Twitterのコミュニティノートは、これで昔の2ちゃんねるのように左右両方で互いの嘘を暴き合ってくれれば面白いなと思ってたが、左翼の方は乗って来なくて、コミュニティノートはネトウヨのものという印象操作をして無視する作戦に出ている。
確かに2ちゃんねるで撃ち合いになった時に、左翼の方が劣勢になってたようだからな。だからマスメディアの権威に頼って、横綱相撲を取った方が良いと判断したのだろう。
ただ、いくらコミュニティノートの書き込みがネトウヨのもので信用するなと言っても、反論しなければ権威も保てないから、難しい所だ。
日本ファクトチェックセンターは四日間の沈黙の後、汚染水に関するコミュニティノートの書き込みを追認してさらに踏み込んだ形で情報を出してきたのは、マスメディアの信用がこのままだと失墜するということで、自らその自浄作用になろうとしたのかもしれない。
そもそもマスメディアが正確な情報を常日頃心掛けていれば、ファクトチェックは必要なかったものを、マスメディア自身が大衆先導の方を優先させて露骨な印象操作を行って事実をゆがめてきたのが問題だった。
だからコミュニティノートはただ無視しろではなく、衰退するマスメディアの立ち直るきっかけになると良いと思う。
大衆が求めているのは露骨な左への誘導ではなく、あくまでも真実だということを忘れてはならない。マスお廃棄物様の汚名を返上してほしいものだ。
それでは今日はツイッターの奥の細道の続き。
五月二十三日
今日は旧暦5月22日で、元禄2年は5月23日。尾花沢。
今日も晴れたかと思ったら夕立になる天気で、夜になって仁左衛門の家に招かれた。日待ちだったが途中で失礼して清風の家に泊まることにした。
五月二十四日
今日は旧暦5月23日で、元禄2年は5月24日。尾花沢。
今日も夕方から雨が降った。
夜になって田中藤十郎が来て、色々食べ物を持ってきてくれた。
明日の俳諧興行も決まり、今度は賑やかな会になりそうだ。
五月二十五日
今日は旧暦5月24日で、元禄2年は5月25日。尾花沢。
今日も時折小雨が降る天気だが、大石田の方で河川の氾濫があったらしく、今日の俳諧興行は中止になった。とにかくみんなの無事を祈る。
五月二十六日
今日は旧暦5月25日で、元禄2年は5月26日。尾花沢。
今日も小雨が降っていた。昼には沼沢所左衛門の家で歌川平蔵さんにご馳走してもらった
五月二十七日
今日は元禄2年5月26日で、元禄2年は5月27日。奥の細道。
今日は晴れたので、朝出発して立石寺に向かった。慈覚大師の開いた寺で、聳え立つ岩の絶景と大伽藍が見ものだという。
山形も行けたら行ってみたい。
清風が馬を用意してくれて、途中まで案内するという。
尾花沢が出て本飯田まで二里。そこから一里行った楯岡まで清風が同行した。
その間、清風との雑談の中で、この前の、
行すゑは誰肌ふれむ紅の花 芭蕉
の句の改作の話になり、結局、
まゆはきを俤にして紅の花 芭蕉
に治定した。
「誰肌ふれむ」は紅が単にどこかの女の肌に触れるというだけでなく、その女が誰のものになるのかなというエッチな妄想を誘うもので、そう思わせて紅の花が肌に触れるんだという落ちにするもので、この作意を裏に隠しておきたかった。
眉掃きも肌に触れるもので形状が紅花に似てるので、この形にした。
楯岡を出て六田から天童へ行き、そこから左の山の方へ行った所に立石寺があった。
梅雨明けを思わせる暑い日差しもようやく西に傾いた頃で、ここに宿を取って一休みしてから、夕暮れも近くなった頃立石寺を参拝した。
ヒグラシが鳴いていて、今年も蝉の季節が来たようだ。
かなかなという悲しげな声が夕暮れの山寺に響いていた。
この寺の切り立った岩を夕日が赤く染め、そこには板碑型の供養塔や岩塔婆が数多く刻まれ、この寺の岩がそのまま墓石のようだ。
何百年、蝉のような儚い夢の命がこの岩には染み付いているのだろうかと思うと、どうしようもなく悲しみが込み上げてくる。
山寺や石に染み付く蝉の声 芭蕉
五月二十八日
今日は旧暦5月27日で、元禄2年は5月28日。奥の細道。
今日も晴れてて暑い。山形行きはやめて大石田の高野平右衞門の所へ向かうことになった。この辺り馬が使える。
天童を過ぎて六田宿の馬次の時、くる時にもいた内蔵にまた会って、昼飯をご馳走になった。
六田を過ぎて楯岡を過ぎ、上飯田で大石田の高桑加助に会って、一緒に大石田に向かった。まだ日に高いうちに大石田に着いた。
ちょっと空の方がまた雲行きが怪しい。
五月二十九日
今日は旧暦5月28日で、元禄2年は5月29日。奥の細道。
結局昨日も雨は降らなかった。今日も晴れてて暑い。
とりあえず高野平右衞門(俳号は一栄)と高桑加助(俳号は川水)と曾良の四人で俳諧興行を始めた。
暑いけど、近くを流れる最上川が涼しさを運んできてくれることを期待して、
さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉
一栄「暑いけど気を遣って涼しいと言ってくれて恐縮です。この大石田に長く留まることはできないと思いますが、今はくつろいで行ってください。
さみだれをあつめてすずしもがみ川
岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄
曾良「この場合は寓意を取り除いて、普通の景色にして展開すればいいですね。川の景色から陸の景色に転じて、月を出しましょうか。」
芭蕉「発句に五月雨と月の字があるから、影にしよう。」
岸にほたるを繋ぐ舟杭
瓜ばたけいさよふ空に影まちて 曾良
川水「なるほどいわゆる抜けですね。月と言わずして月を出す。では瓜畑に桑畑で、農作業の帰り道に桑畑を通るとしましょう。」
瓜ばたけいさよふ空に影まちて
里をむかひに桑のほそみち 川水
午後から一栄川水と一緒に清滝山向川寺にお参りに行った。その名の通り最上川の向こう側にあった。3日続きの良い天気で大分水位も下がっていて、流れも緩やかになっていた。
曾良は疲れてるからと言って来なかった。まあ神道家だしね。
向川寺から帰った後、俳諧の続きをした。
一栄「それでは騎牛帰家の心で、牛と一緒に帰りましょう。死というのも夕暮れに家に帰るようなものでありたいね。」
里のむかひに桑のほそみち
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ 一栄
芭蕉「牛というと老子だね。老子騎牛図の心で、子牛に心慰みながら旅をする。騎牛帰家だと笛だが、老子騎牛だと詩でも吟じようか。」
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ
水雲重しふところの吟 芭蕉
川水「旅体ですね。水雲の僧は破れた笠を枕の脇に立てて風除けにして山颪を凌ぐ。」
水雲重しふところの吟
侘笠をまくらに立てやまおろし 川水
曾良「万葉集だと、笥に盛る飯を椎の葉に盛るというのも刑死の暗示として用いられます。松が枝を引き結ぶもそうですね。有間皇子でしたか。」
侘笠をまくらに立てやまおろし
松むすびをく国のさかひめ 曾良
芭蕉「刑死の句なら確かに旅体が三句続くのを免れるか。ただこれは難しいな。松結びを何か中国の古い習慣ってことにしておこうか。」
松むすびをく国のさかひめ
永楽の古き寺領を頂きて 芭蕉
一栄「所領といえば大高紙にその権利を書き記すものです。夢が叶ったということで、初夢のおめでたい鷹と掛けて大鷹紙としましょうか。」
永楽の古き寺領を頂きて
夢とあはする大鷹の紙 一栄
曾良「ではここらで恋に行きましょうか。夢にまで見た大鷹のような貴人への恋文に、夢が本当になったという意味で暁という名の薫物をするとかどうですか。」
夢とあはする大鷹の紙
たきものの名を暁とかこちたる 曾良
川水「薫物を焚いて暁を迎えると取り成して、逢瀬の夜にしましょうか。つま紅が肌に移ると想像させておいて、双六で落ちにする。行末は誰が肌触れむですな。」
たきものの名を暁とかこちたる
つま紅粉うつる双六の石 川水
一栄「つま紅の正体は稚児で男だった。それも僧のいる簾の中へ入って行って、どういう関係やら。」
つま紅粉うつる双六の石
巻あぐる簾にちごのはひ入て 一栄
芭蕉「稚児は看病に来たんだな。簾を巻き上げると秋風が入ってくる。それが人生の秋を感じさせる。」
巻あぐる簾にちごのはひ入て
煩ふひとに告るあきかぜ 芭蕉
川水「秋風を文字通り秋の風にして、春に蛙が鳴き山吹の花の咲いてた井手の玉川の水も秋になるとひんやりとして秋風が吹く。」
煩ふひとに告るあきかぜ
水替る井手の月こそ哀なれ 川水
曾良「次は花の定座でここは秋の句か。月に砧を打つだと李白の長安一片月で秋にしかならないけど、砧を打つ人を選ぶだと春にも転用できるかな。」
水替る井手の月こそ哀なれ
きぬたうちとてえらび出さる 曾良
一栄「砧だと織物か。砧を打つ女性はこの時期花茣蓙を織る。花の後、花を織ると花尽くしで行きましょうか。」
きぬたうちとてえらび出さる
花の後花を織らする花筵 一栄
川水「花筵を何に使うかというと、釈迦入滅の日の涅槃会に使う。」
花の後花を織らする花筵
ねはむいとなむ山かげの塔 川水
五月三十日
今日は旧暦5月29日で、元禄2年は5月30日。大石田。
曇ってたがすぐに晴れた。昨日の俳諧の続きをした。
芭蕉「山陰の塔というと山陰に隠れ住んでる人達かな。都会の穢多と違って田畑を持って裕福な人も多い。」
ねはむいとなむ山かげの塔
穢多村はうきよの外の春富て 芭蕉
曾良「この人たちは武家に代わって特殊な役割を担うことが多い。町の岡っ引きもそうだし、昔は刀狩なんかも武家に代わって執行した。用は汚れ役ということ。」
穢多村はうきよの外の春富て
かたながりする甲斐の一乱 曾良
川水「乱があれば関所も荒れ果てたりするもの。関だけでなく街道も荒れ果てて物流が止まるから、飢饉への対応ができなくなって、それがまた乱になるという悪循環。」
かたながりする甲斐の一乱
葎垣人も通らぬ関所 川水
一栄「荒れた関所といえば藤原良経の歌にある、ただ秋の風ですな。歌に詠もうにも紙がなくて松風の吹く松さえ削る。」
葎垣人も通らぬ関所
もの書くたびに削るまつかぜ 一栄
曾良「削るは髪を梳かすという意味にも取り成せますな。猿楽の関寺小町で七夕の星祭りに誘われた白髪頭の小野小町にしましょうか。」
もの書くたびに削るまつかぜ
星祭る髪はしらがのかかるまで 曾良
芭蕉「後撰集の檜垣の媼の歌に、
年ふれば我が黒髪も白川の
みづはくむまで老いにけるかな
ってあったな。遊女の歌も勅撰集にその名を残す。」
星祭る髪はしらがのかかるまで
集に遊女の名をとむる月 芭蕉
一栄「徒然草に女の足駄で作った笛は牡鹿が寄ってくるなんてのがあったね。集に名を残すような遊女から貰ったのかな。」
集に遊女の名をとむる月
鹿笛にもらふもおかし塗あしだ 一栄
川水「鹿笛を吹くんだったら山賤だろう。柴を売りに街へ出たらその売上を女に使っちゃったのか、鹿笛でなく女の足駄持っている。」
鹿笛にもらふもおかし塗あしだ
柴売に出て家路わするる 川水
芭蕉「何か夢でも見たんだろうな。合歓の花とねぶたを掛けて。」
柴売に出て家路わするる
ねぶた咲木陰を昼のかげろひに 芭蕉
曾良「眠くなると言ったら千日講。千日も法華経を読むなんて信じられないな。半日も経たずに眠くなりそうだ。他に面白い学問の本が沢山あるのに勿体ない。」
ねぶた咲木陰を昼のかげろひに
たえだえならす千日のかね 曾良
川水「神社の千日参りにしようか。一日で千日分というお得感は仏教にはないな。人も沢山来るから昔の友に会ったりもする。」
たえだえならす千日のかね
古里の友かと跡をふりかへし 川水
一栄「他所へ行った時に大声で何か言い争ってる声を聞いて、にゃーにゃー言ってたら故郷の知り合いかと思うにゃ。口論と言えば渡し舟のところじゃいつもやってるし。」
古里の友かと跡をふりかへし
ことば論ずる舟の乗合 一栄
曾良「師走ともなると市場も活気づいて、みんな生きるのに必死だからついつい口論する声も荒くなる。そんな市場を後にして廻船は物を運び続ける。」
ことば論ずる舟の乗合
雪みぞれ師走の市の名残とて 曾良
芭蕉「師走の十三日にどこの家でも一斉に行う煤掃き。でも狭い草庵じゃ大してやることもないし、そんな時に誰か来てくれれば嬉しいもんだ。」
雪みぞれ師走の市の名残とて
煤掃の日を草庵の客 芭蕉
一栄「掃除を始めると故人の手紙が出てきたりすることってあるよね。」
煤掃の日を草庵の客
無人を古き懐紙にかぞへられ 一栄
川水「掃除して出てきた手紙に亡き主人を思い出した寡婦が心を乱すうちに日が暮れて行く。日暮れだから病眼鴉が鳴く。」
無人を古き懐紙にかぞへられ
やもめがらすのまよふ入逢 川水
芭蕉「やもめがらすなんて言うと、男やもめが墨染めの衣を着てるのを想像しちゃうな。風呂敷包み一つ抱えて吉野の花を見ながら熊野へと峰入する。」
やもめがらすのまよふ入逢
平包あすもこゆべき峰の花 芭蕉
曾良「花咲く頃は苗代作りの季節。花咲く峰でも稲の籾を蒔けば村雨が大地を潤す。」
平包あすもこゆべき峰の花
山田の種をいはふむらさめ 曾良
俳諧は無事満尾し、ちょっとその辺を散歩してみた。特にどこへというわけでもないが、歩いてるといろいろ考えて、アイデアが出てくる。
松島の句と俳文、ちょっと書いてみた。
島々や千々にくだきて夏の海 芭蕉
うーん、今ひとつかな。
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