2020年3月27日金曜日

 今日は一日どんより曇り、時折ぱらぱらと雨が降った。仕事でいろいろなところを走るから、満開の桜は花見をしなくても見れる。
 コンビニは今日も特に変わったことはなかった。二日間家に籠るからというので、生鮮品を買いだめする人が多かったからではなかったか。
 日本は災害時でも治安が良いし、食料がなくても必ず誰かが炊き出しに来てくれるから、非常時でもそれほど食料の確保に血眼にはならない。
 多分日本では強制的な移動制限による都市の封鎖はないだろう。第一そのような法律はどこにもない。非常事態条項を憲法で定めてないから、基本的に移動の自由など人権を制限することはできない。非常事態宣言をしてもただ自粛を要請するだけだ。違反しても罰則はない。
 それでも強権的な措置を取った国が大変なことになっているのに、日本は未だに混乱もなく、今までどおりの日常が続いている。
 結局強制すれば人は逃げ出すだけだし、あの手この手で法をかいくぐろうとするだけだ。それよりも一人一人の臣民としての自覚ある行動を促す日本のやり方の方が今のところうまくいっているのではないか。
 まあ、でも先のことはわからない。どのみち早かれ遅かれ同じ結果になるのかもしれない。ただ、不信と恐怖の中で死ぬよりは笑って死ぬことを選ぶのが我々の道だ。
 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。と、その前にアマビエ、

   タワマンの霞の中に夜は明けて
 言葉少なに駅の押し合い

 あらためて十七句目。

   しのびしのびにつまをたづぬる
 さひを手に取ながらへるも口惜や  兼載

 「さひ」はサイコロのことであろう。博打に身をやつし、放浪の身になってしまったが、それでもひそかに昔の妻を訪ねる、といったところか。
 十八句目。

   さひを手に取ながらへるも口惜や
 はだかにならばさていかにせむ   兼載

 東京国立博物館蔵の「東北院職人歌合絵巻」の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれる。文字通り身ぐるみをはがされた姿だ。
 十九句目。

   はだかにならばさていかにせむ
 人の物我ふところにぬすみ入    兼載

 スリか万引きか、とにかく盗んだものは取り合えず懐に入れるが、見つかって裸になれと言われたら、もちろんばれてしまう。
 二十句目。

   人の物我ふところにぬすみ入
 しらず顔なるつらのにくさよ    兼載

 明らかに盗んだというのに、居直って「何のことかな」なんて言われれば、そりゃあむかつく。鉄面皮というやつだ。
 二十一句目。

   しらず顔なるつらのにくさよ
 急をも動せぬ船のわたし守     兼載

 「いそぎをもどうぜぬ」と読むのだろう。
 船では船頭さんの言うことは絶対で、今日は川が増水していて危険だ、船は出せねえ、と言われれば、いくら急いでいても黙るほかない。
 二十二句目。

   急をも動せぬ船のわたし守
 銭をばもたぬ道の悲しさ      兼載

 「銭をばもたぬ道」というのは乞食僧のことか。
 『西行物語』に、出家して東国へ下る西行が天竜川を渡る時、武士がたくさん乗った舟に同乗したが、定員オーバーで危ないというので「あの法師、下りよ下りよ」と言われ、よくあることだと思ってシカトしてたら鞭で打たれたというエピソードが記されている。
 まあ、実話ではなくおそらく作りだろうけど、こういうことは当時よくあることだったのだろう。

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