今日は午後から雨になった。
公園脇で休憩すれば
いつのまに宵待草の月夜にて
それでは「鐵砲の」の巻の続き。
二表。
十九句目。
煮しめの塩のからき早蕨
くる春に付ても都わすられず 里東
田舎の蕨の煮しめに都が恋しくなる。
二十句目。
くる春に付ても都わすられず
半氣違の坊主泣出す 珍碩
「氣違」はここでは鬱病のことか。世を疎んで出家し、山に籠ったものの、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き 宗祇(水無瀬三吟十句目)
だったのだろう。
二十一句目。
半氣違の坊主泣出す
のみに行居酒の荒の一騒 乙州
この場合の「半氣違」は半狂乱ということか。坊さんが酒を飲むのは本来はいけないのだけど、実際はそう珍しくはなかったのだろう。ただ酒暴れた末に泣き出すのは困る。
二十二句目。
のみに行居酒の荒の一騒
古きばくちののこる鎌倉 野徑
「古きばくち」というのは双六のことだろうか。今のすごろくではなくバックギャモンのことをいう。博打に喧嘩は付き物。
二十三句目。
古きばくちののこる鎌倉
時々は百姓までも烏帽子にて 怒誰
室町時代までは男は皆烏帽子を被っていた。東京国立博物館蔵の「東北院職人歌合絵巻」の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれると前に「兼載独吟俳諧百韻」の時に書いたが、当時は裸よりも烏帽子のないことの方が恥ずかしかったとも言われる。
戦国時代になると烏帽子は次第に廃れ、あの茶筅のようなちょん髷を露わにするようになる。
二十四句目。
時々は百姓までも烏帽子にて
配所を見廻ふ供御の蛤 泥土
「配所」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「罪を得た人が流された土地。配流(はいる)の地。謫所(たくしょ)。」
とある。
「供御(くご)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「広く貴人,将軍の食膳をさすが,特に,天皇の御膳を意味する。日常は朝夕2回。古くは屯田 (みた) ,屯倉 (みやけ) などの皇室直轄領から調進させたが,令制では,畿内の官田から供御稲を得,宮内省所属の大炊 (おおい) 寮に収納し,内膳司に分配して調理のうえ御膳に供した。平安時代中期以降は官田が荘園化し,大炊寮の収入に頼り,戦国時代には,丹波国山国荘などの皇室領の年貢に頼った。供御を進献する農民や漁民は,商業上の特権などを与えられたので,御厨子所 (みずしどころ) 供御人の身分を望む者が多かった。近世では,朝,昼,夕の3食が普通となり,主食は櫃司 (ひづかさ) ,副食は御清所 (おきよどころ) が担当した。」
とある。
隠岐に配流された後鳥羽院などのイメージだろうか。蛤を供御に差し出す地元のお百姓さんも、院に失礼のないように烏帽子を被る。
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