2020年3月3日火曜日

 昨日はコルピクラーニのことを「道化師?」と書いたが「大道芸人」の方が近いかな。
 いろいろなものが自粛になって行くが、日本ではあくまで自粛で禁止ではない。臣民は主君である「人様(世間様)」に忖度して判断せよということだ。
 ただ、気持ち的にはアウトブレイクを防ぐためには行動を自粛した方がいいと思いつつも、どうせアウトブレイクを防ぎきれないなら今のうちに人生楽しんだ方がいいのかという思いもある。
 それでは「口まねや」の巻の続き。

 三十三句目。

   古き内裏のつゐひちの下
 人しれず我行かたに番の者    宗因

 中村注にある通り、『伊勢物語』第五段の、

 「むかし、をとこ有けり。ひむがしの五条わたりに、いと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじきゝつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、いけどえ逢はで帰りけり。さてよめる。

 人知れぬわが通ひ路の関守は
     よひよひごどにうちも寝なゝむ

とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆるしてけり。二条の后にしのびてまゐりけるを、世の聞えありければ、兄人たちのまもらせ給ひけるとぞ。」

の本説による付け。関守を「番の者」とした所が江戸時代風になる。
 この段を猫の恋にしたものが、

 猫の妻竃(へっつい)の崩れより通ひけり  芭蕉

 この句も延宝五年だから時期的には近い。
 三十四句目。

   人しれず我行かたに番の者
 誰におもひをつくぼうさすまた  宗因

 「思ひつく」は古語では「好きになる」という意味になる。
 前句の「人しれず我行」をこっそり恋人に逢いに行く意味にして、一体誰を好きになったか、となるわけだが、その「思ひをつく」の「つく」から番人の持っている突棒(つくぼう)、刺股(さすまた)を導き出す。突棒はT字型の棒で、刺股は先がU字型になっている。
 突棒・刺股は犯罪者を生け捕りにするのに用いるが、ウィキペディアによれば、「『和漢三才図会』には、関人(せきもり)・門番が用いるものとしての記述がみられる。」とある。
 三十五句目。

   誰におもひをつくぼうさすまた
 哥舞妃する月の鼠戸さしのぞき  宗因

 「哥舞妃」は歌舞伎のこと。「鼠戸」は鼠木戸のことで、コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、

 「江戸の劇場の正面入口の称。見物人が穴へ入る鼠のように体を曲げて入ったためこの名がついたといわれる。江戸三座では,中村座は竪子,市村座は菱形,森田座は真四角と,木戸格子の組み様が違い,ここに端番 (はなばん) がいた。」

とある。
 中村注によれば、「早くお国歌舞伎などの頃には、小屋の鼠戸の辺に後々にまで続いた毛槍や梵天(劇場の櫓の上などに立てる御幣)と共に、突棒、刺股が飾ってあった」(『宗因独吟 俳諧百韻評釈』中村幸彦著、一九八九、富士見書房、p.83)という。
 お国歌舞伎は出雲のお国の頃の歌舞伎で慶長の頃になる。当時は女歌舞伎で「哥舞妃」という表記もその名残であろう。ただ、その女歌舞伎は寛永六年(一六二九)に禁止され、若衆歌舞伎となり、やがて野郎歌舞伎となる。
 この独吟の頃はまだ市川團十郎 (初代)がようやくデビューした頃で、今の歌舞伎の草創期といえよう。この時代ならまだ鼠戸に突棒・刺股があったのかもしれない。
 夜の鼠戸は月が照らし、「さしのぞき」は月の光が差し覗くのと役者目当てに来た人が鼠戸を覗くのとを掛けている。
 三十六句目。

   哥舞妃する月の鼠戸さしのぞき
 立市町は長き夜すがら      宗因

 「立市町」は「いちたつまち」と読む。市の立つような大きな町は夜も眠らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿