感染者の頭打ち傾向は確かなものになってきたが、まだピークアウトと言うのは早いだろう。
勝ったと思ったときが一番危ない。感染爆発まではないにしても、気を緩めればすぐにまた増加に転じる。医療現場はもう限界に来ているから、死者は増え続けるだろう。
コロナ以外のニュースが多く、感染者数や死者数に関心が薄れている感じがする。テレビのグルメネタは何とかならないか。外出を奨励しているとしか思えない。
どっちにしても日本では個人の権利を制限することはできない。各自の自覚による自発的な自粛あるのみだ。
年末ジャンボ一応は買い
片隅の小さなやしろ手を合わせ
それでは「傘に」の巻の続き。
二十五句目。
まるぐちすゆる鯖のやき物
祝言も母が見て来て究メけり 利牛
結婚式のご馳走も母がどこから見てきたか鯖の尾頭付きに決定した。
二十六句目。
祝言も母が見て来て究メけり
木綿ふきたつ高安の里 芭蕉
「木綿(きわた)」は木綿の綿。
高安(たかやす)は今の大阪府八尾市にある地名。
かつては綿花の栽培が盛んで、河内木綿と呼ばれていた。高安山のふもとの綿織物は山根木綿ともいう。
『伊勢物語』の筒井筒の話を踏まえて、高安の女は木綿で儲かっているがやめときなということで、奈良の女と祝言を挙げさせたというところか。
二十七句目。
木綿ふきたつ高安の里
足場より月の細道一筋に 濁子
木綿の花が真っ白に咲き、それを月が照らし出すと、この年の秋に詠まれることになる、
名月の花かと見えて綿畠 芭蕉
のように美しい景色になる。
ただ、綿花は背が低いため、桜のような花の下の道ではなく、真っ白な中に一筋に道が現れる。
芭蕉の「名月の」の句は、あるいはこの濁子の句が元になっていたか。
二十八句目。
足場より月の細道一筋に
鹿追ふ声の睡たそうなる 曾良
前句を普通の畑の中の道とし、夜にやってくる鹿を追い払う声もすっかり夜遅くなったせいか眠たそうに聞こえる。
二十九句目。
鹿追ふ声の睡たそうなる
念仏に小さき鉦は殊勝にて 利牛
ここでいう「鉦(かね)」は鉦鼓(しょうこ)のことで、読経や念仏にも用いられる。
鉦鼓は念仏に使えば殊勝だが、ここでは鹿を追い払うのにも役に立つ。
三十句目。
念仏に小さき鉦は殊勝にて
四五十日に居あく太秦 野坡
京都の太秦(うずまさ)には安井御所の念仏堂があった。今は安井念仏寺になっている。
念仏の鉦の音は風情があるが、四五十日もいれば流石に飽きる。
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