今日はいい天気だったけど、どこも道はすいていて人も少なかった。これからゴールデンウィークに向けて外出を控えて、一気にピークアウトにもって行きたい所で、そういう意識を多くの人が共有できたのだとしたら心強い。
万博あとにまためぐり逢い
偶然と思えずもしやストーカー
それでは「鐵砲の」の巻の続き。
初裏。
七句目。
秋の夜番の物もうの聲
女郎花心細氣におけはれて 筆
中村注によると、「おけはれて」は「おそはれて」の間違いで「魘はれて」という字を当てる、悪夢に魘(うな)されるという意味だという。
「女郎花」は比喩で女郎(遊女)のことであろう。心配になった男が番小屋に駆け込んでくる。
八句目。
女郎花心細氣におけはれて
目の中おもく見遣がちなる 野徑
目も虚ろでどんよりとしていて、遠い目をしているということか。女郎さんの状態を付ける。
九句目。
目の中おもく見遣がちなる
けふも又川原咄しをよく覺え 里東
「川原咄し」は中村注に「芝居話」とある。四条河原で芝居が行われていたことからそう言うようだ。歌舞伎役者も身分的には河原乞食で非人だった。
ウィキペディアによると、
「近世初期には長吏頭・弾左衛門の支配下にあった。しかし歌舞伎関係者は自分たちの人気を背景に弾左衛門支配からの脱却をめざした。宝永5年(1708年)に弾左衛門との間で争われた訴訟をきっかけに、ついに「独立」をはたす。江戸歌舞伎を代表する市川團十郎家は、このことを記念する『勝扇子(かちおうぎ)』という書物を家宝として伝承していた。」
「しかし、歌舞伎役者は行政的には依然差別的に扱われた。彼らは天保の改革時には、差別的な理由で浅草猿若町に集住を命ぜられ、市中を歩く際には笠をかぶらなくてはならないなどといった規制も受けた。歌舞伎が法的に被差別の立場から解放されるのは、結局明治維新後のことだった。」
とある。
歌舞伎役者に夢中になっている女性は、うっとりとしたような遠い目をしている。
十句目。
けふも又川原咄しをよく覺え
顔のおかしき生つき也 泥土
「おかしき」は古代では良い意味で用いられるが、江戸時代では面白い、ちょっと変わったというニュアンスになる。
今で言う芸人の顔のような、ちょっと灰汁の強い感じなのではないかと思う。
芝居の話をしながら物真似を交えたりしていたのだろう。でも何かちょっと変で笑いを誘う。
十一句目。
顔のおかしき生つき也
馬に召神主殿をうらやみて 乙州
神田祭の行列を先導する騎馬神職のことだろうか。やはり顔が良いのが選ばれるのだろう。
十二句目。
馬に召神主殿をうらやみて
一里こぞり山の下苅 怒誰
「こぞり」は「諸人こぞりて」というクリスマスソングもあるように、集まるという意味。
「山の下苅」は夏になると林の下草が茂りすぎるので、刈ってすっきりさせることをいう。山の面積は広いので村人総出で行う。
祭の行列は神田祭、山王祭など夏に行われることが多く、その頃農民は山の下刈りに追われている。
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