2020年3月11日水曜日

 今日は東日本大震災の日。昨日は東京大空襲の日。どちらも忘れてはいけない日だが、今年は大きな災害が現在進行中なため、自粛ムードもやむをえないか。
 津波はあっという間にすべてを流していったが、感染症の流行はゆっくりとじわじわと来て、いつ終息するのか見当もつかない。
 あまりにゆっくりで、今日も昨日や一昨日と変わらない平穏な一日だもんだから、ついつい災害が起きていることすら忘れがちになる。
 ふと思ったのだが、感染が拡大したライブハウスやスポーツジムに共通しているのは呼吸数が増えるということはないか。
 エアロゾル感染だと、急激に吸ったり吐いたりを繰り返すことでウィルスを吸う確立が増えるのではないか。
 室内で運動したり歌ったり、継続的に声を出し続けるような場所は感染リスクが高いのではないか。
 まあ、これはあくまで素人考えだし、デマをひろめたなんてことになっても困るので拡散はしないで欲しい。
 それはそうと今日も「口まねや」の巻の続き。

 七十三句目。

   娌子のかへる里はるかなれ
 さげさせて人目堤を跡先に   宗因

 「人目堤」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「人の見る目をはばかって隠れること。和歌では、「包み」を「堤(つつみ)」に掛けて用いることが多い。
「思へども―の高ければ河とみながらえこそ渡らね」〈古今・恋三〉」

とある。
 古今集のこの和歌は中村注も引用している。
 前句の里帰りには何か人目を憚る事情でもあったのだろう。人目を包んで(避けて)のひそかな里帰りだった。
 「さげさせて」は人を退かせての意味に取るのが良いと思う。中村注は荷物の包みを下げさせての意味もあるというが、読みすぎではないかと思う。
 七十四句目。

   さげさせて人目堤を跡先に
 占の御用や月に恥らん     宗因

 人目を忍んでどこへ行くかと思ったら占いだった。
 ウィキペディアの「算置」のところには、

 「1700年(元禄13年)の『続狂言記』に掲載された『居杭』には、「占い算、占の御用、しかも上手」という算置の客寄せの掛け声が引用されており、これは1792年(寛政4年)の大蔵虎寛の編纂による『居杭』では、「占屋算、占の御用、しかも上手」となっている。」

とある。宗因の時代よりは少し後だが、この種の口上は宗因の時代にもあったのだろう。
 七十五句目。

   占の御用や月に恥らん
 夕露のふるきかづきを引そばめ 宗因

 「かづき」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「本来は「かづき」といい、女子が外出に頭に被(かづ)く(かぶる)衣服のこと。平安時代から鎌倉時代にかけて女子は素顔で外出しない風習があり、袿(うちき)、衣の場合を「衣(きぬ)かづき」といった。室町時代から小袖(こそで)を用いるようになると、これを「小袖かづき」といい、武家における婚礼衣装にも用いられた。桃山時代以降は一般の上流階級の婦女子もこれを用いて外出した。江戸時代中期以降は、形は同じであるが、頭にかぶりやすいように、衿(えり)肩明きを前身頃(みごろ)へ肩山より10センチメートルから15センチメートル下げてつけた。この特定の小袖を被衣(かづき)といった。町人のは町(まち)被衣といい、種々の色、模様のついたもので、女官のは御所(ごしょ)被衣といい、松皮菱(びし)など幾何学的区画による、黒地に白の熨斗目(のしめ)風の模様のついたものであった。布地はともに麻、絹で単(ひとえ)仕立て。江戸では明暦(めいれき)年間(1655~1658)には用いられなくなったが、京都では安永(あんえい)(1772~1781)のころまで用いられた。後世に至って「かつぎ」というようになった。[藤本やす]」

とある。
 夕露の降るに掛けて「古きかづき」を導き出し、引きそばめて顔を隠すしぐさを恥じらいの表現とする。当時としては可愛らしい仕草だったのかもしれない。
 七十六句目。

   夕露のふるきかづきを引そばめ
 雲井の節会高きいやしき    宗因

 『伊勢物語』九十四段に、

 「むかし、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。すこし頼みぬべきさまにやありけむ、ふして思ひ、起きて思ひ、思ひわびてよめる。

 あぶなあぶな思ひはすべしなぞへなく
     高きいやしき苦しかりけり

 むかしも、かかることは、世のことわりにやありけむ。」

とある。
 身分の低い女性が古くなったかづきで顔を隠しながら、雲井(皇居)の節会で高貴な男の姿を拝む。
 七十七句目。

   雲井の節会高きいやしき
 おふなおふなおもんするなる年の賀に 宗因

 「おふなおふな」は『伊勢物語』九十四段の和歌の「あぶなあぶな」だが、「あふなあふな」には古来いろいろな解釈があり、季吟は「懇に」の意味に解していたことを中村注は記している。
 一方、「おふなおふな」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」には、「精いっぱい。できるだけ」とある。これだと精いっぱい重んじてきた年賀に、雲井の節会高きいやしき、となる。
 七十八句目。

   おふなおふなおもんするなる年の賀に
 物の師匠となるはかしこき   宗因

 大事な年賀に何か芸事の師匠となるのは立派なことだ。

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