2020年3月13日金曜日

 コンビニに行ったらティッシュの箱が棚に並んでいた。トイレットペーパーはまだだが、ティッシュはもう一通り買いだめが終ったのだろう。
 この種の騒動は各家庭にこれ以上置く場所がなくなれば自然と終息する。ウィルスの方はそうはいかない。
 それでは「口まねや」の巻の続き。

 八十五句目。

   うぐひすもりとなるほととぎす
 春雨の布留の杉枝伐すかし   宗因

 前句のホトトギスの托卵に、その季節をつけた遣り句であろう。
 古代石上布留(いそのかみ)布留には神杉の森があったという。杉の剪定は晩春から初夏にかけて行われる。
 八十六句目。

   春雨の布留の杉枝伐すかし
 うへけん時のさくら最中   宗因

 布留は杉だけでなく桜も和歌に詠まれている。中村注が『後撰集』の僧正遍昭の歌と『新古今集』の源通具の歌を引用している。

 いそのかみふるの山辺のさくら花
     うへけむ時をしる人ぞなき
           僧正遍昭(後撰集)
 石の上ふる野の桜たれ植ゑて
     春は忘れぬ形見なるらむ
           源通具(新古今集)

 枝を剪定したことで桜の花が透けて見える。
 八十七句目。

   うへけん時のさくら最中
 むかし誰かかる栄耀の下屋敷 宗因

 「下屋敷(しもやしき)」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「大名屋敷の一つ。本邸である上(かみ)屋敷に対し、別荘として用いられた。江戸近郊(四谷(よつや)、駒込(こまごめ)、下谷(したや)、本所(ほんじょ)など)に多く与えられた。[編集部]」

とある。
 まあ、宗因の時代も改易が多く、荒れ果てた下屋敷もあったのであろう。「月やあらぬ」の心情か。
 下屋敷は俳諧だが、桜は和歌の趣向を脱し切れていない。芭蕉の古池の句を以て、このテーマは完全な俳諧となる。
 八十八句目。

   むかし誰かかる栄耀の下屋敷
 川原の隠居焼塩もなし    宗因

 海辺の隠居なら塩を焼く煙の風情もあるが、川原だと川原乞食のイメージになってしまう。
 八十九句目。

   川原の隠居焼塩もなし
 月にしも穂蓼斗の精進事   宗因

 穂蓼は蓼の花で、昔は食用にされた。蓼穂ともいい、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「たでほ」とも) 蓼の穂。特有の辛味があり塩漬にして食用にする。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「海月桶(くらげをけ)のすたるにも蓼穂(タデホ)を植ゑ」

とある。

 草の戸に我は蓼食ふ蛍哉   其角

の句もある。
 塩漬けの蓼は酒の肴にもなるが、蓼に塩気がないうえに精進となれば酒もない。わびしい。
 九十句目。

   月にしも穂蓼斗の精進事
 松茸さそよこなたへこなたへ 宗因

 中村注によれば「さそよ」は「ざうよ」の間違いで、「松茸ぞうよ」端松茸売りの呼び声だったという。
 蓼ばかりでは味気ないから、松茸売りが来たら呼び止めよう。
 九十一句目。

   松茸さそよこなたへこなたへ
 北山や秋の遊びの御供して  宗因

 中村注は謡曲『盛久』だという。

 「如何に盛久。盛久は平家譜代の侍武略の達者。殊には乱舞堪能の由聞し召し及ばれたり。一年小松殿。北山にて茸狩の遊路の御酒宴に於て。主馬の盛久一曲一奏の事。関東までもかくれなし。殊更これは悦のをりなれば。たゞ一指との御所望なり急いで仕り候へ。」

のように北山の茸狩りが登場する。
 ここはまあ別に平盛久とは関係なく、秋の北山といえば松茸狩りだったのだろう。
 九十二句目。

   北山や秋の遊びの御供して
 見せ申つる名所旧跡     宗因

 北山辺りには名所旧跡も多い。一巻も終わりに近いので、さらっと流した感じだ。

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