今日は旧暦の三月二十五日。春も残り少ない。木の芽が一斉に芽吹き、新緑の季節も近い。
東京の感染者数はまた増えて、結局中途半端な自粛だと爆発的に増えることはなくてもいつまでもじりじりと微増が続き、他所の国が終息に向かっても日本だけがいつまでも自粛を続けていそうな気がしてきた。
草木も鬱の新緑の頃
猫の顔隠せるほどの牡丹咲き
「五人ぶち」の巻が終わり、次はということで、同じ時期の歌仙をもう一つ。
発句。
雨中
傘におし分見たる柳かな 芭蕉
笠は雨でなくても旅のときに被ったり、晴れ着として使用されたりもする。
これに対し「傘(からかさ)」は雨の日のものだ。
柳の糸も雨に喩えられるし、
八九間空で雨降柳かな 芭蕉
の句もある。ここではそうではなく本物の雨の中で笠をさしながら見る柳だ。
特に寓意はないだろう。雨の日の興行だけど、笠をさしたままでも柳は見えますね、というぐらいの挨拶か。
脇。
傘におし分見たる柳かな
わか草青む塀の筑さし 濁子
「筑(つき)さし」は『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、「築造しかけて中止してあるもの」とある。
上を見れば雨の中に雨と見まがうような柳の枝があり、下を見れば造りかけの塀の周りを若草が雨露に青々としている。
これも特に寓意のない、軽い脇だ。
第三。
わか草青む塀の筑さし
おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて 凉葉
春といっても寒い日はある。仕舞おうと思ってもついついまだ寒い日があるのではないかと思い、そのままにしていると、本当にまた寒い日があったりする。
四句目。
おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて
使の者に礼いふてやる 野坡
炬燵にすくんでいるのはご隠居さんだろうか。店の丁稚を使いにやり、戻ってきたら礼を言う。商家にありがちな風景だろう。
五句目。
使の者に礼いふてやる
せんたくをしてより裄のつまりけり 利牛
「裄(ゆき)」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、
「和服の部分の名称。着物の背の縫い目から袖口まで。また、その長さ。肩ゆき。」
まあ、洗濯したら服が縮んだというのは、昔はよくあることだった。
まいったなと思ってはいても、持ってきてくれた使いの者には一応礼を言う。
六句目。
せんたくをしてより裄のつまりけり
誉られてまた出す吸もの 宗波
縮んだ服を平気で着ているような人というのは空気が読めないもので、吸い物をお世辞で誉めてやっただけなのに、すっかり得意になって行く度にそのお吸物が出てくる。
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