2020年4月29日水曜日

 今日もいい天気だった。もちろん一日籠城じゃー。
 「二週間後にニューヨークのようになる」という予想は外れたんじゃない。みんなの力で防いだんだ。同じように「四十万人死ぬ」というのも予言ではない。防がなくてはいけないんだ。
 感染者の増加ペースは鈍っているが、死者の数は増えている。もう少し頑張ろう。
 コロナに関しては西洋は必ずしも進んだ国ではなかったし、見習うべき国でもなかった。何でも西洋が正しいということではない。今までの日本のやり方はうまくいっている。誇りを持とう。
 九月入学だって、九月にコロナが収まるなんて保証はないのに、便乗して議論する事ではない。ただJリーグは世界に合わせて九月開始でもいいのではないかと思う。選手の移籍交渉がしやすくなる。
 文学でも西洋文学が必ずしも正しいわけではない。日本の俳諧にも、漫画やアニメやラノベの文化にも誇りを持とう、とこれは個人的見解。

   暑さも蝉も止むことはなく
 ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし

 それでは「鐵砲の」の巻の続き、挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   夕辺の月に菜食嗅出す
 看經の嗽にまぎるる咳氣聲    里東

 「看經(かんきん)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「[名](スル)《「きん(経)」は唐音》
  1 禅宗などで、声を出さないで経文を読むこと。⇔諷経(ふぎん)。
  2 声を出して経文を読むこと。読経。」

というように黙読と音読の両方の意味がある。「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、

 「かんきょう」とも読み,禅宗では「かんきん」と読む。経典を黙読すること。のちには,諷経 (ふぎん) ,読経 (どきょう) と同義となった。また経典を研究するために読む意味でも用いられる。」

とある。咳と風邪声が混ざって聞こえてくるのだから、この場合は読経であろう。
 月の夕べに菜飯を食うのを風邪のせいとし、風邪引きの様子を付ける。
 「風邪」だとはっきり言わずに匂わすのが匂い付け。
 近代だと二十七句目の「から風」、二十九句目の「夜着」、三十一句目の「嗽」が冬の季語になるが、当時は「夜着」だけが冬で、三十句目の「菜飯」も冬として扱われていたのではないかと思う。
 三十二句目。

   看經の嗽にまぎるる咳氣聲
 四十は老のうつくしき際     珍碩

 昔は四十歳で初老と呼ばれ、隠居する時期だった。
 戦後になって栄養状態がよくなり、平均寿命が一気に伸びたせいで、今は四十、五十は働き盛りとなったが、戦後間もない頃の漫画「サザエさん」では磯野波平が五十四歳の設定になっている。
 三十三句目。

   四十は老のうつくしき際
 髪くせに枕の跡を寐直して    乙州

 髪に寝癖をつけないように頭の位置を調整してまた寝なおす。隠居したばかりの初老の人がよくやることなのだろう。若い頃はすぐに髪を整えて出勤しなくてはいけないし、もっと歳だと寝癖にも頓着しなくなる。
 三十四句目。

   髪くせに枕の跡を寐直して
 醉を細めにあけて吹るる     野徑

 二日酔いの体とする。
 三十五句目。

   醉を細めにあけて吹るる
 杉村の花は若葉に雨氣づき    怒誰

 中村注にある通り、「杉村」は杉の木の群ら立つこと。
 桜の頃は杉も花が咲き、今では花粉症の季節になるが、ここでは杉に囲まれた桜の花という意味だろう。
 背の高い杉の若葉からは露が滴り落ちて、あたかも雨が降っているみたいだ。杉の茂りはさながら雨雲といったところか。
 春の花の句なのか若葉の中に残る花の夏の句なのかは微妙な所だが、ここは春にしておいて良いか。
 挙句。

   杉村の花は若葉に雨氣づき
 田の片隅に苗のとりさし     泥土

 桜が咲いたら苗代の季節で、まだ田植えには早いが、試しにやや育った苗を植えてみたのだろう。

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