今日は午前中から雨が降り出し、やがて霙になり、午後には雪になった。
「花なき里も花ぞ散りける」の歌を思い出したが、公園の横を通ったとき染井吉野が咲き始めているのが目に留まった。雪にもまけずに開花となった。
このパンデミックの中でも世界に新しい春が訪れるのだろうか。
それでは「口まねや」の巻の続き。挙句まで。
名残裏。
九十三句目。
見せ申つる名所旧跡
京のぼり旅の日記をかくのごと 宗因
これも特にひねりはない。「日記を書く」と「かくの如く」を掛詞にして、「かくの如見せ申つる」と繋げる技法は連歌的だ。
このあたりは笑いを取るというよりは、基本的な付け筋を解説してくれているかのようだ。
九十四句目。
京のぼり旅の日記をかくのごと
いく駄賃をかまかなひのもの 宗因
「まかなひ」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、
「①(任務として)食事や宴などの準備をすること。また、その係の人。
出典 宇津保物語 初秋
「かの御息所(みやすどころ)、内宴のまかなひにあたり給(たま)ひて」
[訳] あの御息所は、宮中での内々の宴の準備係にお当たりになって。
②食事の支度や給仕をすること。また、その人。
出典 源氏物語 夕霧
「御粥(かゆ)など急ぎ参らせたれど、取り次ぐ御まかなひうち合はず」
[訳] お粥などを急いで差し上げたけれど、取り次ぐお給仕が間に合わず。
③身のまわりの世話。
出典 宇津保物語 蔵開上
「その御まかなひは典侍(ないしのすけ)と乳母(めのと)仕うまつる」
[訳] そのお世話は典侍と乳母がして差し上げる。」
とある。この場合は③か。
「いく駄賃をかまかなふ」から「まかなひのもの」と繋げる。
九十五句目。
いく駄賃をかまかなひのもの
大名の跡にさがつて一日路 宗因
「一日路(いちにちぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 一日で行きつくことのできる道のり。一日の行程。ひとひじ。一日程(いつじつてい)。
※天草本平家(1592)四「ホウジャウモ ychinichigi(イチニチヂ) ナリトモ、ヲクリマラショウズレドモ」
とある。昔の人の足だと四十キロくらいか。
大名行列の道中にかかる費用負担は、一日後にくる賄の者が処理したのだろうか。
時代劇では「御跡小払役」というのが登場するが、大名行列の費用はかなり高額だし、現金を持って跡から付いていったとは思えない。どういう仕方で決済していたか気になる。
九十六句目。
大名の跡にさがつて一日路
よはりもてゆく此肴町 宗因
「肴町」はウィキペディアに「日本の各地にある地名で、魚屋がまとまって住んだことに由来する。」とある。
前句の「さがつて」を鮮度が落ちるという意味に取り成したか。
大名行列の通り過ぎた後、余った魚を肴町に持って行く。
九十七句目。
よはりもてゆく此肴町
見わたせば花の錦の棚さびて 宗因
花の錦といえばやはり、
見わたせば柳桜をこきまぜて
都ぞ春の錦なりける
素性法師(古今集)
だろう。
みんな花見に行ってしまうと、市場の方はからっぽ、ということか。困った時は肴町。
九十八句目。
見わたせば花の錦の棚さびて
藤咲戸口くれてかけかね 宗因
前句の棚を藤棚とする。錦のように美しい藤棚の藤も夕暮れになると夕闇にまみれて色を失ってゆく。
今日一日も終わり、戸口に掛金を掛ける。
後に芭蕉が詠む、
草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉
の句も思い浮かぶ。
九十九句目。
藤咲戸口くれてかけかね
おとがひもいたむる春の物思ひ 宗因
「掛金」はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、
「①戸・障子などが開かないようにかける金具。
②あごの関節。 〔日葡〕」
とある。②の意味だと「おとがい」に縁がある。顎が外れたか。
挙句。
おとがひもいたむる春の物思ひ
かむ事かたき魚鳥のほね 宗因
昔の人は顎が強く、魚や鳥の骨もばりばり食ったのだろう。
『猿蓑』の「市中は」の巻の、
能登の七尾の冬は住うき
魚の骨しはぶる迄の老を見て 芭蕉
の句のように、骨が噛めなくなったらかなりの老人というのが当時のイメージだったようだ。
宗因ももはやそんな歳になったと、発句の「老の鶯」の呼応してこの一巻は終了する。目出度く終わらせないのも、宗祇最晩年の「宗祇独吟何人百韻」の挙句、
雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に
わが影なれや更くる灯 宗祇
に似ている。
やはりこの「口まねや」の巻は宗因の遺言を兼ねたものだったのか。
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