フラチナリズムって知らなかったけど、結構凄いバンドだったのかな。こんなに全国からファンを集め、追っかけを産むなんて、半端ではない。今回はお騒がせになってしまったが。
ボーカルで物真似芸人のモリナオフミは高知出身とのこと。
それでは「口まねや」の巻の続き。
四十五句目。
霞の衣尻からげして
春の月山の端にけてとちへやら 宗因
「にけてとちへやら」は「逃げてどちへやら」。
逃げる時には、そのままだと着物の裾が邪魔でうまく走れないため、尻からげにする。
中村注は『古今集』の在原業平の歌を引用している。
これたかのみこのかりしける
ともにまかりて、やとりにかへりて
夜ひとよさけをのみ物かたりをしけるに、
十一日の月もかくれなむとしけるをりに、
みこ、ゑひてうちへいりなむとしけれは
よみ侍りける
あかなくにまたきも月のかくるるか
山のはにけていれすもあらなむ
在原業平(古今集)
明け方になってまだ月に飽いていないのに隠れてしまったか、山の端に逃げて、という歌だ。
霞みを纏った朧月が、その裾をからげてスタコラサッサと逃げてゆく様子は確かに笑える。
四十六句目。
春の月山の端にけてとちへやら
かりの行衛も先丹波越 宗因
山の端に逃げた月はどこへ行ったという上句を受けて、帰る雁と一緒に丹波を越えて行ったとする。
丹波越えは山陰街道で丹波路とも言う。京都から見ると西側の山を越え、亀岡、福知山を経て鳥取へと抜けてゆく。
四十七句目。
かりの行衛も先丹波越
借銭の数はたらでぞつばめ算 宗因
江戸時代の商人の間では帳簿の技術が発達し、複式簿記に近いものまであったという。
複式簿記は資産と負債を左右に分けて表記し、資産-負債=純資産になるので、これを資産(左:借方)と負債+純資産(右:貸方)というふうに左右に分けて表記する。
「つばめ算」は合算のことだが、帳尻合せのこともつばめ算と言った。借方(資産)の方が不足しているとすれば、借りた金がどこかへ消えてしまっているので、資産の一部を誰かが横領している疑いがある。それを誤魔化すためにつばめ算をする。
中村注が引用している『犬子集』(寛永十年刊)の、
春はただ帰る雁かね追々に
本利そろゆる燕さん用
に似ている。これは前句の「雁かね」を「借り金」に取り成して、拝借していた金を追々返すことで、帳尻を元に戻すという句だったが、宗因の句だとどうやって帳尻を合わせたのか、より高度な誤魔化しのテクニックが期待される。
四十八句目。
借銭の数はたらでぞつばめ算
問屋の軒のわらや出すらん 宗因
「藁を出す」は中村注によれば、小学館の『日本国語大辞典』に、「かくしている短所・欠点をさらけ出す。失敗をしでかす。ぼろを出す」の説明があるという。
軒にしても「軒が傾く」という言葉があるように、横領を繰り返し、そのつど姑息な帳尻合せを続けてゆけば、問屋の軒も傾き、ぼろが出てしまうことになる。
四十九句目。
問屋の軒のわらや出すらん
はすは女が濁りにしまぬ心せよ 宗因
「はすは女(め)」は蓮っ葉な女のこと。
「濁りにしまぬ」は「濁りに染まぬ」という字を当てる。中村注は『古今集』の、
蓮葉の濁りにしまぬ心もて
なにかは露を玉とあざむく
僧正遍照
の歌を引用している。
これを蓮っ葉女にたぶらかされないように心せよ、軒も傾く、と咎めてにはにする。
五十句目。
はすは女が濁りにしまぬ心せよ
何かは露をお玉こがるる 宗因
先に引用した僧正遍照の歌から歌てにはで「何かは露を」を導き出す。そして露の玉を「お玉さん」という蓮葉女の名前にして、何でお玉のように蓮葉女に恋焦がれるものぞ、とする。
このあたりは連歌師としての宗因のテクニックが冴える。
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