2023年7月13日木曜日

  それでは「かしらは猿」の巻の続き。

名残表
七十九句目

   時雨の雨や白き水かね
 骨うづき定なき世のならひなり

 前句の「水かね(水銀)」は梅毒の薬として用いられていたので、梅毒の症状の「骨うづき」を付ける。
 急に降ってくる時雨は定めなき世の比喩でもあり、

 世にふるもさらに時雨の宿り哉 宗祇

の句も、定めなき世の時雨に一時雨宿りするような人生を詠んでいる。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『放下僧』の、

 「朝の嵐夕の雨、朝の嵐夕の雨、今日また明日の昔ぞと、夕の露の村時雨定めなき世にふる川の、水の泡沫われ如何に、人をあだにや思ふらん」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2545). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 ここでは遊郭通いも梅毒になって定めなき世の習いとする。
 点あり。

八十句目

   骨うづき定なき世のならひなり
 あばら三まひ化野のはら

 嵯峨の化野は葬儀場のあったところで、定めなき梅毒の果ては化野の骨となる。
 点あり。

八十一句目

   あばら三まひ化野のはら
 かすがいも柱にのこる夕あらし

 柱をつなぐコの字型金具のかすがいはあばら骨に似ている。そこから柱にかすがいが残るように、化野にはあばらが残っている、とする。
 点なし。

八十二句目

   かすがいも柱にのこる夕あらし
 白波落す橋のまん中

 前句の柱に残るかすがいを橋の残骸として、落ちた橋の真ん中を白波が通り抜けて行く。
 点なし。

八十三句目

   白波落す橋のまん中
 茶の水に釣瓶の縄をくりかへし

 橋の真ん中から白波の上に釣瓶を落とす、とする。
 点あり。

八十四句目

   茶の水に釣瓶の縄をくりかへし
 ふり分髪より相借屋衆

 振分髪(ふりわけがみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「振分髪」の意味・読み・例文・類語」に、

 「切りそろえて、百会(ひゃくえ)から左右にかき分けて垂らしたもの。はなちがみ。また、幼い子どもをいう。
  ※伊勢物語(10C前)二三「くらべこしふりわけがみも肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき」

とある。
 相借屋(あひがしや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「相貸家・相借家」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 同じ棟の下の貸家。また、同じ家主の家を借りている者同士。あいじゃくや。あいだな。
  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「此相借(アイカシ)屋六七軒」

とある。
 『伊勢物語』二十三段の「筒井筒」の有名な歌に、

 比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ
     君ならずして誰か上ぐべき

の歌があり、前句の茶の水を汲む場面を筒井筒の井戸に見立てて、昔なら振分髪だが今は相借屋衆だ、とする。
 点なし。

八十五句目

   ふり分髪より相借屋衆
 講まいりすでに伊勢馬立られて

 前句の「ふり分(わけ)」を振分け荷物のこととする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「振分荷物」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 二つの荷物を紐(ひも)でつなぎ、紐を肩に、荷物を前と後ろにふり分けにして担う荷物。
  ※ソ連・中国の印象(1955)〈桑原武夫〉生産文化と消費文化「目抜きの通りをフリワケ荷物を肩にして平気で歩いている婦人」

とある。これは近代のの用例になっているが、ウィキペディアには、

 「振り分け荷物(ふりわけにもつ)とは、江戸時代に用いられた旅行用の小型鞄。箱。振分け荷物。
 竹篭、または蔓や菅、柳で編んだ小さな行李2つを、真田紐や手ぬぐいで結び、肩に前後に分けて用いた。」

とある。肩に掛けるから「振分け(荷物を)髪(の辺り)より(掛けて)相借屋衆」となる。
 伊勢講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「伊勢講」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 伊勢参宮のために結成した信仰集団。旅費を積み立てておいて、籤(くじ)に当たった者が講仲間の代表として参詣し霊験を受けてくる。神宮に太太神楽(だいだいかぐら)を奉納するので太太講ともいう。伊勢太太(だいだい)講。《季・春》
  ※俳諧・犬筑波集(1532頃)雑「けつけをやする伊勢講の銭 道者舟さながら算をおきつ浪」
  [補注]本来「講」は仏教上の集まりを指すが、神仏習合の潮流の中で現われた神祇講の一つ。」

とある。この時代は無季。春季になったのは近代のことか。
 肩に振分け荷物を背負い、伊勢へ行く馬に乗って既に旅立った。
 点あり。

八十六句目

   講まいりすでに伊勢馬立られて
 さいふに入る銭かけの松

 銭掛松はコトバンクの「日本歴史地名大系 「銭掛松」の解説」に、

 「[現在地名]津市高野尾町
  伊勢別街道沿いの、高野尾たかのお町と大里睦合おおざとむつあい町一帯の豊久野とよくのにある。豊久野は、応永三一年(一四二四)に「武蔵野に伊勢のとよくのくらぶればなをこの国ぞすゑはるかなる」(室町殿伊勢参宮記)と歌われ、また歌人尭孝も「君が代をまつこそあふけ広きのへ末はるかなる道に出ても」(伊勢紀行)と永享五年(一四三三)に詠んだ松原の名所である。このなかにあった銭掛の松を、文政一三年(一八三〇)「伊勢道の記」中で葉室顕孝が「ゆふかけておかみまつりし豊久のの松は今しも枯はてにけり」と詠んだ。」

とある。「掛け銭」とひっくり返すと、講の積み立て金のことになる。みんなで積み立てた掛け銭が財布に入って、伊勢街道の銭掛けの松に辿り着く。
 点あり。

八十七句目

   さいふに入る銭かけの松
 帳面にあはせてきけば蝉の声

 旅体を離れる。商人が帳面を合わせていると松の木から蝉の声がして、財布に入ったお金を数えれば、思えば随分銭が掛ったもんだ、あの蝉の声のするのは銭掛の松だ。
 点なし。

八十八句目

   帳面にあはせてきけば蝉の声
 娑婆で汝が白雨の空

 前句の帳面を閻魔様の閻魔帳とする。蝉のように五月蠅く申し立てするけど、娑婆での汝の罪はお見通しで、汝が夕立(いうたち→言い立て)は空言だ。さすがにちょっと苦しい。
 点なし。

八十九句目

   娑婆で汝が白雨の空
 一生はただほろ味噌のごとくにて

 法論味噌(ほろみそ)はコトバンクの「選版 日本国語大辞典 「法論味噌」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 焼味噌を日に干し、胡麻(ごま)、麻の実、胡桃(くるみ)、山椒(さんしょう)などの香辛料を細かくして混ぜたもの。奈良興福寺の法師が、維摩会(ゆいまえ)の法論の時に食したという。あすか味噌。ほうろん味噌。ほうろ味噌。ほろん味噌。
  ※言継卿記‐永祿七年(1564)正月三日「巻数神供油物ほろみそ一袋送之」

とある。
 一生はただほろ味噌というのは、ほろ苦いに掛けたものだろうか。この世はみんな空言ばかり言い立てて法論味噌のようにほろ苦い。
 長点でコメントはない。

九十句目

   一生はただほろ味噌のごとくにて
 たのしみは又さかしほにあり

 酒塩はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「酒塩」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 煮物をする時、味をよくするため、少量の酒を加えること。また、その酒。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

とある。この場合はほろ味噌のような人生は、ほんの少しの酒だけが楽しみだという意味になる。
 点なし。

九十一句目

   たのしみは又さかしほにあり
 二日まで肱を枕の今朝の月

 前句の「さかしほ」を逆潮に取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「逆潮」の意味・読み・例文・類語」に、

 「さか‐しお ‥しほ【逆潮】
  〘名〙 主な潮の流れにさからって流れる潮の流れをいう。⇔真潮(ましお)。
  ※俳諧・口真似草(1656)一「さかしほとなすは霞の海辺哉〈松安〉」

とある。
 二日頃は大潮になるので、大潮を待ってその潮の引く時を待つということか。潮干狩りは三月三日に行われる。それまで晦日前の明け方の月を見ながら待つ。
 点あり。

九十二句目

   二日まで肱を枕の今朝の月
 姥がそへ乳もこの秋ばかり

 出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

とある。この巻の三十六句目に、

   爰に又はたち計のおとこ山
 三月五日たてりとおもへば

とあり、ここでは「近日に罷成候」という宗因のコメントが付いていた。ここでは古い方の八月二日の姥の出替りになる。
 長点で「二日の字殊勝に候」とある。出替りネタが一巻に二つあるが、特に遠輪廻ではなく、むしろ両方に長点がついているから、この点には全くこだわってないようだ。

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