今日は一日雨。久しぶりに帰りがけにスーパーに寄った。
確かに米やパスタの棚はスカスカだが全滅はしてなくて多少は残っていた。パスタの隣の乾蕎麦や素麺はふつうにあるし、隣の百円ショップの百円パスタはあった。
ブルーシートの脇は芭蕉葉
秋薔薇のようやく揃う作業小屋
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
三表。
五十一句目。
手もちわるくも独ただぬる
暮ぬるをうかれ女のあがれつつ 兼載
「あがれつつ」がよくわからないが、部屋の中に上がっているということか。
浮かれ女は歌や人を楽しませる芸能の人だが、遊女を兼ねていることも多い。
五十二句目。
暮ぬるをうかれ女のあがれつつ
きのふにけふはをどりこそすれ 兼載
四十六句目に「おどりはねけり」があり、五句去りで「をどり」だが、微妙に仮名使いを変えている。
「きのふにけふは」今日で言う「昨日今日」で、覚えたばかりということか。
五十三句目。
きのふにけふはをどりこそすれ
なま魚もはしめの程やうまからん 兼載
前句を「さっきまでぴちぴち跳ねていた」の意味にしたか。
生魚は新鮮なうちが旨いのはもちろんのことだ。この頃は膾にして食べていたか。
五十四句目。
なま魚もはしめの程やうまからん
山里人は海ばたにすむ 兼載
山里で育った人が海辺で暮らすようになって、最初のうちは生魚も旨いと思って食っているが、やがて食い飽きる。
五十五句目。
山里人は海ばたにすむ
松風は前代浪の音に似て 兼載
「前代」は前代未聞のことだが、ここでは単に強調の言葉か。
山里の人が海辺に住んでも、松風の音が波の音に変わるだけであまり変わらない。
五十六句目。
松風は前代浪の音に似て
ねぶればやがてまなこあきけり 兼載
松風の寂しげな音に、寝ていてもハッと目が覚めてしまう。
ここでも四十九句目の「独ただぬる」からぎりぎり五句去りで「ねぶれば」となる。
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