2020年3月28日土曜日

 今日も曇ってたが暖かかった。夕方から雨が降り出した。
 さすがに都が外出の自粛を呼びかけただけあって、今日は人も車も少なかった。桜は散り始めていた。
 コロナ退散祈願俳諧(仮)、五句目。

   言葉少なに駅の押し合い
 ドアに立つおやじ動こうともしない

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 二表。
 二十三句目。

   銭をばもたぬ道の悲しさ
 傾城はあれども宿に独寝て     兼載

 ウィキペディアに、

 「室町時代には、足利将軍家が京都の傾城屋から税金を徴収していた。1528年、傾城局が設置され、遊女は、制度のもとに営業するようになった。」

とある。ここでいう傾城は遊女ではなく遊郭のこと。まあ、先立つものがなければ。
 二十四句目。

   傾城はあれども宿に独寝て
 唯恋しさは古さとのつま      兼載

 律義な男で、遊郭があってもそこに行かずにひたすら故郷の妻のことを思う。
 二十五句目。

   唯恋しさは古さとのつま
 世の中をぶせうながらも捨てにけり 兼載

 「ぶせう」は無精か。世俗のことがいろいろと面倒くさくなって世捨て人になったが、別れた妻が恋しくなる。
 二十六句目。

   世の中をぶせうながらも捨てにけり
 法師とみれば在家入道       兼載

 無精だからお寺に入って修行など真っ平ということか。
 二十七句目。

   法師とみれば在家入道
 畑をうつ身は墨染によごれつつ   兼載

 百姓の在家だから墨染めの衣で坊主頭で畑を耕す。僧衣には泥がついている。
 二十八句目。

   畑をうつ身は墨染によごれつつ
 鋤持人はおほはらの里       兼載

 京都の大原は炭の産地で、大原女は炭を売っていた。
 炭の産地だから農夫も片手間に炭を作っていたのだろう。前句の「墨染によごれつつ」を「炭」で汚れたと取り成す。

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