朝の四時半でももう明るく日も長くなった。そして気温も上がる。
奇しくも五月終息説が本当みたいに見えてきた。別にウィルスが暑さに弱いとかではなく、欧米での爆発的感染が一段落するのと、日本の緊急事態宣言がそこそこの効果を得たのが時期的に一致し、何となく終息ムードが生じている。
五月の中頃にはゴールデンウィークの休日効果が出て、ますます終息ムードになるのかもしれないが、ゴールデンウィーク明けで生活が元に戻ると五月末には再び感染者が増加する可能性も大きい。
自治体や何かが随分気前よく補償金を出しているが、長期化したときに本当に持続的に払える金額なのかどうか心配になる。既に財源が足りなくて国から支給される十万円を当てにしている自治体もあるようだ。
国にしてもそうだが、過大な補償金の要求は、結局長期的には首を絞めることになる。
学校の九月入学なんて呑気なことを、いつまでも言ってられる状態ならいいが、そんなことよりもネット授業による学校の再編を急いだ方がいい。
大事なのはいつ今までの日常に戻るかではなく、日常を変えることだ。
ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし
すぐに過ぎてくたまの休日
さて、卯月の俳諧は少ないというのは前に「杜若」の巻の時にも書いたが、その少ない中からまだ残っているものをということで、『奥の細道』の旅での須賀川での興行、「かくれ家や」の巻を読んでいこうと思う。
曾良の『旅日記』には、
「一 廿四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止。」
とある。卯月の二十四日の可伸庵での興行だったのがわかる。
発句は、
かくれ家や目だたぬ花を軒の栗 芭蕉
で、この句は後に、
世の人の見付ぬ花や軒の栗 芭蕉
と改められ、『奥の細道』を飾ることになる。
曾良の『俳諧書留』には、詞書が付いている。
同所
桑門可伸のぬしは栗の木の下に庵をむすべり。
伝聞、行基菩薩の古、西に縁ある木成と、
杖にも柱にも用させ給ふとかや。
隠棲も心有さまに覚て、弥陀の誓もいとたのもし
隠家やめにたたぬ花をを軒の栗 翁
稀に螢のとまる露草 栗斎
切くづす山の井の井は有ふれて 等躬
畦ぢたひする石の棚はし 曾良
歌仙終略ス
連衆 等雲・深竿・素蘭以上七人
ここでは『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)に収録されている等躬撰『伊達衣』(元禄十二年刊)のテキストを用いる。
まず、発句は曾良の書留に「めにたたぬ花を」と字余りになっているのが「目だたぬ花を」に直されている。
『奥の細道』の頃の芭蕉は古典回帰から、それまでの天和の破調の句を改め、五七五にきちんと収める句が多くなっているが、まだ時折破調の句もあった。
たとえばこの後小松で詠む、
むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉
の句は最初は、
あなむざんやな甲かぶとの下のきりぎりす 芭蕉
だったという。『去来抄』「修行教」に、
「魯町曰、先師も基より不出風侍るにや。去来曰、奥羽行脚の前はまま有り。此行脚の内に工夫し給ふと見へたり。行脚の内にも、あなむざんやな甲の下のきりぎりすと云ふ句あり。後にあなの二字を捨られたり。是のみにあらず、異体の句どもはぶき捨給ふ多し。此年の冬はじめて、不易流行の教を説給へり。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,64)
とある。
詞書も若干推敲されている。
桑門可伸は栗の木のもとに庵をむすべり。
傳へ聞、行基𦬇の古は、西に縁有木なりと、
杖にも柱にも用ひ給ひけるとかや。
幽栖心ある分野にて、弥陀の誓もいとたのもし
かくれ家や目だたぬ花をを軒の栗 芭蕉
「𦬇」はウィクショナリー日本語版に、
「(国字)「菩」・「薩」の二字を省画し、草冠部分を合字して一字にしたもの。」
とある。「分野」は「ありさま」と読む。
発句の意味はこの詞書でほぼ言い尽くされている。可伸庵には栗の木があり、その栗のいわれが行基菩薩が西に縁のある木(栗は西木と書く)として珍重したことに由来していると聞き、この隠れ家にはそんなに目立たない花が咲いている、それは軒の栗の花だ、というわけだ。
『奥の細道』の清書の時には「世の人の見付ぬ花や」と、世間では栗の花はそのように見られていないところを、尊いことだというふうにする。
世の人はというと、目立たないというよりはむしろ強烈な匂いを放ち、その匂いが男のアレに似ているというふうに受け止める向きが多い。椎名林檎のサードアルバムのタイトルも、この世俗的な認識で付けられている。
脇。
かくれ家や目だたぬ花を軒の栗
まれに蛍のとまる露草 栗斎
栗斎は可伸のこと。栗の庵に棲んでいるので栗斎とわかりやすい。
夏の思いがけない訪問客に「まれに蛍のとまる」と芭蕉を蛍に喩えている。
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