昨日は以前「芭蕉脇集」で取り上げた、
水音や小鮎のいさむ二俣瀬 湖風
柳もすさる岸の刈株 芭蕉
の続き(半歌仙)でも読んでみようかと思って、次の句が、
柳もすさる岸の刈株
見しりたる乙切草の萌出て 沾蓬
なので、以前乙切草のことを書いたかなと思って、古いファイルを探していた。
結局「鈴呂屋書庫」の中にもある「鈴呂屋歳時記」の八月二十二日のところにあった。
「弟切草
今日は旧暦7月22日。涼しい一日だった。
今日のテーマは、もっと涼しくなるようにというわけではないが、「弟切草(おとぎりさう)」。
弟切草:薬師草 青くすり ‥‥略‥‥薬に用ふ。相伝ふ、花山院の朝に鷹飼(たかがひ)あり、晴頼(はるより)と名づく。其業(げふ)に精(くは)しきこと神に入(いる)。鷹、傷を被(かう)ぶることある時は、葉を按(も)みてこれに傅(つく)るときは癒(い)ゆ。人、草の名を乞ひ問ども秘して言ず。然るに家弟(おとゝ)、密にこれを露洩(もらす)。晴頼、大に怒てこれを刃傷(にんじゃう)す。これより鷹の良薬をしる。弟切草と名づく。(『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫、p.78~79)
葉に黒い点々があるのが、その時の返り血だとも言われている。 今日、この草の名は、1992年にスーファミソフトとして発売されたゲーム「弟切草」のタイトルとなったことでよく知られている。これはゲームの世界にサウンドノベルという新しいジャンルを確立したといわれ、その後のアドベンチャーゲームに多くの影響を与えたという。「弟切草」がなかったら「ひぐらし」もなかったかもしれない。
「青くすり」という別名については、慈鎮和尚の歌が引用されている。
秋の野にまた枯れ残る青くすり
飼ふてふ鷹やさし羽なるらん
慈鎮和尚」
発句は鮎の縄張り争いを詠んだ句で、脇はそれに柳もドン引きでどこかへいってしまったのか、切り株だけがあると応じる。
特に挨拶の寓意はない。芭蕉の晩年の「軽み」の頃にはこういう脇も出てくる。
第三はそのドン引き(「すさる」)から「弟切草」を登場させる。
四句目。
見しりたる乙切草の萌出て
刀の柄にくくる状箱
井原西鶴の『好色五人女』のお夏清十郎の物語の中に、
「備前よりの飛脚横手をうつて扨も忘たり刀にくくりながら状箱を宿に置て來た男磯のかたを見てそれ/\持佛堂の脇にもたし掛て置ましたと慟きける」
とある。飛脚が刀に状箱を括り付けることはよくあったのだろう。
乙切草から刀に展開して、「すわっ、刃傷沙汰か」と思わせて、実は飛脚だったという落ちになる。
五句目。
刀の柄にくくる状箱
食傷の腹をほしけり朝の月 湖風
「食傷(しょくしょう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 食中毒。しょくあたり。
※医学天正記(1607)坤「食傷 一、今上皇帝、御食傷、瀉利吐逆」
② 同じ食べ物がつづいて食べ飽きること。また比喩的に、同じような物事に接することが多くて、飽きていやになること。
※雑俳・柳多留‐九六(1827)「邯鄲の里にすむ獏喰しょふし」
※青年と死と(1914)〈芥川龍之介〉「一年前までは唯一実在だの最高善だのと云ふ語に食傷(ショクシャウ)してゐたのだから」
とある。②の意味は多分食べすぎでも下痢や嘔吐が起こるところから、食べすぎ気味、おなかいっぱいという所で、この意味が派生したのではないかと思う。
「腹をほしけり」は「腹を日に干す」という項目でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 飲食をひかえる。腹のすくようにする。
※雑俳・歌羅衣(1834‐44)二「腹を干す日は畳にも酒染みて」
② 中国、晉の郝隆(かくりゅう)が腹中の書を曝すと言って、腹を日に干したという「世説新語‐排調」に見える故事。腹中の書を曝す。
※雑俳・柳多留‐八四(1825)「書をはむ虫も腹をほす土用干」
とある。「食傷」を食い過ぎの意味に取るなら、①の意味でうまくつながる。
ただ、ここでは日に干すのではなく朝の月に干している。昨日の夜食い過ぎて腹を空かしてから飛脚は走り出す。
六句目。
食傷の腹をほしけり朝の月
昼寝て遊ぶ盆の友達 芭蕉
お盆は親戚一同集まるのでご馳走がふるまわれたりする。それを当てにして、昼は寝て夜になると誰それの友達だといって押しかける輩もいたのだろう。明け方には満腹の腹を減らそうとする。当時の「お盆あるある」か。
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