今日も曇ってたが暖かかった。夕方から雨が降り出した。
さすがに都が外出の自粛を呼びかけただけあって、今日は人も車も少なかった。桜は散り始めていた。
コロナ退散祈願俳諧(仮)、五句目。
言葉少なに駅の押し合い
ドアに立つおやじ動こうともしない
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
二表。
二十三句目。
銭をばもたぬ道の悲しさ
傾城はあれども宿に独寝て 兼載
ウィキペディアに、
「室町時代には、足利将軍家が京都の傾城屋から税金を徴収していた。1528年、傾城局が設置され、遊女は、制度のもとに営業するようになった。」
とある。ここでいう傾城は遊女ではなく遊郭のこと。まあ、先立つものがなければ。
二十四句目。
傾城はあれども宿に独寝て
唯恋しさは古さとのつま 兼載
律義な男で、遊郭があってもそこに行かずにひたすら故郷の妻のことを思う。
二十五句目。
唯恋しさは古さとのつま
世の中をぶせうながらも捨てにけり 兼載
「ぶせう」は無精か。世俗のことがいろいろと面倒くさくなって世捨て人になったが、別れた妻が恋しくなる。
二十六句目。
世の中をぶせうながらも捨てにけり
法師とみれば在家入道 兼載
無精だからお寺に入って修行など真っ平ということか。
二十七句目。
法師とみれば在家入道
畑をうつ身は墨染によごれつつ 兼載
百姓の在家だから墨染めの衣で坊主頭で畑を耕す。僧衣には泥がついている。
二十八句目。
畑をうつ身は墨染によごれつつ
鋤持人はおほはらの里 兼載
京都の大原は炭の産地で、大原女は炭を売っていた。
炭の産地だから農夫も片手間に炭を作っていたのだろう。前句の「墨染によごれつつ」を「炭」で汚れたと取り成す。
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