2020年4月16日木曜日

 政治の方がようやく動き出した。四月も半分終って、ようやく五月終息を信じる能天気な人たちも折れざるを得なかったか。
 ただ、一番厳しい措置をとった東京ですら、頭打ちではあっても減少に転じたとは言い難い。街の人通りは相変わらず多い。
 清水建設は英断を下したが、まだまだ他の大手ゼネコンの工事は止まる気配がない。工事に携わる大勢の人たちだけでなく、そこに配属されているガードマンさんや我々資材を運び込む運転手も感染の危険にさらされながら仕事を続けなくてはならない。大金が掛かっているだけに、やはり人の命よりも金なのだろうか。

   少しづつ業界言葉覚えだす
 草木も鬱の新緑の頃

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   蕎麦うつ音を誉る肌寒
 はらはらと桐の葉落る手水鉢   芭蕉

 蕎麦打ちからお寺の情景へと転換する。
 今でもお蕎麦屋というと長寿庵だが、ウィキペディアによると最初の長寿庵は元禄十七年、京橋五郎兵衛町にオープンしたという。
 蕎麦とお寺との関係は、まず精進料理であるということと、「五穀断ち」の五穀(米、麦、粟、キビ、豆)に含まれないからだとも言う。
 三十二句目。

   はらはらと桐の葉落る手水鉢
 書付てある鎌の稽古日      野坡

 鎌は一心流鎖鎌術だろうか。一心流鎖鎌術は江戸時代初期に夢想権之助が開いた神道流剣術や神道夢想流杖術に付随したもので、ウィキペディアによれば他にも一達流捕縄術、一角流十手術、内田流短杖術、中和流短剣術が併伝されているという。
 夢想権之助は宮本武蔵とも対戦したという伝承がある。
 前句の手水鉢をお寺から神社に転じて、神道流へと展開したと思われる。
 三十三句目。

   書付てある鎌の稽古日
 漸とかきおこされて髪けづり   芭蕉

 「かきおこす」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 「引き起こす。
  出典源氏物語 夕顔
 「この御かたはらの人をかきおこさむとす」
 [訳] (源氏の)おそばの人(=夕顔)を(女の物の怪けが)引き起こそうとする。」

とある。
 「漸」は「ようよう」と読む。「髪けづり」は髪を櫛で梳かすことをいう。
 寝ていたところ、人に体を引き起こされて、髪を梳かしてもらっている。一心流鎖鎌術の師匠だろうか。稽古日をすっかり忘れていたのだろう。
 三十四句目。

   漸とかきおこされて髪けづり
 猫可愛がる人ぞ恋しき      野坡

 前句を猫のブラッシングとする。
 「猫可愛がる人」は『源氏物語』若菜巻の女三宮の俤を感じさせる。
 三十五句目。

   猫可愛がる人ぞ恋しき
 あの花の散らぬ工夫があるならば 芭蕉

 『源氏物語』若菜巻で柏木が女三宮の姿を垣間見るのは三月末の六条院の蹴鞠の催しで、『源氏物語』のこの場面を描いた絵には桜の木が描かれている。『源氏物語』本文にも「えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。」とある。
 猫の登場する直前には、

 「軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそなどのたまひつつ」

とある。ここから「あの花の散らぬ工夫があるならば」という連想は自然であろう。
 督の君は右衛門督(柏木)のことでこの心情と、そのあとの猫の登場とが見事に重なる。
 ここまで物語に付いていると、俤というよりは本説といった方がいいだろう。
 打越の毛を梳かす場面が『源氏物語』から離れているので、あえてこのような『源氏物語』への濃い展開を選んだのだろう。
 挙句。

   あの花の散らぬ工夫があるならば
 掃目のうへに色々の蝶      執筆

 挙句はこれまで沈黙していた執筆が務める。
 地面の箒で掃いた跡の上には色々の蝶が飛んでいる。
 花は散っても蝶は散らないということか。

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