2020年3月7日土曜日

 街は相変わらず人がたくさんいて賑わっている。この中の何人かが来年はいないなんてことは想像したくない。平和な日々がいつまでも続いて欲しいものだ。
 日常は時に鬱陶しく、生活はそんなに楽なものではない。嫌な奴もいるし、理不尽なことも多い。
 そんな糞ったれな世界でも、やはり愛おしいものだ。みんなこの世界を守るために戦っている。大事なのは敵を間違えないことだと、『ムシウタ』の薬屋大助も言っていた。
 それでは「口まねや」の巻の続き。

 三表。
 五十一句目。

   何かは露をお玉こがるる
 おもふをば鬼一口に冷しや    宗因

 「鬼一口」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 「伊勢物語」第六段の、雷雨の激しい夜、女を連れて逃げる途中で、女が鬼に一口で食われてしまったという説話。転じて、はなはだしい危難に会うこと。また、その危難。鰐(わに)の口。虎口(ここう)。
  ※謡曲・通小町(1384頃)「さて雨の夜は目に見えぬ、鬼ひと口も恐ろしや」
  ② 鬼が人を一口で飲み込むように、激しい勢いであること。物事をてっとり早く、極めて容易に処理してしまうこと。
  ※浄瑠璃・栬狩剣本地(1714)五「惟茂殺すは己(おのれ)を頼まず、鬼一口にかんでやる」

とある。
 ここでは①の意味と思われる。
 ②の意味については、中村注は、

 「物のついでに述べれば、『和漢故事要言』(宝永二年)に、

 鬼一口 ト云ハ余ナル小事ニテ為ニ足ズト云ノ心、又心ヤスク為ヤスキ事ニテ取カカリサヘスレバ、瞬ノ間ニモ出来ル抔ト云心ニ云也(以下『伊勢物語』の本分を引く)

とある。」(『宗因独吟 俳諧百韻評釈』中村幸彦著、一九八九、富士見書房、p.109)

と記している。英語で言うa piece of cakeのようなものか。「鬼滅の刃」の鬼というよりは、「進撃の巨人」の巨人のように人を平らげたのだろうか。まあ、いずれにせよ凄まじい。
 『伊勢物語』第六段には、

 「はや夜も明けなむと思ツゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひけり。あなやといひけれど、神なるさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐてこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
  白玉かなにぞと人の問ひし時
     つゆとこたへて消えなましものを」

とあるものの、これには落ちがあって、

 「御兄人堀河の大臣、太郎國経の大納言、まだ下らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをきゝつけて、とゞめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなり。」

というのが真相だった。
 五十二句目。

   おもふをば鬼一口に冷しや
 地獄の月はくらき道にぞ     宗因

 「露」「冷(すさま)し」と来て秋の三句目で月を出す。それも地獄の月。現世の月のように明るくはないようだ。月食の時のあの赤銅色の月(ブラッドムーン)だろうか。
 地獄には当然恐い鬼がいる。何度も何度も食べられたりするのだろう。
 五十三句目。

   地獄の月はくらき道にぞ
 此山の一寸さきは谷ふかみ    宗因

 これはまさに「一寸先は闇」だ。
 前句は「地獄の月は、暗き道にぞ(明るく照らして欲しいものだ)」と読み替えてもいいかもしれない。それならばまさに地獄に仏だ。
 五十四句目。

   此山の一寸さきは谷ふかみ
 瀧をのぞめば五分のたましい   宗因

 「五分のたましい」というと、「一寸の虫にも五分の魂」という諺が浮かんでくる。
 ただ、この場合はあくまで前句の「一寸」に「五分」を縁で付けてだけで、深い谷の瀧を見れば魂が半分に削られる思いだという意味だろう。
 これが虫だったら魂が縮むこともあるまい。

 桟やあぶなげもなし蝉の声    許六

はだいぶ後の句だが。
 五十五句目。

   瀧をのぞめば五分のたましい
 晩かたに思ひがみだれて飛蛍   宗因

 前句の「五分のたましい」から虫である蛍を登場させる。
 蛍は女の恋心で、中村注も、

   男に忘られて侍ける頃、貴船にまゐりて、
   みたらし河に蛍の飛侍りけるを見てよめる
 物思へば沢の蛍も我身より
     あくがれいづる玉かとぞ見る
              和泉式部(後拾遺集)

の歌を引用している。
 五十六句目。

   晩かたに思ひがみだれて飛蛍
 天が下地はすきもののわざ    宗因

 「下地」は古語では本性の意味もある。
 前句の飛ぶ蛍は比喩で、夜に思い乱れ飛んでいるのは天下の好き物ばかりだ。遊郭の風景だろう。『虚栗』の、

 草の戸に我は蓼食ふ蛍哉     其角

の句が思い浮かぶ。
 五十七句目。

   天が下地はすきもののわざ
 大君の御意はをもしと打なげき  宗因

 「下地」のは本心という意味もあり、ここでは前句は「天が求めているのは好きもののわざだ」ということで、御門がまた女のことで無理難題を吹っかけたのだろう。
 御門でなくても、無理難題を吹っかける上司というのは困ったものだ。「梅が香に」の巻の八句目、

   御頭へ菊もらはるるめいわくさ
 娘を堅う人にあはせぬ      芭蕉

の御頭も困ったもんだが。
 五十八句目。

   大君の御意はをもしと打なげき
 采女の土器つづけ三盃      宗因

 「采女(うねめ)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「女官の一つ。天皇に近侍(きんじ)して寝食に奉仕する。大和朝廷時代や律令時代には,全国の国造(くにのみやつこ)や郡司が未婚の姉妹・子女を差し出し,祭祀(さいし)に奉仕させるなど宗教的な意味や人質としての政治的な意味もあった。やがて形式化し人数も減り,中・近世には諸大夫(しょだいぶ)の娘がこれを務めた。」

とある。「土器」は「かはらけ」と読む。
 これはいわゆる「駆けつけ三杯」であろう。まあ、遅刻はしない方がいい。

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