ここのところ午後から雨になる事が多く、今日もパラパラと降ったが、夕方には止んで半月に近くなった月が見えた。
今日行ったコンビニはローソンではないが、ゴミ箱もトイレも封鎖されていて、入り口にはマットが敷かれて靴に着いた土を落とすように書いてあった。
ただ、前にも言ったが運転手にトイレがないのは厳しい。公園のトイレまでが閉鎖されたら、もうどうしようもない。大岡寺繩手だ。
いつのまに宵待草の月夜にて
暑さも蝉も止むことはなく
それでは「鐵砲の」の巻の続き。
二十五句目。
配所を見廻ふ供御の蛤
たそがれは船幽霊の泣やらん 珍碩
「船幽霊」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 磯や海上に出るという水死した人の亡霊。柄杓を貸せと要求するが、その底をぬいて貸さないと柄杓で水を掛けられて沈められるという。船亡霊。
※仮名草子・百物語評判(1686)四「海上の風荒く浪はげしき折からは、必ず波のうへに火の見え、又は人形などの現はれはべるをば、舟幽霊(フナイウレイ)と申しならはせり」
とある。引用されている『仮名草子・百物語評判』は貞享三年刊なので、この時代に近い。
恐ろしい怪異ではあるが、非業の死を遂げた霊で、人の心を持っていて、ちゃんとお供え物すれば成仏してくれる。前句の蛤をそのお供えとしたのだろう。
二十六句目。
たそがれは船幽霊の泣やらん
連も力も皆座頭なり 里東
船幽霊が泣いているのかと思ったら、琵琶法師の語りでみんなすすり泣いているだけだった。
二十七句目。
連も力も皆座頭なり
から風の大岡寺繩手吹透し 野徑
「太岡寺畷(だいこうじなわて)」は東海道の亀山宿と関宿の間にある鈴鹿川に沿った十八丁(約3.5キロ)にわたる土手の道で、風の通りも良い。
風の強い時は顔を上げられず、みんな目が見えないかのようだ。
二十八句目。
から風の大岡寺繩手吹透し
蟲のこはるに用叶へたき 乙州
「こはる」は「強(こは)る」という字を当てる。「こわばる」と同じ。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、
「①かたくなる。こわばる。 「舌が-・つて呼吸いきが発奮はずむ/歌行灯 鏡花」 「 - ・りたる言葉は、振りに応ぜず/風姿花伝」
②腹が痛む。」
とある。
腹の虫のせいで腹がこわばって痛むので用を足したい。ただ見通しの良い縄手道では野グソというわけにもいかない。十八丁の道を我慢しなくては。
二十九句目。
蟲のこはるに用叶へたき
糊剛き夜着にちいさき御座敷て 泥土
夜着が今の布団と違い着て歩けるようになっているのは、そのまま厠に行けるからだ。
「ちいさき御座敷て」は背の低い人で、それが糊でカピカピになった夜着を着ていれば、まるで虫がこわばっているみたいだ。
月の定座だが、さすがに前句のシモネタで月は出せなかったか。
三十句目。
糊剛き夜着にちいさき御座敷て
夕辺の月に菜食嗅出す 怒誰
「菜食(なめし)」は青菜を焚き込んだご飯。
芭蕉が伊賀にいた頃の「野は雪に」の巻の六十八句目に、
焼物にいれて出せる香のもの
何の風情もなめし斗ぞ 宗房
の句がある。日常的な粗末な食事で、特に風情はない。
芭蕉が大阪で病床に臥して、丈草が、
うづくまる薬缶の下の寒さ哉 丈草
の句を詠んだ時、医者の木節は、
鬮(くじ)とりて菜飯たかする夜伽哉 木節
の句を詠んでいる。
前句の糊の利きすぎた夜着に小さな御座の人物を病人としたか、月の夕べも遊ぶでもなく菜飯を嗅ぐ。
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