今日は激しい雨が降ったが、午後三時頃には急に晴れた。
十一日の俳話に書いたとおり、今日感染者が一万人を越えた。死者も昨日二百人を越えた。明日か明後日にはついに韓国越えかな。
中途半端な自粛では感染者が減らないことははっきりした。あとは二週間ぐらい徹底的に経済を止めて外出禁止にするくらいのことはやらないと駄目だろう。去年は十連休をやったのだから、出来ないはずはないと思う。
猫の顔隠せるほどの牡丹咲き
尺八習う和風ゴシック
それでは「傘に」の巻の続き。
初裏。
七句目。
誉られてまた出す吸もの
湯入り衆の入り草臥て峰の堂 曾良
温泉と修験道は密接に結びついたもので、役行者や弘法大師の開いた温泉というのが各地にあり、その多くが修験道に結びついている。
「湯入り衆」は峰の堂で修行する修験者で、修行と称して温泉にばかり入ってるのを揶揄したか。
曾良は『奥の細道』の旅で湯殿山の温泉を尋ねているし、『奥の細道』後は大峰にも行っている。こういうところに泊ると吸い物が出てくるのだろう。
八句目。
湯入り衆の入り草臥て峰の堂
黒部の杉のおし合て立 芭蕉
黒部の立山も修験の地で立山温泉がある。
黒部杉は黒檜(くろべ)、鼠子(ねずこ)とも言い、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「ヒノキ科(分子系統に基づく分類:ヒノキ科)の常緑針葉高木。別名ネズコ。大きいものは高さ35メートル、直径1.8メートルに達する。樹皮は赤褐色、薄く滑らかで光沢があり、大小不同の薄片となってはげ落ちる。葉は交互に対生し、鱗片(りんぺん)状で、表面は深緑色で、ヒノキより大形であるがアスナロより小形である。5月ころ小枝の先に花をつける。雌雄同株。雄花は楕円(だえん)形で鱗片内に四つの葯(やく)がある。雌花は短く、鱗片内に3個の胚珠(はいしゅ)がある。球果は楕円形で長さ0.8~1センチメートル、その年の10月ころ黄褐色に熟す。種子は線状披針(ひしん)形、褐色で両側に小翼がある。本州と四国の深山に自生する。陰樹で成長はやや遅い。木は庭園、公園に植え、材は建築、器具、下駄(げた)、経木(きょうぎ)などに用いる。[林 弥栄]」
とある。
ただ、ここでいう黒部の杉は多分「杉沢の沢スギ」ではないかと思う。ウィキペディアに、
「杉沢の沢スギ(すぎさわのさわスギ)とは、富山県下新川郡入善町の海沿いにある約2.7 haのスギ林を中心とする森林である。森林内に黒部川の湧水が多数みられるのが特徴。スギが一株で複数の幹をつける伏条現象や、森林内の多様な生態系が見られ、国の天然記念物に指定されている。」
とある。「おし合て立」はこの伏条現象のことではないかと思う。
修験の衆の入浴は集団で行われ、芋を洗うような状態になる所から、黒部で見た杉沢の沢スギを付けたのであろう。
芭蕉と曾良は『奥の細道』の旅の途中、七月十三日に市振から滑川に行く途中、このあたりを通っている。
『奥の細道』には「くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて」としか記されてない。
九句目。
黒部の杉のおし合て立
はびこりし廣葉の茶園二度摘て 濁子
黒部杉はお茶室などに用いられると言う。
「廣葉(広葉)」は碾茶のこと。これを石臼で挽いて抹茶にする。
一度つんだ広葉用の茶葉が茂りすぎて、二度目の茶摘となったが、そのはびこり具合とお茶室に縁のある黒部杉のはびこりとを重ねあわす、一種の響き付けであろう。
十句目。
はびこりし廣葉の茶園二度摘て
けふも暑に家を出て行 利牛
お茶の二度目の収穫の頃は、かなり高温になる。
十一句目。
けふも暑に家を出て行
伊勢のつれ又変替をしておこす 野坡
「変替(へんがえ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 「へんがい(変改)」の変化した語。〔文明本節用集(室町中)〕
※虎明本狂言・飛越(室町末‐近世初)「すきなどといふ物は、やくそくなどして、さやうにへんがへはならぬ」
[補注]室町期には[i]と[e]、とりわけ[ai]と[ae]の間での母音交替現象がしばしば認められるが、その多くは一時的なもので、意義分化といった質的変化が生じない限り、いずれはどちらか一方が消滅するのが一般的である。「へんがへ」の場合は音変化を起こした部分がたまたま似た意味の「替え」と同音であったために「変替え」と意識され、「変改(へんがい)」との間に意味用法的な差異を生じないままに両者が併存するに至ったものと考えられる。
〘他ハ下一〙 変更する。また、心変わりする。約束を破る。
※談義本・地獄楽日記(1755)三「惣仕廻を変がへてたも」
とある。
当時の旅は一人旅は危険ということで二人一組になって移動することが多い。『奥の細道』の旅も曾良が同行した。
お伊勢参りも二人で行くことが多いが、連れの方が朝の暑さで早く目が覚めてしまったのだろう。いきなり起され「行くぞ」となる。迷惑なことだ。
十二句目。
伊勢のつれ又変替をしておこす
おこしかねたる道心の沙汰 宗波
宗波は『鹿島詣』の旅で曾良とともに芭蕉に同行したが、神道家の曾良を伊勢の連れとしたか。曾良は『鹿島詣』には「浪客の士」とあり、『奥の細道』の旅のときに剃髪し僧形となった。
宗波は
「ひとりは水雲の僧。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣(さんね)の袋をえりにうちかけ、出山(しゅつざん)の尊像を厨子にあがめ入れテうしろに背負ひ、拄杖(しゅじょう)ひきならして無門の関(かん)もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。」
とある。
お伊勢参りの連れは僧形になる予定だったが急に気が変り、俗形のまま旅立つこととなった。
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