今日は曇りで朝夕雨。結構肌寒い。まあ、この天気では外出する人も減ったかな。
感染者が増えてくると、街へ出るだけでも感染のリスクがある。一人一人が自分の命を大事にし、行動を慎むなら、自粛要請がなくても同じ効果が得られると思う。まずは自分の命を守ることだ。
感染を防ぐための経済の犠牲はここまで来たらもうどうしようもない。今までは特定の業種だけだったが、これからあらゆる業種に及ぶと思う。みんな一緒に貧に耐えよう。
仕事がなくならない人も、それだけ命の危険にさらされるわけだから、羨むことではない。
戦争みたいで嫌だという人もいるが、既に戦争は始まっている。コロナとの戦争、第一次コロナ大戦だ。
山寺のBGMは虫の声
露を踏み分け御朱印の列
それでは「五人ぶち」の巻の続き。
十三句目。
薮入せよとなぶられて泣
けいとうも頬かぶりする秋更て 野坡
「頬かぶり」はこの場合「知らん顔」の意味と掛けているのか。苛められても誰が助けてくれるわけでもない辛さに泣き明かした夜も白むと、鶏頭の真っ赤な花が目に入る。
その鶏頭に薄っすら霜が降りれば、あたかも鶏頭が頬被りしているかのようだ。
十四句目。
けいとうも頬かぶりする秋更て
はね打かはす雁に月影 芭蕉
これは本歌がある。
白雲にはねうちかはしとぶ雁の
かずさへ見ゆる秋の夜の月
よみ人しらず(古今集)
鶏頭に霜の降りる時候にこの歌の趣向を付ける逃げ句といっていい。
十五句目。
はね打かはす雁に月影
口々に今年の酒を試る 芭蕉
その年の米で仕込んだ酒は、晩秋には「あらばしり」として登場する。
そこで今年の新酒はどうだと酒屋にバイヤーが集まり、ああだこうだと意見を交わして買い付けてゆく。
前句の「はね打かはす雁」をそうした人たちの比喩とする。
十六句目。
口々に今年の酒を試る
近い仏へ朝のともし火 野坡
買って来たあらばしりをさっそく仏壇に供え、酒が好きだった古人を偲ぶ。「近い仏」は最近亡くなったという意味。
あるいは亡くなったのは先代の杜氏で、仏壇に向かって酒の意見を求めているのかもしれない。
十七句目。
近い仏へ朝のともし火
咲花に十府の菅菰あみならべ 野坡
十府(とふ)は今で言う宮城県宮城郡利府町で、十府の菅菰は、
陸奥の野田の菅ごもかた敷きて
仮寐さびしき十府の浦風
道因法師(夫木抄)
の歌にも詠まれている。
芭蕉も『奥の細道』の壺の碑のところで、
「かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十苻の菅有。今も年々十苻の管菰を調て国守に献ずと云り。」
と記している。
舞台を陸奥に転じ、海辺で火を灯して古人を偲ぶ。折から桜の花が咲いている。
十八句目。
咲花に十府の菅菰あみならべ
はや茶畑も摘しほが来る 芭蕉
十府の菅菰は廻り廻って茶畑の覆いとなる。抹茶にする茶畑は新芽が出る頃覆いを掛けて日光を遮る。
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