今日は南足柄へ春めき桜を見に行った。朝起きて晴れていたからと思ったのだが、秦野の手前辺りから雨が降り出した。
富士フイルムの工場のあたりの狩川沿いは満開だった。雨は歩いているうちに止んだ。
今年は車での移動で一の堰ハラネ春めき桜の方へ向かったが、去年はほとんど人がいなかったのに今年は車が列を作って駐車場待ちをしていた。有名になったものだ。
このあと秦野の戸川公園へ行った。途中、水無瀬川沿いのおかめ桜も見た。戸川公園では白木蓮が咲いていた。
公園の駐車場もほぼ満車で、家族連れがたくさん来ていた。
このまま来週には染井吉野の花見もできるといいな。
感染症の流行というと、『冬の日』の四番目の「炭賣のをのがつまこそ黒からめ 重五」を発句とする歌仙の二十七句目、
釣瓶に粟をあらふ日のくれ
はやり来て撫子かざる正月に 杜國
の句が知られている。
この句は近代に柳田國男が『木綿以前の事』の中で、
「大体に突飛な空想はその場の人にはおかしくても、時がたつとすぐに不明になってしまう。」
とし、その例としてこの句を挙げ、
「撫子を正月に飾るというのも驚くが、これは流行正月と称して何か悪い年に、一般にもう一度年を取り直し、それから後を翌年にする習俗がしばしばくり返され、その日が多くは六月朔日であったことを知れば、六月だから瞿麦でも飾るだろうという空想の、やや自然であったこともうなずかれる。」
としている。
ところで、ネットで「防災情報新聞」の「日本の災害・防災年表(「周年災害」リンク集)を見ていたら、
「謎の感染症、麻疹(はしか)か?長崎で7000人死亡。西国から東海、江戸へ侵入?
1684年6月~(貞享元年4月~)」
というのがあった。まさに『冬の日』の興行が行われた年の夏ごろに麻疹の流行があったなら、案外撫子を飾る正月は本当だったのかもしれない。
伝染病の蔓延で不安な時は、せめては花を見ることで気分を心を落ち着けることも必要ではないかと思う。
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