天気は良いが花冷えの一日となって、これで染井吉野も週末まで持つかな。週末の天気は今一つのようだが。
COVIT-19の足音もそろそろすぐ後にまで迫ってきたようで、ひょっとしたらこの自分も100日後には死んでいるのかもしれない。今のヨーロッパやアメリカを見ていると冗談とも言えない。
日本の人口は1億2595万人。この6割が感染したなら7557万人になる。致死率が1パーセントとしても75万人は死ぬことになる。イタリアのように医療崩壊で8パーセントということになったら、6百万人が死ぬことになる。
第二次世界大戦での日本人の死者が310万人と言われているから、これをコロナとの戦争と呼ぶのは大袈裟でもなんでもない。
まあ、とにかく一日一日を大切に生きよう。
旧暦の方では弥生に入り、また俳諧を読んでいこうと思う。
今回取り上げるのは上野白浜子著『猪苗代兼載伝』(二〇〇七年、歴史春秋社)に掲載されている『兼載独吟俳諧百韻』で、あえて注釈のないこれに挑戦してみようと思う。
この独吟は文亀二年(一五〇二年)春の作と見られている。前に読んだ『宗祇独吟何人百韻』の三年後だ。
兼載はこのとき会津の黒川(今の会津若松市)の自在院に籠っていたという。
まずは発句。
花よりも実こそほしけれ桜鯛 兼載
「花」といえば桜だが、「実の方が欲しい」と言って何のことかと思ったら「桜鯛」で落ちになる。さすがに室町時代で素朴な句だが、基本的な語順を間違えたりはしない。
桜鯛はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 桜の花が盛りのころ、産卵のため内湾の浅瀬に群集するタイ。瀬戸内海沿岸で特にいう。花見鯛。《季 春》「俎板(まないた)に鱗(うろこ)ちりしく―/子規」
2 スズキ目ハタ科の海水魚。全長約20センチ。体は卵形で側扁し、雄は鮮紅色。桜の咲くころが産卵期で、内湾の浅瀬に群集する。本州中部以南に産し、食用。」
とある。この場合は1の意味。
曲亭馬琴の『俳諧歳時記栞草』には、
「[本朝食鑑]歌書に云、春三月、さくらの花ひらきて、漁人多くこれをとる。故に桜鯛と云。〇ゆく春のさかひの浦のさくらだひあかぬかたみにけふや引らん 為家」
とある。
桜鯛は江戸時代の俳諧でも詠まれている。
常矩編の『俳諧雑巾』には、
桜鯛
生桜科は陽吹ぞうらみなる 尒木
遅桜夷の手風もれけりや 常二
の二句が記されている。
「陽吹(やうす)」は春風のこと。桜鯛も温かい春風に吹かれると傷みやすいということか。
遅桜の句は、散る桜を夷様の手から漏れた桜鯛に喩えたものか。
言水編の『江戸蛇之酢』にも、
陸づけや見れば旅宿の桜鯛 泰清
もりかたの箸やかざしの桜鯛 口拙
の二句が見られる。
「陸づけ」は船の着岸のこと。漁船から旅宿へ、たくさんの桜鯛が水揚げされる。
「もりかたの箸」は盛り箸(真菜箸)のことであろう。盛り付けのときに使う鉄の箸をいう。これが桜鯛の簪(かんざし)のように見える。
同じく言水編の『東日記』には、桜鯛の句が七句も載っている。そのなかには、
墨染めに鯛彼桜いつかこちけん 其角
の句がある。お坊さんが鯛などを食べて、桜だと言い訳しているのだろうか、という意味か。
それでは『兼載独吟俳諧百韻』にもどり、脇。
花よりも実こそほしけれ桜鯛
霞のあみを春のひたるさ 兼載
「ひたるさ」は空腹のこと。
「霞網」は小鳥を取るための網だが、ここでは霞を網に喩えているだけ。桜鯛が食べたいが、あるのは春の霞の網だけで魚網はなく、腹が減った、となる。
第三。
霞のあみを春のひたるさ
永日の暮ぬる里に鞠をけて 兼載
霞の網のたなびく春の永日(ながきひ)も暮れるまで蹴鞠に没頭し、腹が減ったとする。
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