2020年3月31日火曜日

 コロナが五月くらいには終息するなら、これまで被害を受けてきた観光業、畜産業(特に和牛)、イベント関連、ライブハウス、ミュージシャンなどに個別の補償をするという考え方は正しい。
 ただ、これが一年二年、あるいは数年に及ぶかもしれないとなれば、今後被害はあらゆる業種に及ぶことになる。声の大きい特定の業種だけに補償を行えば、不満も出てくるだろう。かといって、すべての業種を補償するとそれだけで国家が破綻しかねない。
 五月終息なら、景気回復のための商品券でもいいかもしれないが、終息しないなら国内に多くの失業者があふれ、まず必要なのは現金ということになる。
 基本的には一律にお金を配るのが一番いい。なぜなら、社会が混乱する時に細かい事務手続きや審査に人手を廻すわけにはいかないからだ。これから起こる数々の不幸の前には、過去の年収なんてのもあまり意味はない。
 長期化すれば定期的に行う必要が出てくるから、ほぼなし崩し的にベーシックインカムになってゆくのではないかと思う。
 その間に産業の方でAIとロボットによる無人化と商取引のオンライン化を推し進め、経済を再生していかなくてはならない。教育もオンライン化が急務だ。
 何のことない。これまで想定された未来社会を前倒しに実行して行けば良いだけだ。今は崖っぷち、明日は奈落の底かもしれないが、それでも明日を信じる。昔から人類はそうして来た。氣志團ではないが、行こうぜ、コロナの向こうへ。

   台風の尋常でない夕月夜
 ブルーシートの脇は芭蕉葉

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 四十三句目。

   徒然そうにも文をこそよめ
 ふりよくする憂身の上に恋をして  兼載

 「ふりよく」がわからない。おそらく「ふりょく」か「ぶりょく」で、憂身に掛かるからあまり良いことではないのだろう。とすると「無力(ぶりょく)」ではないか。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① (形動) 力がないこと。また、そのさま。むりょく。
  ② (形動) 資力のないこと。貧しいこと。乏しいこと。また、そのさま。貧困。むりょく。〔文明本節用集(室町中)〕
  ③ (━する) 財産を失うこと。貧乏すること。
  ※ロザリオの経(1623)四「ツイニワ buriocu(ブリョク) シケルユエニ」

とあり、③に「無力する」という言い回しがあることが記されている。
 つまりこの句は「財産を失った憂身の上に恋をして」となる。
 前句の「徒然」にはしんみりと物思いに沈むという意味もある。
 四十四句目。

   ふりよくする憂身の上に恋をして
 涙にぬるる紙きぬの袖       兼載

 「紙きぬ」は紙子のことであろう。
 前に「守武独吟俳諧百韻」のところで、「近世になると紙が安価になったため、貧乏人の衣裳となったようだが、守武の時代はどうだったかはわからない。紙が貴重だった時代はそれなりに高価だっただろう。」と書いたが、それでも布よりは安かったか。
 紙子をぼろぼろになるまで着ればいかにも乞食という感じがする。そのことは二月四日の俳話にも書いた。ただ、そこまでいかなくても貧しいというイメージはあったのだろう。
 兼載の時代で紙子が「無力する」のイメージだったなら、考えを改めなくてはいけない。
 四十五句目。

   涙にぬるる紙きぬの袖
 哀にも時守は尼におくれつつ    兼載

 「時守(ときもり)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「宮中で、漏刻を守り時刻を報ずることをつかさどった役人。陰陽寮おんようりように属した。守辰丁しゆしんちよう。」

とある。
 ただ、それが尼に先立たれるというのは意味がよくわからない。「時守」には別の意味があったか。あるいは時宗の僧の意味での「時衆(じしゅう)」か。
 四十六句目。

   哀にも時守は尼におくれつつ
 西にむかひておどりはねけり    兼載

 時守が時衆なら、念仏踊りのことで意味が通じる。この場合、前句の「おくれつつ」は尼の後ろに付いて踊るという意味になる。
 四十七句目。

   西にむかひておどりはねけり
 東より都にのぼるおくの駒     兼載

 陸奥(みちのく)の駒は元気がいいのか、都に上る道すがら踊り跳ねている。
 四十八句目。

   東より都にのぼるおくの駒
 あふさかやまをはひこへぞする   兼載

 逢坂山はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「相坂山とも書く。滋賀県大津市西部と京都市山科区を境する山。標高325m。古来,畿内の北東を限る交通の要衝に位置するため逢坂関が置かれた。山の南北に峠道が通じ,北側は小関越(古代の北陸道),南側は旧東海道をほぼ踏襲して国道1号線,名神高速道路,京阪電鉄京津線が通過する。山の下を東海道本線と湖西線がトンネルで抜けている。近世,大津から京都へ北国米を運搬するため,峠の急坂に花コウ岩を並べた舗装道路がつくられた。」

とある。室町時代までは馬が這うようにして登るほどの急坂があったか。
 四十九句目。

   あふさかやまをはひこへぞする
 蝉丸の杖をば人にうばはれて    兼載

 逢坂山といえば、

 これやこの行くも帰るも別れては
     知るも知らぬも逢坂の関
              蝉丸(後撰集)

が有名だが、謡曲『蝉丸』では盲目のため帝の命により逢坂山に捨てられるときに、蓑と笠と杖をもらう。
 その杖を奪われたなら、目の不自由な蝉丸は逢坂山を這って登らなくてはならない。
 五十句目。

   蝉丸の杖をば人にうばはれて
 手もちわるくも独ただぬる     兼載

 「手もちわるく」はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、

 「〔中世・近世の語〕
  ①手持ち無沙汰で、恰好(かつこう)がつかない。 「聞き入るる耳がないと愛想なければ-・く/浄瑠璃・平家女護島」
  ②人との折り合いが悪い。 「アノ人ワ-・イ/日葡」

とある。
 杖がなければ恰好がつかないし、奪われたとなれば疑い深くもなり、人を避けるようにもなる。ゆえに独り唯寝る。

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