2020年3月20日金曜日

 今日も晴れて暖かい一日だった。花見にはまだ早い。
 それでは「水音や」の巻、挙句まで。

 十三句目。

   古き簾にころ鮫をつる
 小さうて砂場をありく原の馬    利牛

 海辺の放牧地であろう。宮崎の都井岬のような所が、かつてはいたるところにあったのか。都井岬も高鍋藩の放牧地だった。
 十四句目。

   小さうて砂場をありく原の馬
 螽を焼て誰が飡ぞめ        桃隣

 「喰い初め」は赤ちゃんの百日祝いで、食べる真似をする儀式だが、普通はお目出度いものをそろえる。
 イナゴは今でも一部で佃煮にして食う文化が残っているが、ウィキペディアには、

 「日本では昆虫食は信州(長野県)など一部地域を除き一般的ではないが、イナゴに限ってはイネの成育中または稲刈り後の田んぼで、害虫駆除を兼ねて大量に捕獲できたことから、全国的に食用に供する風習があった。調理法としては、串刺しにして炭火で焼く、鍋で炒る、醤油や砂糖を加えて甘辛く煮付けるイナゴの佃煮とするなど、さまざまなものがある。」

とある。
 農村では鯛などは手に入りにくいし高価だから、イナゴで喰い初めをすることもあったのか。
 十五句目。

   螽を焼て誰が飡ぞめ
 月影の臼も仏の台座也       芭蕉

 仏様はきらびやかな寺院にしかいないものではない。貧しい家の臼の上にも、姿は見えなくても存在している。
 古代ギリシャでもヘラクレイトスがパン焼窯で暖を取りながら「ここにも神はおわします」と言ったという。どこか通じるものがある。
 十六句目。

   月影の臼も仏の台座也
 盗人かへる蔦の朝しも       沾蓬

 月影の臼に仏の姿を見たのか、盗人も改心して何も取らずに帰ってゆく。
 『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注、1968、角川書店)の中村注に、

 「『袖』は「朝しも」として脇に「細道」と書き添える。『金蘭』は「細道」として「朝霜」と脇に書き添える。」

とあり、下七が「蔦の細道」、つまり東海道の宇津ノ谷峠越えの道だった可能性もある。ここも昔は山賊が出ることがあったので、それだと山賊の頭領が今までの罪を思い、発心する句とも取れる。
 ただ、次に「沓掛の峠」が付くことから、芭蕉が「蔦の細道」は重いとして、朝霜に改めたのではないかと思う。
 十七句目。

   盗人かへる蔦の朝しも
 沓掛の峠ほのかに花の雲      曾良

 「沓掛峠」は福島中通りから会津に行く途中にもあるが、ここでは茨城県大子町のほうの、山桜の名所になっている沓掛峠であろう。大子町文化遺産のホームページには、

 「沓掛峠という呼称は、平安時代の終わりごろ八幡太郎義家が奥州征伐に行く途中、この地で馬の轡(くつわ)の手綱を松の木にかけて休息したところから「沓掛峠」と呼ばれるようになったと伝えられています(地元の伝承)。」

とある。このあたりは『奥の細道』の旅の事前調査の範囲だったのかもしれない。
 中村注は長野県小県郡の沓掛としている。中山道の碓氷峠の近くの沓掛宿もあるが、そこでもない。
 挙句。

   沓掛の峠ほのかに花の雲
 けふも野あひに燕うつ網      湖風

 燕に限定したものかは知らないが、農作業が始まれば鳥除けの網は張られていただろう。今年も豊作を祈り、目出度く半歌仙は終了する。

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