今日は旧暦の三月三十日で、「春がいくまで二十八日」のその日となった。
午前中は晴れて暖かく穏やかで、外を歩く人も多かった。埼玉の方の道の駅は満車に近い状態だったし、公園ではたくさんの子供達が走り回っていた。
コンビニはトイレが閉鎖されていて運転手には厳しい。
午後になると曇ってきて一転して寒くなった。夕方には雨がぽつぽつと落ちてきた。
片隅の小さなやしろ手を合わせ
歩こう会の口は休まず
さて、「傘に」の巻の続き。挙句まで。
二裏。
三十一句目。
四五十日に居あく太秦
藪陰は麦も延たる霜柱 岱水
ここで一句だけ『炭俵』でお馴染みの岱水さんの登場となる。
当時の太秦あたりの景色だったのだろう。
三十二句目。
藪陰は麦も延たる霜柱
荷ふたものをとへば塩売 凉葉
「塩売(しおうり)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「塩の取引商人。日本では塩は海岸地方でのみ生産されるといった自然的・地理的制約があるので,山間・内陸地方の需要を満たすため,製塩地と山間・内陸地方との間に古くから塩の交易路,すなわち塩の道が開かれ,そこを塩商人が往来し,各地に塩屋・塩宿が生まれた。塩の取引には,古代から現代に至るまで製塩地の販女(ひさぎめ)・販夫が塩・塩合物をたずさえて,山間・内陸地方産の穀物・加工品との物々交換を行ってきた。とくに中世に入って瀬戸内海沿岸地方荘園から京都・奈良に送られていた年貢塩が途中の淀魚市などで販売されるようになると,大量の塩が商品として出回るようになり,その取引をめぐって各種の塩売商人が登場した。」
とある。
内陸部へは行商人が運んでいた。怪しい奴とばかりに荷物を調べたら塩だった、ということか。
三十三句目。
荷ふたものをとへば塩売
男子ども遊び仕事を昼の辻 野坡
「遊び仕事」はよくわからないが大道芸か。塩売りは本業の合い間に辻で何か芸をやったりして副業としていたか。
三十四句目。
男子ども遊び仕事を昼の辻
寝入りもはやし年の寄ほど 利牛
前句の「遊び仕事」を遊びのような仕事とし、爺さん達は早く寝る。その分起きるのも早いが。
三十五句目。
寝入りもはやし年の寄ほど
切り株も若木ははなのうきやかに 濁子
「うきやか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 心の動きや動作が軽快なこと。また、そのさま。
※花伝髄脳記(1584頃)「下げて謡ふ所は、川の瀬のごとし。高く、心をうきやかに、するすると行く事、用也」
② 容貌などが、曇りなくはればれとしたさま。
※譬喩尽(1786)四「皖(ウキヤカ)な顔」
③ 心が軽薄で、行動のかるがるしいさま。
※信長記(1622)八「先がけのつはもの共、うきやかになってひしめ
きけり」
とある。「うかれる」から来た言葉で、今日の「うきうき」にも近いか。
切り株から芽吹いた枝に咲く桜は、何だかうきうきしているように見える。
挙句。
切り株も若木ははなのうきやかに
かげろふ落る岩の細瀧 曾良
桜は雲や霞や雪などいろいろに喩えられるが、滝に喩えられることもある。
堀河院御時、女房達を花山の花見せに
つかはしたりけるが歸りまいりて、
御前にて歌つかうまつりけるに、
女房にかはりてよませ給ける
よそにては岩こす滝と見ゆるかな
峰の櫻や盛りなるらむ
堀河院御製(金葉集)
山櫻さきそめしよりひさかたの
雲ゐに見ゆる滝の白絲
源俊頼朝臣(金葉集)
切り株から出た若木の細い桜の枝は「岩の細瀧」といえよう。
「かげろふ」は一般的には日の当たる所でゆらゆら揺れる光の屈折によって起きる現象だが、古典で用いられる時は必ずしも今で言う陽炎とは限らず難しい。
この場合の「かげろふ落る」も単に儚い光くらいの意味で、桜の細瀧のような枝のことではないかと思う。
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