスゴミという言葉は汚いんで、今まではマス護美と表記してたが、これからはドラゴン・タニシ先生の小説に倣ってマスお廃棄物様とでも呼ぼうかな。

 それでは『大阪独吟集』の続きで、意楽独吟百韻「十いひて」の巻。

発句

   鼻は袂、涎は懐をうるほし、余念なき腹の
   上に指を折も、いくつね幾つ起て、それも是
   もと待かねし春の日も、ちよろり暮ては又々
   明て、わが年も今朝老て、二度児の楽とあど
   なきことば、ふつふと出次第、しからば怒れ
   しかるとままよ
 十いひて四つの時めく年始哉   意楽

 くしゃみをすれば鼻水が袂を汚し、涎も垂れて懐を潤すが、別に懐の金が増えるわけではない。思えば指折り数えて今まで何回寝て何回起きたか数知れないが、正月が来たかと思っても、いつの間にちょろっとその年も暮れて、そうやって何年も経て、いつしか四十初老の隠居の身にもなれば、また赤ちゃんに戻ったような気分で、ふつふつとこの百韻一巻の言葉が湧き出て来た。何分子供なので𠮟って下さい。前書きはこんな感じだろうか。
 「十いひて四つ」は十を四回数えるということで、四十になって新たな第二の人生をと時めく年始め、ということになる。
 長点で「発句よりは若老うら山しく候」とある。若老はこの場合は初老ということか。七十になる宗因からすればこの若さは羨ましいという所だろう。まだまだ伸びしろがあるというところか。


   十いひて四つの時めく年始哉
 春日かがやく算盤の上

 春日は「はるひ」とルビがある。新春の日差しが算盤の上を照らす。
 前句の十を四つを算盤の珠を一つ一つはじく仕草とする。
 点あり。

第三

   春日かがやく算盤の上
 積り高何程ととふ雪消て

 積(たか)り高は今でいう見積りの金額のことか。それに雪の積もる高さとを掛けている。
 見積りという言葉はコトバンクで見ると近代の用例になってしまうが、積(つもり)に関してはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「積」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (動詞「つもる(積)」の連用形の名詞化)
  ① つもること。かさなって量が増えること。回数をかさねること。また、その結果。
  ※平中(965頃)五「春雨にふりかはりゆく年月の年のつもりや老になるらむ」
  ② あらかじめ見はからって計算すること。みつもり。予算。また、計算。計算法。
  ※玉塵抄(1563)二「周は四方どちも百里のひろさぞ。これやうなつもりは周礼の書にあるぞ」
  ③ たぶんそうなるだろうという考え。また、こうしようとする意図。心ぐみ。
  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)六「思ひ入の女郎請出してしまふて、悪所の通ひをやめたが上分別といふ人あれど、それは岡のつもり也」
  ※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「おらア路考茶といふ色ではやらせるつもりだ、むごくいふぜ」
  ④ 推量。推測。また、想像。
  ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二「最も疾に死んだ跡をくすりはなきか、何のかのと探り廻るが、鉄砲で打殺した物が薬位で届くものじゃアないはな。つもりにもしれたものだ」
  ⑤ 工面(くめん)。調達。才覚。
  ※咄本・諺臍の宿替(19C中)「米買銭のつもりをおまへがして、節季に逃あるかぬやうにしてお置き」
  ⑥ 限度。かぎり。際限。終わり。はて。
  ※御伽草子・文正草子(室町末)「こころよくて、食ふ人病なく若くなり、また塩のおほさつもりもなく、三十層倍にもなりければ」
  ⑦ 酒宴の終わりの杯。また、酒席でその酌限りに終わりとすること。納杯。おつもり。
  ※俚言集覧(1797頃)「つもり 飲酒の畢りをつもりと云。つもりはつまり也とまり也。つもり、つまり、とまり同じ言なるべし」
  [語誌](1)中古及び中世前期には、もっぱら積みかさなることという①の意味で用いられていたが、中世後期から近世にかけて、動詞「つもる」と共に、多く金銭に関わる計算といった②の意味用法が現われ、近世末には⑤の意にも使われた。
  (2)近世では、計算の意味が拡大されて、ある事柄について予測をするところから④の推量用法が生じ、また、将来の予定というところから、③の意志用法も派生し、文化文政期の頃から、用例が急速に増え始める。
  (3)幕末から明治にかけて、④の推量用法は衰え、もっぱら③の意志用法が主となる。それに伴って、構文上も、断定辞や終助詞などを伴って文末に現われる形式の固定化が進み、現在では、文中に単独で現われることはほとんどない。
  (4)一方、①に含まれていた、数をかさねる意から、中世末に、回数をかさねてそれ以上かさねられなくなることを「つもり(も)なし」というようになって⑥の意が生じ、⑦の用法につながった。
 雪の積もり高は①で、前句との関係での算盤の積もり高は②になる。心算(つもり)というのは③の用法になる。
 雪がどれだけ積もるかと思ってるうちに雪は解けて、算盤の見積りだけが残る。後の蕉門の、

 下京や雪つむ上の夜の雨   凡兆

の句を思わせる。
 点あり。

四句目

   積り高何程ととふ雪消て
 膝ぶし際に来鳴うぐひす

 膝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「膝節」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 膝の関節。膝がしら。
  ※金刀比羅本保元(1220頃か)中「景能がめての膝(ヒザ)ぶし、からんでたてぎりにつっといきりて」

とある。
 雪がすぐに消えるというよりも、じわじわと雪の溶けてきて、膝節の高さになった頃に鶯が鳴く、と転じる。前句の「何程」を「膝ぶし際」で受ける。
 長点だがコメントはない。

五句目

   膝ぶし際に来鳴うぐひす
 道服のすそより霞む山つづき

 道服はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「道服」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 道家の人の着る衣服。〔遵生八牋‐起居安楽牋・遊具〕
  ② 公家の堂上が普段着として着用した上衣。袖がひろく、裾にひだを設けた羽織に類するもの。
  ※塵袋(1264‐88頃)八「雨ふらぬ時も乗馬する時は上にうちきて、おひもせぬものあり。其をば道服と云ふとかや」
  ③ 袈裟のこと。また真宗では直綴(じきとつ)に似た略衣をいい、直綴そのものをさすこともある。
  ※続日本紀‐養老元年(717)四月壬辰「恣任二其情一、剪レ髪髠レ鬂、輙着二道服一、貌似二桑門一、情挟二姧盗一」

とある。この場合は②で胴服とも言う。羽織の原型のようなもので裾が短く、膝節より上に来る。
 遠くの裾野の霞む山を道服に見立てて、膝下にあたる麓の方が霞んでいて、その辺りから鶯の声がする。
 点あり。

六句目

   道服のすそより霞む山つづき
 領内ひろくはやり出の医師

 当時の医者は僧形なので、この場合の道服は③の袈裟のことになる。
 はやり出はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「流行出」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 流行し始めること。はやりだすこと。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「道服のすそより霞む山つづき 領内ひろくはやり出の医師〈意楽〉」
  ② はやりの出立(いでたち)。流行の衣装をつけた姿。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「男は本奥島(ほんおくじま)の時花出(ハヤリデ)」

とある。この場合は①の意味。
 領内広く名が知れ渡って、霞む山のふもとまでその名が轟いている。
 点なし。

七句目

   領内ひろくはやり出の医師
 百姓のかくのりものに月をのせて

 かくといえば駕籠。駕籠かきは百姓で、「月をのせて」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「みつ汐の・夜の車に月を載せて、憂しとも思はぬ汐路かなや。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1558). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。去ってゆく車とともに月が沈んでゆくということで、流行の医師も百姓の担ぐ駕籠に乗って夜明けまで領内広く巡回する。
 点あり。

八句目

   百姓のかくのりものに月をのせて
 塩屋の一家花野の遊舞

 前句の謡曲『松風』は藻塩焼く蜑の家の松風・村雨の姉妹に挟まれる在原行平の物語だが、それを現代風に羽振りの良い塩田農家の遊舞とする。
 この時代は藻塩製塩は既に廃れていて、塩田製塩が主流になっていた。
 点なし。

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