今日も穏やかに晴れた一日だった。旧暦二日だが月はまだ見えなかった。二日の月の吹き散るか。
都内で感染者が急増し、今日は新たな感染者が四十人だという。志村けんの感染・重篤化がニュースになっていた。
今更という感じで会社からは手洗いやうがいをするようにだとか、人が大勢集まるところには行かぬようにだとかいう紙が配布された。
日本では相変わらず自粛要請ばかりで強制力はないから、海外の人からすれば何て緩いんだというところだろう。緩くてもそれなりに節度を持つのが日本人だ。強制ではないからといって、あまり好き勝手すると叩かれるのは当然だが。
アマビエもつれるといいな糸桜、春がいくまで二十八日。
それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。
四句目。
永日の暮ぬる里に鞠をけて
ほころびがちにみゆるかみしも 兼載
かみしも(裃)は江戸時代には武家の礼服となったが、室町時代では庶民のものだった。
かみしもには肩衣袴の裃と素襖長袴の長裃があった。素襖長袴の素襖(すおう)はウィキペディアによれば、
「鎌倉時代以降礼服化していった直垂の中でも、簡素で古様なものが室町時代になると素襖と呼ばれるようになった。初めは下級武士の普段着だったが、室町時代末期に至り大紋に次ぐ礼装となる。」
だという。
ただ、長袴で蹴鞠は無理があるので、ここでは長裃ではなく肩衣袴の普通の裃であろう。ウィキペディアによれば、
「肩衣には袖が無いが、袖無しの衣服は近世以前より用いられていた。ただしそれらは袖をなくす事で動きやすくする庶民の普段着または作業着であった。また本来は狩衣や水干、直垂、 素襖など、これらの上衣と同色同質の生地で袴も仕立てることを「上下」(かみしも)と称した。
肩衣と袴の組合せによる裃の起源は明らかではないが、江戸時代の故実書『青標紙』には、室町幕府将軍足利義満の頃、内野合戦で素襖の袖と裾を括って用いたことに始まるという伝承を記している。松永久秀または近衛前久が用いたのを始まりとする話もあるが確かではない。文献での使用例を辿ると、天文の頃には肩衣に袴の姿がすでに一般化していたと見られる。その後江戸時代に至り、肩衣と袴の「上下」が平時の略礼服として用いられるようになった。」
だという。
兼載の時代は天文より前なので、ここは鄙びた里で庶民が蹴鞠をする姿を詠んだのではないかと思う。
五句目。
ほころびがちにみゆるかみしも
主殿と狂言ながらむしりあひ 兼載
肩衣・袴の裃は狂言では太郎冠者などの庶民の役に用いられ、長裃は主殿の役に用いられる。
前句の「かみしも」を狂言の衣装として、互いに毟りあう芝居をする。
六句目。
主殿と狂言ながらむしりあひ
いそひで鳥をくはんとぞする 兼載
「狂言」にはweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」によれば、
「④道理にはずれた言葉や行為。たわごと。 「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる-をば云ふ/太平記 20」
という意味もある。
ここでは急いで鳥を食おうとして、狂ったように羽をむしる様に取り成す。
七句目。
いそひで鳥をくはんとぞする
鷹犬の鷹よりさきに走出 兼載
「鷹犬(ようけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 鷹狩に用いる犬。
※隆祐集(1241頃)「かへさの道より鷹犬をこひ侍るとて」
〘名〙
① 鷹(たか)と犬。ともに狩猟に用いる。
※令義解(718)職員「正一人。〈掌下調二習鷹犬一事上〉」 〔宋史‐楊業伝〕
② 他人に使役されること。他人の手先となって働くこと。また、そのもの。
※太平記(14C後)一七「雖レ非二鷹犬(ヨウケン)之才一、屡忝二爪牙之任一」 〔宋史‐唐坰伝〕」
とあるが、ここでは「鷹狩に用いる犬」をいう。鷹が獲物を取る前に犬が走り出し、鷹に取られる前に真っ先に鳥を食おうとする。
八句目。
鷹犬の鷹よりさきに走出
門のまはりに立まはりけり 兼載
狩から戻った時であろうか、犬が先に門のほうへ走り、早く開けろとばかりにあたりをうろうろする。
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